第60話 エリア810、陥落
地獄の最前線、エリア810に朝が来る。
「はぁー」
目に眩しい日の出の光と小鳥のさえずりが響く魔法王国側の陣地にて、女王リネルト・セリカは輿の上でここに来てから何度目かの溜め息を、盛大に吐き出した。
「ううう~、申し訳ありません~……くっ、いっそ殺してぇ~」
輿の目の前、彼女の下にあったのはひとつの箱だった。純白に塗られ、所々に花柄があしらわれており、ピンク色のリボンで梱包されているその箱の上面から頭だけ出して、さめざめと涙を流しているのは女王直属部隊のリーダー、ステイシー・ベルその人であった。
周囲の反応も様々である。庶民魔女たちはエリートさんのその扱いに懸命に笑いをこらえているし、他の女王直属チームの面々はバツが悪そうに視線を逸らす。そして聖母マミー・ドゥルチはじめ810の所属の魔女やリリアス、ミールあたりはどこかほっとした表情を懸命に隠している。
ちなみに四聖魔女の一人、庶民魔女を率いて惨敗したレナ・ウィックルは大爆笑しているのだが。
ステイシーが出撃前に提示した作戦はまさに完璧かと思われた。ルルーの美味料理に囚われた帝国兵は水やツバすら飲めなくなる、つまり体力が回復できなくなることを見越して、まず精鋭部隊で敵を各個撃破して、そこに庶民魔女たちを召喚してこちらの陣とする。それを繰り返してこの810を完全に魔女の勢力で占めてしまおうというのだ。
が、あと一歩と言う所でその作戦は瓦解した。エリート魔女たちが最奥地で見た帝国兵は噂以上に恐ろしい見た目をしていた、まるで呪いか何かのように腫れあがったピンク色の唇が、色黒で精悍な兵士の顔とあまりにミスマッチで、まさに化け物の様相であったのだ。
その恐ろしさに精鋭部隊はバラバラになり、リーダーのステイシーはそこで囚われの身となった。
そこから夜明けまで、帝国の逆襲が始まった。彼らは各個に抑えられたポイントを次々と奪還していったのだ。移動の際にはホウキに乗って低空飛行する事で体力を温存し、魔女たちが詰める所に着くと今度は派手な火器での音と衝撃で魔女たちを蜘蛛の子のように蹴散らし続けた。
この反転攻勢、実は要所に配置された庶民魔女たちがほぼ例外なく、その場で眠りこけていた事が大きかった。
彼女たちは本国からこの810までの長旅の後、まずレナに率いられて惨敗し、次にレナーとミールの混合チームで参戦して、最後は巨大な投網に絡み取られた。
ルルーが仕掛けている間は休めたが、その間は戦闘の余韻と帝国兵の思わぬイケメンぶりに興奮気味だった。が、その後エリートさん達に召喚されて「そこを動くな」なんて命令されたもんだから、蓄積した疲れと精鋭だけが帝国兵に対する事が出来るのに嫉妬して、半ばふてくされて寝落ちしてしまった。
こんな状態で、クチビルオバケになった帝国兵に襲撃されたら、そりゃひとたまりもないだろう。
成す術なく王国魔女が完全撤退を余儀なくされた後、夜明け前の空が白み始めた時に、一体のゴレムがその手に箱を抱えて、王国の陣地までのっしのっしと歩いてきたのだ。
果たしてその箱こそ、可愛らしく梱包されたステイシーちゃんであった。
「ううう~、くっ、殺せぇ~」
「はいはい、馬鹿な事言ってないで箱開けるわよ。体に痛いところ無い?」
「ありましぇ~ん……いっそ拷問でもされてた方がまだマシかも」
810部隊の副リーダー、ワストがその箱を壊しにかかる。幸いというか罠のようなものは無く(そのために帝国兵慣れしている810のワストが箱からの解放に当たっている)、開かれた中にはステイシーが両手首と両足首を縛られた状態で正座していた。負傷や拷問の痕は無く、縛られていた部分もそんなにキツくなかったせいで体に問題は無さそうだ……ただしばらくは足の痺れで立ち上がれなかったのだけれど。
「それにしても……」
女王リネルト・セリカが爪を噛みながら思わずごちる。味方の不甲斐なさもそうだが、それ以上に……
「ここまで、我らが魔女の犠牲者は……ゼロ!」
周囲の魔女達が女王の感情を読み取って、ざわっ、と嘆く。そう、生存率5%と言われたこの810での戦闘で、散々返り討ちにあっていながらも、誰も戦死していないという事実。
それは喜ばしい事ではあるのだが、それ以上にある種の屈辱が湧き上がって来る。
「私達魔女を……愚弄しているのですか!」
普段から穏やかなリネルトも、さすがに顔をしかめて憤りをあらわにし、輿のイスから立ち上がる。が、その正面に一人の女性が進み出て、彼女をいさめるように進言する。
「いいえ、女王様、彼らはこう言っているのです」
その人物はエリア810所属魔女、戦闘チームリーダーのリーンだ。彼女は女王を目を見開いて正面から見つめ、重厚かつ決意の意志を込めて続きの言葉を発する!
「『コイツらじゃ話にならん、サッサとお前たちが来い』と!!」
「お前たち」のタイミングで自分の胸をどん!と叩くリーン。
その進言に陣地全体がびりっ! と引き締まる。このエリア810で戦い続けて来たリーンの言葉は、他の自信家魔女やエリート魔女には無い重みがあった。
「魔法が世に生まれて幾十年……魔女と帝国兵は各所で戦い続け、そしてここエリア810でそれは極まったのです」
横からとことこ現れつつそう続けたのは聖母魔女マミー・ドゥルチその人だった。彼女はリーンとは対照的に、落ち着いた表情と声色で、リネルト女王を嗜める。
「私とて元、四聖魔女のひとりなのです。でも、ここに来て私は知りました。彼女達の戦いの練度を。鍛え続け、毎日のようにあの恐ろしい帝国兵と戦い、仲間の死を乗り越えて実らせ続けた魔法の技と心を」
大仰に手をかざす老魔女の言葉に全員が聞き入る。それを見て取ったマミー・ドゥルチは、彼女たちの意志を決める言葉を発する。
「私がここで戦闘のリーダーになってないことが、彼女たちの優秀さの証明です!」
誰もがぐぅの音も出なかった。あの元四聖魔女にして、未だ王国で並ぶ者のない実力を持った彼女が、なんとここでは相談役として過ごしているのだ。その事実からしてリーン達実働部隊の優秀さが嫌でも理解できる。
マミーはリーンに首を向けて発言を促す。応えてリーンは改めて女王に跪いて、こう進言した。
「帝国兵も夜通しの戦闘で疲れている事でしょう。ならば今こそが好機、私たちが彼らとの長年の決着をつけてみせましょう!」
女王も、四聖魔女達も、エリート魔女も、そして庶民魔女も、その意見に反対など出来なかった。
戦いは魔女の日常ではない、それを専門に行い続けている彼女たちこそ、その道のエキスパートなのだから。
そしてそれは帝国兵も同じだ。彼女たちと長年戦い続けて来た兵士達にとって、物見遊山と手柄欲とナンパ気分で訪れた魔女の一行など、赤子の手をひねる用に弄べることは、夕べの内に散々証明されていたのだから。
「……分かりました」
しばしの沈黙の後、女王が玉座へと腰を下ろし、そして命令を下す。
「聖母魔女マミー・ドゥルチ、および810戦闘チームリーダー、リーン・リッチェラ。エリア810所属の魔女の力を持って、この地を魔女の聖地に!」
その言葉を待っていた、と言わんばかりに二人はスカートの端をつまみ上げ、ヒザを折って返礼をする。
「「必ずや、ご期待に添いましょう」」
◇ ◇ ◇
で……約一時間後。
エリア810の地下、帝国兵と魔女のお馴染みミーティング場にて、この810で戦い(ゴッコ)を続けていた魔女と兵士は、確かに相対していた……?
「うん。そこそこ、もうちょい右もお願い」
「ホントにもう、注文ばっかり」
「あ”-……癒されるわー」
「他の魔女に色目とか使ってないでしょうねぇ」
「このクチビルじゃ無理だって、あはは」
「ホント、おっかしいー」
ベッドや床に敷いた布団で寝っ転がる帝国兵に、魔女たちは和気藹々としてマッサージなど施していたのだ。
何せ帝国の面々は、自分たちの100倍にも相当する魔女たちと夜通し戦いづくめでクタクタな状態である。なので仲良しな810魔女だけが戦場に来ている時は貴重な休憩タイムだ。
リーンからそうコンタクトがあったので森の中で合流し、なら例によって戦闘してるフリして地下で休憩しようという事になり、戦いはゴレムと戦車の自動操縦に任せて、せいぜい遠目にはハデにドンパチしてるように見せ、ひと時の休憩時間を過ごしているという訳だ。
「女王様やみんなが知ったら、すさまじいツッコミされそうねぇ」
「リーンや聖母様が進言してる時に笑いをこらえるの大変だったわ……ぷぷっ」
「『コイツらじゃ話にならん、サッサとお前たちが来い』とかー、目的逆なんだけど」
コロコロ笑いながらスキンシップを楽しむ魔女と兵士達。中には高いびきの兵士もいるが、大半はうつ伏せに寝転んで、パートナーの魔女に乗っかって貰って背中や腰をぐいぐい押して貰ったり、腕を付け根から指先のツボまで押して行ってもらったりして、体と心の疲れを癒して貰っている。
ちなみに魔女達には見えないナーナも、対抗意識を出して兵士たちの背中や足をぐいぐい押している。でも力が全然足りないでいで単に微笑ましい姿でしかないけど。
「でもさぁ……ここでこうして触れ合えるのも、もうこれが最後かもね」
リーンの言葉に、マッサージしてもらってるイオタが「そうだな」と素っ気なく返す。
夜明け前、帝国兵にひとつの朗報が入った。本国の帝国本隊が今日の昼前にはノシヨ川のほとりに到着するというのだ。なのでここの帝国軍はもうこここを死守する必要が無い、さっさと魔女に明け渡して撤退し、川を渡って本隊と合流してから、いよいよこの戦いの最終舞台の幕を開ける時が来たのだ。
だが、ここを魔法王国に明け渡すとなら、この地下の存在を残しておくわけにはいかない。もし滞在中に誰かが入り口を見つけたりして入られたら、そこにはヤラセ戦闘と帝国兵士との仲良しこよしの証拠が山盛りにあるのだから。
「でも、なんか寂しいわね」
ワストの言葉通り、この地下はエリア810の魔女と帝国兵の馴れ初めの象徴ともいえる場所だ。そこを潰すという事は、いわば愛の巣とはいわないまでも、わが家を失う事になる、とは言えるだろう。
「なぁに、あとはあの二人が上手くやってくれるさ」
「ステアとカリナねー。なんかあの二人、運命に愛されてる気がしない?」
「祟られてるの間違いだろ」
「そりゃそうだ」
ギアの軽口に笑いが巻き起こる。思えばあの二人は同時に810に配属となって、この場所でまさかの対面を果たしたのだ。若い二人の驚きと戸惑い、そしてテレと恋の応酬は、まさにこのエリア
そんな二人に、世界の命運を託すことになるのだ。なんとも楽しい事態じゃないか。
と、一人の老婆が魔法御王国側の入り口、
「あ、聖母様お疲れ様です」
「
心配そうに皆が声をかける。いくらリーン達に戦闘を任せられたと言っても、無人の戦車とゴレムの戦闘だけで騙せるとは限らない。なので聖母様が演出を加えて、よりリアルな戦いを見せつけてくれていたのだ。
「ええ、首尾は上々よ。さ、そろそろ終わりにするから。みんな帝国側の出口へ」
その時は来た。ついにここエリア810が魔法王国に、魔女たちの手に堕ちる時が来たのだ。そしてこの場所を埋めなけれないけない時が……。
全員が立ち上がり出口へと向かう。彼らと彼女たちのスキンシップはこれでしばらくお預けだ。でもまたきっと、その時が来ると信じて……
◇ ◇ ◇
ゴゴゴゴゴ……ズズズズズズ……
「な、何? 地震なの?」
「すごい地響き……火山とか!」
「聖母様やリーン達は、無事!?」
王国側の拠点にて、突然始まった地鳴りに魔女たちが青い顔で立ち上がる。天変地異の前触れかと思うような振動と轟音に緊張が走る。そして……
ズズウゥゥゥ……ン
まるで世界が陥没したかのような轟音と振動が響き渡る。そして……それで収まった。
「すぐに様子を見に行ってください」
「アタイが行くよ!」
女王の指令に四聖魔女レナが応え、ホウキにまたがって飛び上がる。が、すぐに彼女はこちらに向かって来るひとりの魔女の姿を見て、その人物に空中で合流する。
「ワスト! 何だ今の地震は……どうなった!?」
そう急き立てるレナに、ワストは笑顔でVサインを見せると、声を拡声する魔法を使って下の女王様に、そして一万人の魔女達に高らかに告げる。
――エリア810、奪取に成功しました。敵兵と忌まわしき鉄の兵器を、この地の底に沈める事が出来ました。彼らはやがてこの地の自然へと還るでしょう――
ややあって、魔女たちの鬨の声が、歓喜の声が上がる。次々とホウキで飛び立ち、帝国側の方に向かって行く。
「うわあ、森が完全に陥没してる……よくこんな作戦出来たわね」
「これでこの森は、いや世界は私たち魔女のものになるのね」
「さすが戦闘のプロよね、聖母様ばんざーいっ! 魔女ばんざーいっ!」
「「ヨイヨイヤァー・ヨイヨイヤァーっ!」」
羽虫の群れのように次々と飛び立ち、沈下した森の上空を飛んでいく魔女たち。最後に女王リネルトの乗る輿が、周囲の魔女達の力で持ち上げられ、戦場の跡を超えていく。
やがて森の反対側、帝国の野営地に降り立つ魔女たち。そこにはすでに敵兵の姿は無く、そこを接収した魔女たちが歓喜で女王様を出迎える。
もうここには帝国兵はいない。魔法の源泉と言われる聖地、エリア810はついに魔法王国の手に堕ちたのだ。
目の前に跪くマミーとリーンを労った後、魔法王国女王、リネルト・セリカは高らかに勝利を歌い上げる。
「ついに、この地獄と言われたエリア810が、私たちの物になりました。世界は、自然は、それを愛する私達の努力に、ついに報いたのです。ヨイ・ヨイ・ヤァーッ!」
――ヨイ・ヨイ・ヤァーッ!!!!――
そして、最後の幕が開く。
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