第58話 支配する力

 魔法王国本陣。先刻に続いて残念な報告を聞いた女王リネルト・セリカは、輿の上の玉座でふぅ、と息をつく。


 戦闘意欲満々なレナ・ウィックルのチームが帝国兵に蹴散らされ、ならばと人海戦術でミール・ロザリアのチームを加えた五千の大群は、敵の陽動作戦によりあえなく撤退を余儀なくされていた。


「面目次第もございません、恥ずかしながら完全にしてやられました、無念です」

「というかー、完全に相手の手の内よね。ここまでずっと魔法を使わずに戦ってきて、こっちの意識を兵器だけに振っておいてから魔法使って来るなんて、ねぇ」


 レナが無念そうに告げ、ミールはめげることなく敵の分析をする。事実ここまでは完全に作戦負けだ、敵の百倍に相当する人数を持ってして一方的に翻弄され続けるなんて考えもしなかった。


「ですが、敵は何故追撃をしないのでしょう。あの網に囚われていた人たちを尻目に、さっさと撤退したんですよね、帝国兵は」

 疑問を投げかけたのは同じ四聖魔女のリリアス・メグルだ。四聖魔女最年少ながら聡明な頭脳を持つ彼女(実は男)の言葉に、全員が「そう言えば……」と頭にハテナマークを浮かべる。


「男が魔法を使えるようになり、その勢いをかって帝国が我が魔法王国に進撃するとのウワサがあります。その増援を待っているのでは?」

 聖母魔女マミー・ドゥルチの言葉に、女王以下が「あ!」と理解する。ここの帝国兵たちは必要以上に兵力を浪費せず、武器弾薬を節約して本隊の到着まで踏みとどまる事が狙いなのか、と。


「ならば、ぐずぐずとしてはいられませんね」

 女王の言葉に、全員にぴりっ、とした空気が張り詰める。魔女の力を最大限に生かせる満月の今夜を逃せば、魔法の力は日一日と弱まり、敵は増援を呼んで強化される。

 なんとしても今夜、短期決戦でこのエリア810を奪還しなければ、魔法王国の未来は真っ暗だ。


「それなら、ワタシに任せてもらいましょうかねぇ」

 にこやかに手を上げてそう発したのは四聖魔女の一人、”暖かな夕餉の朱”、ルルー・ホワンヌだ。

 が、彼女の名乗りに周囲の魔女たちはざわつき始める。特に女王側近の若い精鋭部隊は「あのルルー様が?」と言った顔を隠せない。


 既に五十歳を過ぎているルルーは、一見どう見ても戦闘向きの魔女ではない。彼女は食や治療、そして健康面での功績が目立つ魔女で、戦闘での名声は皆無だった。

 ややふとましく温厚な性格、料理のお玉とエプロンが王国一似合う彼女が、あの帝国兵に対してどう戦おうというのだろうか。


「大丈夫、なのですか? 貴方には私たちの手当てや食事、健康管理という大事な任務があります。そんな貴方に万が一の事があれば……」

 女王の言葉に皆が心中で同意するが、ルルーは穏やかな笑顔で「大丈夫ですよ」と返すだけだった。


 誰もがその意見に不安を隠せない中、聖母魔女マミー・ドゥルチだけは冷や汗を流しながら、になる不安を渦巻かせていた。


(ルルーの本当の恐ろしさ。それは人を支配する力……あのコナランドの砦攻防戦の時の捕虜を残らず王国に帰化させた彼女の力を、もしここで使われたら!)


      ◇           ◇           ◇    


「敵、ゴレム四体、魔女の数、目視で約20名! 真っすぐこちらに向かってきます!」


 帝国の野営地に見張りからの情報が届く。全員が一斉に銃を手にして、そちらの方向に陣を構える。

 ちなみにこちらのスパイをやってもらっている聖母様やリーン以下810の魔女たちからは何の報告チクリも届いていない。ならばこの襲撃はさほど重要ではないか、あるいはこちらへの魔法の通信が困難な状況なのかのどちらかだ。

 油断なく射線を取り、周囲に伏兵がいないかを警戒しながら、向かって来る四体のゴレムとその周囲を飛ぶ魔女たちに照準を合わせ……


「な、なぁ。なんかいい匂いしないか?」

「あー、俺も思った。戦闘続きで腹減ってるしなぁ」

「っておい! あのゴレムが持ってるのって……まさか、鍋?」


 向かって来る四体のゴレムは皆、人型(と言っても古来の土偶みたいにずんぐりむっくりな体形だが)をした全長10mほどのもので、その両手にはまさに巨大な鍋やズンドウ他が持たれていて、そこから立ち上る湯気が美味なる香りとなって漂ってきているではないか。


――帝国の皆さーん、いったん休戦してお夜食などいかがですかー――


 魔法による声の拡声術でそう語りかけて来たのは、先頭のゴレムの肩に乗っかっている中年過ぎの魔女だ。なんとエプロンを羽織り、ゴレムが持つ鍋に何か香辛料のようなものを振りかけつつ、平然とこちらに近づいて来る。


「おいおいおい……受けるわけ無いだろンなもん」

「ミエミエのワナだよなぁ。毒とか睡眠薬とか下剤とか」

「あーでもうまそうな匂いだよなぁ、ある意味拷問だよな」


 結局そのゴレムと周囲の魔女たちは、そのまま帝国兵たちの目の前までずんずん歩いて来て、あっさりと包囲されるがままになった。


「初めまして帝国兵の皆さん。私は魔法王国、四聖魔女の一人で”暖かな夕餉の朱”、ルルー・ホワンヌと申します」

 四聖魔女の単語を聞いてざわっ、と色めき立つ兵士たち。見た目は穏やかなおばさんにしか見えない彼女だが、王国最高位の四聖魔女となれば話は別だ。ますますこの鍋はミエミエのワナにしか思えない。


「機械帝国、エリア810方面軍司令官、イオタ・サブラです。お初にお目にかかります……と言いたい所ですが、これはどう言うつもりですかな?」

 警戒を解かずにそう返す。仮にも戦争中に敵陣の真っただ中に大鍋を持ったゴレムと、いかにも料理人然とした20人ほどの魔女たちを連れてやって来るとは。こっちがその気なら一気に殲滅できる状態じゃないか。


「でも、その気は無いのでしょう? 先程も私たちの仲間を大きい網で捕らえたのに、誰も殺さずに逃がしてくれたじゃありませんか。この食事はそのお礼と思ってください」

「いや、食わんから」

「さぁみなさん、調理を始めて下さいな」


 会話がかみ合わないまま、魔女たちがそれぞれの鍋に取り付き、火をかけたり水を足したり、おタマで灰汁をすくったりして料理を進めていく。あのー、敵兵の目の前なんですけど。


 まぁ実は帝国兵の面々からしても本気で殺し合いをする気はない。あくまで激戦を演出した後、本国から来る増援とタイミングを合わせてノシヨ川まで撤退するのが狙いだ。

 810の帝国兵と魔女の仲良し組が総出で仕組んだ作戦。それを成功させるには、両国の国民が本気でお互いを憎み合ってしまうとよろしくない。なので極力彼女らを殺害するのは避けたいと思っている……んだけど、さすがにコレは、なぁ。


 そんな事を考えている間も彼女たちの料理は進む。ゴレムが袋に背負っていた大袋から大量の野菜を取り出して鍋にぶち込んでいく。

 別のゴレムが持つ鉄板が焼けて来た所で、魔女料理人たちがそのゴレムの頭部を細かく削いでいき、その肉片を鉄板でじゅうじゅう焼いていく。


「ゴ、ゴレムのステーキ……ゴクリ」

「あああああ……シチューのええ匂いや」

「隊長、魔法探知しましたけど、料理にも食器にも魔法の罠はありません……ングッ」


 目の前で美味しそうに出来上がっていく料理の前に、すでに半数が食べる方向に舵を切っていた。

 無理もない、彼らは今夜の戦闘が始まる戦闘が始まる少し前の夕方に、マズい保存食レーションをかじっただけなのだ。目の前でこんだけ美味そうな料理を見せつけられたら嫌でも腹の虫の大合唱が起こる。


「お、お前ら目を覚ませ! 魔法の罠が無くったって、睡眠薬とか毒薬とか自白剤とか混入してるかもしれないだろ」

「俺! 俺が毒見役やります、やらせてくださいっ!」

「いやいや俺がやりますって」

「隊長クラスがそんなんやってどーすんですか! ここは俺みたいな下士官の仕事でしょう!」


 ダメだ……完全に陥落してる奴が続出している。恐るべし四聖魔女ルルー・ホワンヌ。


「あ、もちろん毒見は私たちがやりますわ。さぁご一緒しましょう」


 しんがりのゴレムが持っていた巨大テーブルに、次々とご馳走が並べられていく。じゅうじゅう音のする鉄板皿の上で香ばしい煙を上げるゴレムステーキ。クリーム色に野菜の赤や緑の色が食欲をそそるシチュー。ふっくらと焼き上がったパンはそのまま食べても、シチューに浸して食べてもすごく旨そうだ。氷魔法で冷やされたデザートの氷菓は、周囲の料理の熱にも溶けることなく食事のシメを待っている。


 えーっと……戦場だよな、ココ。


「「「いただきまーす」」」


 結局全員がテーブルについて食事会と相成った。もちろんこちらが指定した皿を向こうの料理人魔女たちに回して毒見をしてもらったが、彼女らは何の抵抗も無くそれらを美味しそうに頬張り続けた。

 結局それを見た兵士たちは全員が陥落したという訳だ。


「うっま、めっちゃうっま!!」

「こんな旨いメシ食った事無ぇ~~」

「染みる……溶ける……圧倒的、美味っ!」

「ううううう……涙が出る、うまい、うますぎる」


 全員がその美味な食事に陶酔しきっていた。隊長クラスの何人かは責任感から、食べながらも周囲の警戒を怠らなかったり、食べるフリして向こうの出方を伺ってはいたが、何も無いので結局ご馳走に陥落してしまった。


 ちなみに帝国兵一人一人に憑りついているナーナ達もご相伴に預かっていた。と言ってもナーナたちはルルー以下魔女たちには見えないので、「良い食べっぷりねぇ、帝国の男性は」と感心するだけだったが。


「ごちそーさまでした!」

「めっちゃうまかった、ありがとな、ルルーさん達」

「あふぅ、満腹満腹」

「ああ、なんというシアワセ……」


 結局残さず平らげた帝国兵たちが、後片付けをする魔女たちをユルみきった顔で眺めながら呑気にお礼など言っている。

 だがそれも無理なき事。彼らが食べた食事はその人生で食ったどの食事よりも美味で満足感のあるものだった。とてもこの世の物とは思えないほどの陶酔感を持つのに、魔法や薬物などの反則効果は微塵も感じられなかった。

 

「帝国兵を代表してお礼を言います、美味しい食事をありがとうございました」

「いえいえ、たくさん食べて貰って嬉しいですよ」

 イオタがルルーに向き合ってそう告げ、ルルーは相変わらずの笑顔で返して来る。が、当然それだけで終わるはずはない。


 イオタは長銃を取り出し、その銃のルルーに向けると、険しい顔で彼女に問いただす。

「で、貴様の狙いは何だ?」


 銃口を向けなかったのは彼女たちへのせめてもの感謝の意志だ。だが敵である自分たちに魔女が無条件で料理を振舞うなどありえない。そこには当然裏の狙いがあるはずだ!


「もちろん、あなたたちの戦力を弱体化させることですよ、うふふ」


 その言葉にざわぁっ! と兵士たちが反応する。やはり罠? しかし体調に変化は感じられず、調理の一部始終にも毒見役をした魔女たちにも、怪しい動きは一切無かった。あの料理に細工がしてあるとはどうしても思えない!


「私の美食で、私に、もうから」


 それだけ言ってゴレムに乗っかり、森の向こうに去っていくルルー以下魔女たち。彼女らは皆笑顔で「じゃーねー」「まったねー」と手を振りつつ去っていく。



 そして、イオタは彼女の言葉を確かめるべく、積まれていたレーションの箱から小さな乾パンを手に取り、一口かじった。


「ぐぇっ! ま、マズい、食えたもんじゃないッ」

 普段から「食料を粗末にするな」と厳命しているイオタが、手にした乾パンを投げ捨てる。

 そのリアクションに驚いた帝国兵たちが、ごくり、とツバを飲み込んで……


「げぇっ、ま、まじい……自分のツバが?」

「水、水をくれ。口の中がキモチワリィ」

「ぶはぁっ!! なんだこの水、腐ってんじゃねぇのか!?」


 そう。彼らはルルー・ホワンヌの食事に魅了され、それ以外の物を


「これが……狙いか! やられたっ!」


 不覚に臍を噛むイオタ。毒も薬も、そして伏兵も必要なかったのだ。


 彼女の料理は味わった者の舌を極限まで肥えさせ、水やツバさえ飲み込めなくさせてしまう、驚異のだったのか!


      ◇           ◇           ◇    


 四聖魔女”暖かな夕餉の朱”、ルルー・ホワンヌ。彼女が名を馳せ、四聖魔女へと成り上がったのは、かつてのコラナンドの砦での大激戦において、大勢捕らえた帝国兵の捕虜を、その魔法料理で陥落させて王国に帰化させた功績ゆえであった。


 かの鬼軍曹、女嫌いのマルナレアをハーレム王に堕とし、『裏の頭脳』とまで言われたガイナ中佐を女達のアイドルにまで馴染ませたのは、他ならぬルルーにその胃袋を支配されたがためだったのだ。


 彼女はかつては料理に魔法をかけて魅惑の味を実現させてきたが、その後の長年の研究の末に、普通に食材と調理だけでそれを実現させるほどになっていた。



 その事実を知らなかった帝国兵は、完全にルルーの仕掛けた罠にはまってしまった。彼らはこれから少なくとも数日は、食料や水はおろか自らのツバさえ飲むことが出来なくなったのだ!

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