推しのアイドルが、おかしくなってた。
楓 しずく
前編
――動かないでね? これ、スタンガンだから
そう言って俺にスタンガンを押しつける彼女は、昔俺が推していたアイドルだった。
なぜ、こんな状況になっているのかは分からないが、ひとつだけ言えるのは、彼女がおかしくなっていたということだ・・・・・・。
◆◆◆
ある雨の日、買い物を済ませて家のマンションの鍵を開けようとした時に、背後から何かを突きつけられた。
「動かないでね? これ、スタンガンだから」
耳に入ってきたのは、女性の声だ。
震えながらも、その荒い息遣いで何やら興奮していることは伝わってくる。
「ゆっくりと、こっちを向いてね。抵抗は絶対しないで」
(はぁ・・・マジで勘弁してくれよ)
俺は、いたって普通の大学生だ。アルバイトをしながらこのマンションで一人暮らしをしている平凡な男だ。
そんな俺が、今どこの誰かも分からない女性からスタンガンを突きつけられて迫られている。
普通に迫られるのであれば、男としてそれほど羨ましいことはないが、これは明らかにヤバい系のやつだ。
(女性から恨みを買うようなことは、全く身に覚えがないんだけどなぁ)
ため息を吐いた俺は、ゆっくりと振り返った。
「久しぶりだね、大黒君!」
「えっ、美月さん・・・・・・?」
目の前に現れた女性は、俺が昔推していたグラビアアイドルの『
銀髪の長い髪に、月形の髪飾り。特徴的なアホ毛と、何よりも目立つそのHカップの豊満なバストは正真正銘の小白美月だ。
「私、ずっと君に会いたかったんだよ?」
そう言って美月さんは、俺の身体に擦り寄ってきた。美月さんの柔らかくて大きい胸の感触が伝わってくる。
(クッ、なんなんだこのシュチュエーションは! 推しだったアイドルに迫られるとかヤバすぎんだろ!?)
思わず顔を赤く染めながら、鼻の下が伸びかけていたが、チラっと視界に入ったスタンガンにハッと正気を取り戻す。
バチバチっと、美月さんが一瞬スイッチを入れて見せたところで、俺の顔色は一気に真っ青になった。
(畜生っ! スタンガンマジで怖ぇよ!!)
心臓の鼓動を高鳴らせながら、全身から冷え汗が出る。俺の身体は雨で濡れており、今スタンガンを喰らえば確実にアウトだ。
ただの脅しで、さすがに使ったりはして来ないだろうと思っていたが、美月さんの目を見た瞬間に俺は覚悟を決めた。
(あれは、マジでヤバいやつの目だ)
美月さんは、主にSNSで活躍しているグラビアアイドルで、俺がはじめて本格的に推していたアイドルでもある。
まだ、デビューしたばかりでほとんどフォロワーもいなかった時代から、定期的に撮影会にも参加していた。
だから、あの時の優しくて明るい美月さんの顔は今でもよく覚えている。
でも、今の美月さんは、あの時と比べてまるで別人だ。やつれた表情に生気のない瞳。だからこそ、推していた俺にはよく分かる。
小白美月は、おかしくなってる。
理由は分からないが、美月さんをここまで変えさせた何かがあったのだろう――。
「ねぇ、何で驚いてるの?」
「えっ?」
俺は思わず聞き返す。すると、美月さんは俺の顔を間近で見上げながら、その柔らかそうな唇を動かした。
「君が私のことをこんな風に変えちゃったんだよ? もしかして、自覚してなかったのかな?」
(え・・・えぇぇぇぇぇ!? 俺が原因なの――!?)
マジで意味が分からない。この状況を作りだした原因が俺で、美月さんをこんな風に変えたのもどうやら俺のせいみたいだ。
「あっ・・・ごめん、美月さん。俺、何かしたっけ?」
すると、美月さんの目が鋭くなった。俺のシャツがしわくちゃになるほど、その手を強く握り締めてきた。
「あなたには失望しました」
そう言ってバチバチっとスタンガンの電源を入れながら、美月さんは俺に近づけてくる。
「ちょっ、ま、待って! 美月さんごめん! 俺、ほんと分かんないからマジで!!」
そんな俺を見ながら、美月さんはスタンガンの電源を切ると、大きなため息を吐いた。
「・・・なんで、一年前から急に私のことを
そう言って、俺の顔を見る美月さんの目には、涙が溢れていた。
一年前――あぁ、もうそんなに経ってたのか。
それは、俺が小白美月というアイドルから
俺は、美月さんがまだ芽も出てない時からずっと応援してきた。SNSのコメントも毎日してたし、もちろん作品も全部買った。
撮影会がある日は、どんなことよりも最優先してたし、直接ファンレターも書いたりして俺に出来ることは全てやっていたと思う。
気がついた時には、美月さんのフォロワーはみるみる増えて、埋まらなかった撮影会もすぐに満枠になるほど人気が出ていた。
当然、美月さんに人気が出れば出るほど、昔みたいにコメントの返事をもらえなかったり、撮影会にも行けなくなったりする。
でもそれは、一人のファンとしてはとても喜ばしいことだし、それでも俺は美月さんを応援していた。
だけど、ある日気づいたんだ。
所詮は、アイドルとファンの関係。いずれは、俺なんか指一本触れられなくなるほどの距離が二人の間にはできる。
それは当たり前のことだけど、それが自分にとっての推しであればあるほどに、なんだか寂しくて胸が痛くなった。
「小白美月とは、もう卒業かな」
ある日、俺の口――いや、心からその言葉がこぼれ出た。
もう、俺が一生懸命推さなくても、美月さんには十分過ぎるほどのファンがついてる。
それに、これ以上美月さんと深く繋がろうと思えば思うほど、気持ちの後戻りが出来なくなる。
「陰ながら、一人のファンとして支えよう。それがきっと、美月さんも望んでいることだ」
だから、俺はその日から小白美月に関わるのを一切止めた。作品が出た時にだけ買う。そう、それくらいの距離が一番いいんだ――。
「だから俺、美月さんから卒業したんです。それが美月さんにとってもいいかなって・・・・・・」
「・・・なによ、それ・・・・・・」
美月さんは、俺のシャツを掴んでいた手を離した。
すると、マンションのエレベーターから他の住人が降りて来た。こっちに向かって来ることに気づいた美月さんは、急に抱きついてきた。
「ちょ、美月さん!?」
「いいから、君も抱きしめて。じゃないと、ビリっとさせるから」
そう言って、俺の脇腹にスタンガンを押しつけてくる。俺は、いろんな思いで息を呑み込むと、震えながら美月さんを抱きしめた。
マンションの住人は、俺達をイチャついてるカップルだと思ったのか、顔を赤く染めながら軽く咳払いをして通り過ぎて行った。
(畜生。こんな、世界一ときめかないハグがこの世にあるのかよ・・・・・・)
俺は、嬉し涙とも悲し涙とも言えない涙を流した。
「あの・・・美月さん、もう人いないで離してもいいですか?」
「ダメ。まだ、離さないで」
美月さんは、ずっと俺の胸に顔を埋めている。声には出さないが、多分泣いてる。玄関のドアに寄り掛かりながら、俺は天井を見上げた。
(なにやってんだよ俺は・・・・・・)
目の前の状況に、吐き気がしてきた。
理由はどうであれ、美月さんをおかしくしてしまった原因は俺だ。
推しの笑顔が見たくてずっと推し活をして来たのに、結果はスタンガンを手に持たせ、自分の胸の中で泣かせてしまっているのだから。
バカだよ、ほんとに。
俺は、そっと美月さんから手を離した。
そして、美月さんの涙を手で拭って、真っ直ぐ見つめる。
「美月さん、渡したいものがあります」
――――――――――――――――――――
【あとがき】
はじめまして、そしてお久しぶりです!
カクヨムコン向けの短編新作です!
初参加なので【フォロー】と【★レビュー】していただけると、今後の励みになります!
よろしくお願いします!
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