第3話

 走っている間に、桐生がさっと視界を横切った。

 流石にあいつほど速くは動けないか。年のせいだろうか。

 咲良の脳裏に『引退』の文字が浮かぶ。だが、彼女とてまだ二十代後半である。そう簡単に、他者に警官としての実力を明け渡すような年ではない。異常なのは桐生の方だ。この二人の間にだけ、自覚がないのが問題なのだが。


 とにかく桐生を援護しなければ。しかし咲良も、桐生同様に拳銃しか持たされていない。もどかしい限りだ。遠距離から敵の気を引く、という作戦が取れない。


 咲良は舌打ちを一つ。ちょうど小原が視界に入って来た。上下左右に死線を飛ばし、敵の出現に備えている。

 咲良もまた、迎撃のために照準を視線と合わせる。その時だった。


 廃ビルの窓ガラスが、一瞬ではじけ飛んだ。建物一階で、何らかの生物が出てこようとしている。それも、人間よりも巨大なタイプが。

 皆がさっと腕を翳し、ガラス片やコンクリートの砂塵から身を守る。

 その隙に、建物内部にいる『何か』が、のっそりと蠢き出した。


「こいつは……」


 次の瞬間、外壁の一角が崩れ去り、怪物の外見が露わになった。

 登頂高はざっと三メートル半。全長二メートル強。イグアナのように、鱗で全身が覆われている。動き方はのっそりとしていて、象のような重量感を連想させる。


 こんな奴が暴れ狂っていたのか。その姿を認め、皆が化け物を注視する。

 ゴオオオッ、と息を吸い、キリキリキリッ、と甲高い轟音を吐き出す。そんな、明らかに自然界では聞かれないであろう雄叫びに、危うく咲良たちは突き飛ばされるところだった。

 衝撃波、いわゆるソニック・ブームだ。雄叫びの第二波、第三波が次々と襲いかかってくる。


「おい皆、大丈夫か!」


 辛うじて声を上げ、状況確認を試みる咲良。先遣隊の中には、吹っ飛ばされて死傷した者がいるかもしれない。


 これ以上、あの雄叫びを受けるわけにはいかない。咲良は寝そべって、自分の頭上に両腕を置いた。幸い、第四波は回避することができた。

 素早く状況を認識しようとして、しかし咲良は血の気が引く思いがした。自分の頭上を、誰かの四肢が飛び去って行ったのだ。


 嫌な汗が背筋を撫でていくのを感じつつ、咲良は腹這いのまま前方に視線を戻した。

 そこに展開されていた光景は、しかし単に暴力的なものではなかった。もっとグロテスクで、目を逸らしたくなるような光景だ。


 怪獣が大きく、がばりと口を開いた。それこそ人間でいうところの、耳まで裂ける、というほどに。


「ぐっ!」


 誰もがさっと目を逸らした。そして眼前を腕で覆う。味方が敵に食われる場面など、誰だって直視したくはない。


 敵はまた吸い込みを仕掛けてくるかもしれない。咲良はフックのついた太い縄を取り出し、そばにあった配管に結びつけた。

 敵はと言えば、ごろごろと喉を鳴らして食事を終えようとしていた。


 誰かの足をごくり、と呑み込む怪物。まだ足りないとでも言うかのように、ぎょろぎょろと目玉を動かす。


「何をやろうってんだ……?」


 誰もが皆、一気に身を潜めた。コンテナの後ろ、クレーンの基盤の陰、旧海浜公園にある腐った木々の隙間。


 次の吸い込みがいつ来るのか。その恐怖で、皆の動きが鈍る。

 せめて自分の面倒は自分で見なければ。咲良は素早く拳銃の弾倉を交換した。身体を横に転がし、できるだけ何かの陰に入るように調整する。

 ゆっくりと顔を覗かせると、そこにはさらに異形の気配を纏った怪物がいた。


 頭部、口吻部の先端に亀裂が走り、より気味の悪い形に展開されたのだ。

 四方向にがばりと開く。その内側には、無数の牙がやすりのように並んでいる。


 あまりの気色悪さに咲良は吐き気を覚えた。だが、嘔吐する前に耳元のイヤホンに通信が入った。


《咲良警部補、聞こえるか? 俺だ。羽場敏光・警視だ。作戦を終了せよ。繰り返す。作戦を終了せよ》

「羽場さん? 羽場さんだな?」


 のっそりと自分の執務机に向かう、恰幅のいい初老の男性の姿がよぎる。


「どうして作戦終了なんだ? まだ怪物は生きてるぞ!」

《儂にも何がどうなっとるのか、把握できていないんだ。とにかく、現場の防衛線から皆を退避させよとのことだ》


 それを聞いた咲良は、コンテナの陰からそっと顔を覗かせた。

 怪獣は口を開いたまま。だが、先ほどとは大きく違う点がある。


 虹色のオーロラ状の光が、怪獣の周囲に漂っているのだ。

 なんだこれは、と言いかけて、しかし咲良の呻き声は誰にも届かない。

 さっと頭を引っ込ませ、皆の状況を確認する。


 ほぼ全員が全員、怪獣の新たな攻撃方法を見測ろうとしている。それしかできない。

 すると、怪獣は深呼吸でもするかのように猛烈な風切り音を立てて光の膜を吸い込み始めた。


「何をやろうってんだ?」


 咲良が身を翻そうとした、まさにその時。

 何かが戦場に飛び込んできた。


「っておい、桐生? 桐生なのか!?」


 まさかの相棒の登場に、今度こそ咲良は愕然とした。

 イヤホンからの通信が勝手に切り替わり、桐生の声が割り込んでくる。


《皆さん、取り敢えずその場に伏せて! 合図しますんで、そうしたら化け物の口内に思いっきり弾丸を撃ち込んでやってください!》

「何を言ってるんだ、お前!? そもそもいったいどこに――」

《んじゃっ!》

 

 咲良の問いかけすら無視して、桐生は無線を切った。

 少しずつ甲高くなっていく謎のエネルギー音。空気を圧縮して爆発的エネルギーを生み出し、人間たちを皆殺しにするつもりなのか。


「させるかよ!」


 クレーンから釣り下がったワイヤーを握り、リュックサックを片手に握らせている。


「馬鹿! 何をやってるんだ、貴様!」


 咲良の怒号もどこへやら。ぐわん、といって桐生の小柄な体躯が揺れていく。

 そしてまさに、怪獣の口元に到達した桐生は、握っていた何かをひょいっ、と怪獣の口に投げ込んだ。


 怪獣は特に気にも留めず、深呼吸を続けている。それをいいことに、桐生は綺麗に手を離し、すたん、と見事な着地を決めた。

 だが、現在進行形の戦闘事態の前に、咲良には桐生を叱責する余力はない。あとは帰ってからだ。


 怪獣は、ついに動きを再開した。のっそりと首を曲げ、そのままのけ反ったのだ。上方向を見上げるように、あるいは雄叫びを上げるように。

 口元から真っ白なスパークの輝きが覗く。殺人光線でも放射するつもりなのか。


「マズい!」


 今度こそ来るな。そう判断した咲良は、単独で自動小銃を手に立ち上がった。

 パタタタタタタタッ、と軽い音と共に、無数の弾丸が怪獣の口内へ撃ち込まれていく。

 どこから飛んできたのか。周囲を見回すと、太い鉄柱が地面に刺さっている。そこに掴まっているのは、誰あろう桐生だった。左腕全体を使って鉄柱にしがみつき、右手に握らせた火器弾薬を怪獣の口に放り込む。


「でやああああああっ!」


 ――成功した。

 怪獣はこれでもかと火器弾薬を咥えさせられて、さも不愉快そうに首を振っている。


 桐生の意図に気づいた咲良は、怪獣の口部を狙って発砲を続けた。弾切れを起こし、一旦コンソールの陰に入って弾倉を交換。念のため、使用済みの弾倉は捨てずにリュックに放り込む。


「こちら先遣、各隊へ通達。目標頭部、いや、お待ちを……」 


 通信係から機材を引ったくり、桐生は地上の部隊にも聞こえるような声を張り上げた。


「奴の口にも火器弾薬が十分詰まっている! 皆、あれを狙うんだ!」


 本気を出さなければ絶対に負ける。根拠はない。だが、そうやって背水の陣を敷くべきだ。

 桐生の言いたいのは、きっとそういうことだろう。咲良には容易に想像がついた。

 一方怪獣は、ゴォン、ゴォンと鈍い地鳴りのような音を立てている。地団太でも踏んでいるかのようだ。


 咲良は急いで桐生に向けて、無線越しに叫んだ。


         ※

 

《桐生、二十秒以内に離脱しろ! お前までハチの巣にされちまうぞ!》

「了解、っと!」


 器用に地面に下り立った桐生。そのまま前転し、やや離れた巨木の陰に引っ込んだ。

 その直後、待ってましたとばかりに、咲良たちが弾丸を喰らわせた。凄まじい勢いで、無数の弾丸が怪物の口内に殺到する。


 ほっと桐生が胸に手を当てて深呼吸を繰り返していると、咲良が鋭い声で彼の名前を呼んだ。匍匐前進で進み寄る。


「拳銃はもういいから、こいつを使え!」

 

 咲良が、両手で捧げ持つかのようにして小振りの自動小銃を差し出す。


「こ、これは?」

「拳銃はもうじき弾切れだ。桐生、お前もこっちを使うんだ」

「は、はッ! おっと……」


 この一連の流れを見て取った桐生は、自動小銃を手にしてよろめいた。

 その重さに驚いたわけではない。そのくらい、自分だって訓練を受けている。


 ではなぜ、よろめいたのか。理由は単純で、実戦で自動小銃を使うのが初めてだったからだ。


 有効射程も殺傷性も拳銃の比ではないことから、誤射するのではないかという懸念もある。

 とは言いつつも、桐生とて黙って見物を決め込むつもりはない。

 訓練通りにやればいい。自分なら大丈夫だ。自動小銃の扱いくらい、訓練中に叩き込まれている。


 桐生が一度深呼吸をしかけた時、すぐ後ろにならんだ重火器担当の隊員たちが、一斉に射撃を開始した。


「くっ!」


 桐生は慌てて腹這いになった。

 自分の功績を上げるなら、そしてもっともっと怪獣を駆逐していくためには、速攻で眼前の獲物を駆逐するしかない。


 作戦中は無理に考えを抱く必要はない。後悔する時間は、これから何度もある、

 配属直後に、桐生が咲良から教わったことだ。

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