第16話
※
意識が戻るや否や、桐生はがばりと上半身を起こした。
目の前では、幽琳があたふたしながら歩き回っている。
「幽琳さん! み、皆は!? 無事ですか!?」
「あーもう、ちょい待ち! 今忙しいのよ! あなた、この部屋の緊急脱出口、知らない?」
「え? うちにそんなものが?」
「まあ、そうなるわよねぇ……」
幽琳は上を向いて、手を自分の目元に遣った。
セーフハウスを使うにあたり、何らかの秘密の通路を配しておくのは鉄則だ。しかし、もし自分がその在処を知っていたら。そして敵に捕縛され、自白させられたとしたら。
ジンロウ部隊の想定する敵、それは言うまでもなく、人類に反旗を翻したロボットたちだ。少しでもボロを出せば、あっという間に秘密の通路が特定され、潰されてしまう。
だったら最初から知らない方がいいのではないか、という考えに従い、ジンロウ部隊では各員にセーフハウスの場所を教えていない。部屋の主ではなく、そのボスが一括管理しているのだ。
また、きちんとした脱出ルートを確保できているわけではない、ということも理由になっている。ジンロウ部隊に割り振られる予算は、毎年厳しくなってきている。
そんなことは承知の上だったのだが、予想外の出来事も現在進行形で起こっている。
敵の襲来が早かったということだ。その一言に尽きる。
それなら、このセーフハウスに辿り着いてからすぐに脱出ルートを把握すべきだった。
その手段を有しているのは、この部屋の主である自分だけだ――そんな考えに至り、桐生はぎゅっと唇を噛みしめた。
しかし、現在のところそれは大した問題ではなかった。何せ、皆は戦闘継続中である。自分が気を失っていた時間は、そう長くはないはず。
素早く腰を上げ、桐生は幽琳に迫った。
「とっ、ところで、現在の状況は!?」
すると幽琳は、こちらを一瞥することもなく、さっと何かを放って寄越した。卓球で用いるボールと同じくらいの大きさだ。
ボタン状の部分を指で押し込むと、自分の眼前に立体映像が展開された。
「最寄りの監視カメラの映像。まだ生きてるやつがあったから、そこから引っ張ってる。誤差は一・五秒といったところね」
再び映像に目を遣ると、外から機関砲の唸りが響いてきた。
監視カメラは、音声は拾っていないようだ。だが状況を知るために、ほぼ真上からの視界が得られるのは有難い。
それに見入りながら、桐生は急いで口を動かした。
「お、俺はどのくらい――」
「ざっと四、五分ってところかしらぁ? 自分の気絶していた時間を知りたいなら、こんな答えしかあげられないけど」
しまった。思ったよりも気絶していた時間が長い。
焦りから、何も言わずに火器ラックに駆け寄る桐生。しかし、
「やめな!」
今までにない、幽琳の鋭い言葉。反射的に、桐生は自動小銃に伸ばした腕を引っ込めた。
「今あんたが馳せ参じても、足手まといになるだけでしょうよ」
「そんな!」
桐生は自分の胸に手を当て、叫んだ。
その気力が発揮されたのも束の間。幽琳に見つめられていることを察した途端、その勢いは空気の抜けゆく風船のように萎んでしまった。
自分とゴーレムの間で、どんな戦闘が繰り広げられるかを想像する。しかしそのどれもが、芳しい成果を提示してはくれなかった。
「俺は無力だっていうのか……」
どん、という鈍い音を立て、桐生は両膝をついた。そのまま俯き、固まってしまう。
その顎が、無理やり上を向かされた。いつの間にか迫っていた幽琳が、桐生の顎を掴んで斜め上方を見させている。
「馬鹿言ってないで、ちっとは我々のすべきことをしなさい! ほら、立って!」
「な、何を!?」
「これ!」
とん、と自分の胸に何かが押し当てられる。これまた立体映像機器だったが、今見られるのは静止画像だ。
空中に展開されたのは、入力項目が二つとキーボード。このキーボードも立体映像だが、触れればきちんと感覚がある。
「あんたのデバイスの入力画面。脱出ルートがどこかに記載されているから、探して頂戴」
「でも、俺は機械音痴で――」
「いいからやりなさい! でないとさっちゃんに――咲良警部補に言いつけるわよ、あんたがわたしのお尻触ろうとしたって!」
「はっ、はあ!?」
「ほら、急いだ急いだ!」
何が何だかよく分からない。しかし、咲良に釈明することと比べたら、それはずっと容易なことに思われた。
頭を捻り、どうにか設定時の文言、数字とアルファベットの羅列を思い出そうとする。
が、上手くはいかなかった。何らか処置を受け、敢えて思い出しづらくさせられているのではないか。
桐生がそう思ってしまうのも無理のないことだった。
そういう脳や意識といった物事を考えるならば、恐らくウェリンに任せるのが適切なのだろう。
だが、一つ不可解なことがある。
もしウェリンの助けが要るとすると、自分がこのセーフハウスにロボットを招くということになる。
いつ敵になるとも分からない、無機物から成る存在。
そんなものを同伴させるというなら、セーフハウスとしてのこの部屋の価値は無に等しい。
「くそっ、どうする……?」
「けんちゃん、まだなの?」
「待ってください! これはどうすれば……」
その時だった。部屋の隅で、何かが蠢いた。
「うっ!?」
慌てた桐生は拳銃を抜きかけたが、その正体は脅威でも何でもなかった。
「なんだ、ティマか……」
体育座りをして、西洋人形よろしく身動きせずにいたはずのティマ。
だが、その姿にはどこか歪なものがあった。
無感動な瞳、すっと通った鼻筋、真一文字に結ばれた唇。これは、出会った時から変わっていないように見える。
何が違うのだろう? 桐生が首を捻っていると、ティマはその前で立ち止まった。
「ん? あ、どうした?」
どこか焦点の合わない瞳を見ていると、凄まじい振動がセーフハウス全体を揺さぶった。
ゴーレムが跳躍し、ウェリンを振り落とそうとした時のことだ。
桐生と幽琳が叫び声を上げる中、ティマだけが沈黙を保ち、ゆっくりと身体を九十度旋回させた。そこにはセーフハウスの、防弾素材でできた内壁がある。そのさらに向こうでは、咲良とウェリンがゴーレムと戦っている。
「何をする気だ、ティマ?」
ちょっとした寒気を覚え、桐生はひっそりとティマに声をかけた。反応はない。
代わりに、ティマは自らの右腕をもたげた。すっ、と、まるで自らの意志など微塵もないように。
何をしようとしているのか、桐生には見当もつかない。
そんな彼の前で、ティマの右腕はバラバラになってしまった。
「おっ、おい!?」
「ちょっとけんちゃん! 何をやって――って、ティマ!?」
慌てふためく桐生と幽琳。だが、事態はそう単純ではなかった。
確かにティマの右腕は細分化されてしまったが、部品が落下するようなことは起こらない。
逆に、右腕を構成していた時よりも、血の通った、喜び勇んでいるような気配さえ感じられる。
そんな右腕とは無関係に、ティマは黙したまま。
しかし、彼女の、そして事態を見守る桐生の眼前で、右腕の部品たちに異変が起きた。
右腕の部品が、かつて右腕があったであろう空間で飛び始めたのだ。単に浮いているのではなく、明確に何かを形成しようとしている。
ほんの僅かな間を置いて、部品のパージされた右肩を、ティマはすっと水平に伸ばした。その先では、今もウェリンが戦っている。
ティマの『狙い』は彼ではない。ゴーレムだ。ぐるぐると同心円を描くように、右腕の部品が空間に線を描き始める。
ぽっと、微かな灯りが生まれた。ティマの右肩にだ。
それは段々と右手の先端にあたる空間へ伸びていき、より細い線を描くように鋭利になっていく。
ティマ、お前は何をしようとしているんだ?
そう問う間もなく、桐生は本能的に飛び退いた。もしあと一秒でも遅れていたら、桐生は大火傷を負っていたかもしれない。
「な、何だ!?」
「ちょっとけんちゃん! これ、何がどうなって――」
ようやく事態に気づいた幽琳が、顔を腕で守りながら並び立つ。
まさにその瞬間。
ティマの右腕が青白い爆光を帯び、そして空を切り裂く閃光となって、部屋の外壁を薙ぎ払った。正確には、一瞬で蒸発させた。
閃光はますます鋭利になり、ゴーレムの胸部に直撃し、何の苦も無く貫通した。それはまるで、熱したバターを扱うように。
そして軽々と、ゴーレムを機能不全に陥らせた。
「な……!?」
呆然とする桐生と幽琳。
二人を落ち着かせようとでもいうのか、ティマの右腕は即座に部品たちによって再構成・補完された。
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