第30話
※
ひどい地震にでも見舞われたような街路で、桐生は意識を取り戻した。
腕が無事なのを確認し、頭部に当ててみる。出血しているが、致命傷ではないようだ。
「お、俺たちは……」
自分たちはどうしてしまったのか。それを思い出すには、しばしの時間が必要だった。
「ティマ……。そうだ、ティマ!」
桐生は勢いよく頭上の瓦礫を押し退け、立ち上がった。
「ティマ、どこだ? どこにいる? 聞こえているのか? 返事をしろ!」
片耳にイヤホンを装備していることも忘れ、桐生は大声を張り上げた。
確かティマは、川崎の有する人工衛星を撃破すべく、超強力なレーザー砲を撃ち放ったのだ。大丈夫かと声をかけたいが、肝心の相手がいない。
「いてっ……。ちょ、ちょっと、桐生くん?」
「あっ、咲良さん! ティマを探してください! どこにもいないんです!」
咲良は憮然とした。まずはバディの無事を確認すべきではないのか。
しかし、そんな苛立ちもすぐさま消え去った。
桐生にとって、ティマは妹も同然なのだ。兄弟姉妹のいなかった自分には、想像できないおもりを引き摺って日々を送ってきたはず。
その心理的苦痛を訴える桐生。口にせずとも察しはつく。そんな彼に『お前は亡き妹を追いかけているだけだ』と言い放つことは、咲良にはとてもできやしなかった。
「桐生くん、ティマを捜索してちょうだい。あたしは、幽琳と羽場さんの安全を確保しないと」
そう言ったものの、桐生の耳に届いてはいないだろう。見晴らしが利くように、瓦礫の山によじ登っている。
「ティマ……。ティマ、どこだ!? ティマ、答えてくれ! いったいどこに――」
手でメガホンを作って、桐生は声を張り上げる。それを遮ったのは、眼前に展開された大きなクレーターだった。
「……何だ、これ……」
ティマの全身全霊をかけたレーザー砲。照射時間は五秒ほどだったはず。その間にこれほどのクレーターを造ってしまうとは、どれほどの爆風に見舞われたのか想像もつかない。
呆然と立ち尽くす桐生。まさか、ティマはエネルギーを供給できなくなって、壊れて……死んでしまったのだろうか。
そう思うや否や、桐生は自分でも驚くほどの勢いで崩れ落ちた。膝立ちのまま、落涙することすら許されず、ぽかんと口を開けているしかない。
そんな時、桐生の視界の端で、何かが輝いた。
「……ティマ?」
どうやら、大きな板状のコンクリート片の下敷きになった何者かが、腕を突き出して発光信号を送っているようだ。
本来なら警戒するところを、桐生は自動小銃すら投げ捨てて駆け寄った。
「ティマ、大丈夫か!」
「……き、りゅう……じゅんさ、ぶちょう……」
「階級なんてどうでもいい! 今助けてやるからな!」
当然ながら、それは言うほど簡単ではなかった。
二メートル四方のコンクリートの塊と化した板をどかす。重機がなければできない芸当だ。
「ぐっ……。くそっ!」
桐生は勢いよくコンクリートを蹴りつける。じんわりとした痛みが全身に広がっていく。
その痛みには、自戒の念もあった。結局自分は、家族の命すら救えないクズ野郎なのだと。
その時、後方から思いがけない声がした。
「桐生くん、どきなさい!」
「さ、咲良さん……」
「どいたどいた! それから幽琳! 急いでこっちに来て! 羽場さんは、専属メカニックの所在を調べてください! ヘリのチャーターも頼みます! 急いで!」
あまりの歯切れのよさに、桐生は圧倒された。
咲良が誰に、何を要請したのか。それは、今のヒートアップした頭では考えられない。
だが、咲良が凄まじいリーダーシップを発揮していることは確かなようだ。
「お呼びですか、お姫様!」
「幽琳、遅い! すぐにこの瓦礫をスキャンして! あんたの小細工道具だったら、そのくらい楽勝でしょ?」
「へいへい、お安い御用で」
幽琳は、ヘイトを買いかねない言葉で応じている。しかし、咲良も幽琳も真剣であることは、桐生にも痛いほど伝わってきた。
遠くから羽場の声が聞こえてくる。しかしこちらでも負けないくらい、大きな音がしていた。幽琳の携行していた小型のスキャナーでは、瓦礫の向こう側までを透視するのは困難だったのだ。
桐生はティマの左手を掴み込んで、自らの額に押し当てた。
「ティマ、すぐに助けてやるからな。もう少しの辛抱だぞ……!」
そのまま時間は流れ、この異様な空気に誰もが肩を落とし始めた、その時だった。
「スキャン完了! どこにどれほどの威力の弾丸を撃ち込めばティマを救出できるか、結果算出完了まであと二十秒!」
咲良は腕を組み、左足を曲げたり伸ばしたりをし始めた。
「ここ!」
幽琳が叫ぶ。そこには、スキャナーで緑色のマークがつけられていた。
「二人共、下がって」
咲良はひどく落ち着いた声音でそう言って、左膝をぐっと瓦礫に押し当てた。
その直後、ゴドン、という鈍い音がして、ティマを押さえつけていた瓦礫は木端微塵となった。
「ティマ!!」
首輪を外された狩猟犬のように、桐生はティマに駆け寄って両頬を掴んだ。
艶のあった頬には血が滲み、その上から黒い煤が塗り込まれている。
身体制御に問題があったのか、両眼はガタガタと震えている。
右腕にいたっては、右肩の付根から完全に失われている。無理もない。
「ようし……。ヘリの手配が済んだ! 十分後に到着予定! 総員、頭上からの瓦礫の崩落を警戒しつつ、九時方向に百メートルだけ移動する!」
最早、復唱するだけの余力はほとんど残っていなかった。
それでも、桐生はすぐさまティマを引き上げ、左腕を自分の肩に回した。片腕でおんぶするのは一苦労だったが、それも最初だけ。ヘリの到着予定地点の中ほどまで来る時には、既に慣れてしまった。
ん? 人員輸送ヘリにしてはキャビンが大きいな……。
「ティマを最優先で搭乗させろ! 担架、準備はいいか!」
今度はきちんと、羽場が指揮を執っている。
ああ、そうだ。あのヘリが大型なのは、きっと医療設備を内設しているからだ。
そこまで運んでやれば、ティマは元気になる。
着陸したヘリの回転翼が、再び砂塵を撒き散らす。が、そんなことは桐生にとって何の障害にもならない。キャビンから、担架を展開させながら兵士が二、三人降りてくる。
「桐生賢治・巡査部長ですね? 羽場警視から報告は受けています。彼女をキャビンに運び込んで、陸軍直轄の医療センターへと搬送します」
「はッ、ありがとうございます!」
桐生はやっと、まともに呼吸をした。危うく過呼吸にでもなるところだった。
「正規の軍属の中で、重傷の方は?」
「いえ、問題ありません」
そう答えたのは、いつの間にかそばに来ていた羽場だった。
「兵士三名、民間人一名、全員軽傷です」
「了解しました。二号機と三号機のヘリが、もうじき到着します。それに搭乗して、警視庁に出頭を願います」
「了解」
と、羽場が答えた、まさにその時だった。
爆音と金属片がひしゃげるような轟音が轟いた。
皆の視線がそちらに向かう。桐生がのろのろと皆と視線を合わせる。そして、その頃にはヘリが一機、一号機が見事に撃墜されていた。
きゃあっ、と聞こえたのは、おそらく咲良の悲鳴だと思う。だが、悲鳴が誰のものかなど、桐生にはどうでもよかった。
桐生の脳裏にあったのは、ティマの安否への気遣いではない。
今、あのヘリを撃墜した犯人に対する、真っ黒な憎悪だ。
振り返ると、リモⅡが僅かに上半身を浮かせていた。ティマのレーザー砲のように、僅かにその軌道が輝いて見える。リモⅡを倒すには、シャフトを破壊するだけでは足りなかったのか。
リモⅡはその姿勢のままで、本来なら頭部が存在する部分のハッチが展開された。
よじ登ってきたのは――。
「こちら川崎徹次・一等陸佐! 目標ナンバー01を破壊することに成功した! ナンバー02は既に撃破を済ませている。作戦は成功だ!」
※
何をすべきか。何を言うべきか。川崎の罪は、どの程度のものだろうか。
咲良の明瞭な頭脳は、冷静に現状を分析していた。
だが、はっきりとした今後の展開が思い浮かべられない。
自分は桐生ほど直情的に行動できる性質ではない。
ティマが殺されてしまったのは分かる。犯人が、全身血塗れになりながらも高笑いをしている川崎だということも。
今現在の桐生のことを思うに、自分の方が、ぐしゃり、と心臓を握り潰されたような感覚に陥る。
それでも、暴走した桐生を止めなければ……というくらいの解析はできる。
桐生は上方の川崎に向かい、滅茶苦茶に拳銃を乱射していた。
あれでは当たらない。相手が身動きしていないとしても。
それを承知の上なのだろう、川崎はにやりと口元を歪め、胸元に装備した手榴弾を一つ取り外した。
「桐生くん、待ちなさい! これ以上は……!」
と言いかけて、咲良は言葉を切った。
手榴弾のピンを外した川崎が、それを抱きしめるようにしながらハッチを閉じ、滑り込んでいったのだ。
ぐぉぉん、とくぐもった爆音がする。
この状況……。川崎は死んだと見ていいのだろうか。まさかの勝ち逃げとは。
自動小銃を構えたまま、視線を桐生の方へ。
だが、今の咲良には、桐生のことを凝視するほどの無礼さはなかった。
四つん這いになり、涙やら鼻水やらを垂れ流しながら、桐生は連呼していた。――美知留、と。
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