1-3


 放課後、いつも通りに物理室に赴けば、そこには伊万里しかいなかった。


 それもそうだ、と思い返す。ルトについては別に名前を置いてもらっているだけで、彼がここに来る直接的な理由にはなりえない。


「まあ、そんなことだろう、って思ってましたけどね」


 彼女は少し不貞腐れたように、俺が来るとそう呟いた。


 彼女にもあらかじめ、というかルト当人が吐いた『あまり来れない』という言葉を聞いていたはずなのだが、伊万里はそれについて納得はしていなさそうだ。理解はしていそうだけれども。


「いいじゃないか。科学同好会の存続の危機は一応去っているんだから」


 俺がそう言うと、彼女は「そうですね」と冷たく返して、空を見つめる。よくよく彼女の姿を観察してみれば、いつも手元で遊ばせている物理室のおもちゃのようなものには何も触れていない。


 それは異常なことだった。


 この時代に珍しいというべきなのか、携帯を持たない彼女は物理室にあるものを触って暇をつぶしている。飽きればノートを見返したり、もしくは図書室で借りてきたらしい本を眺めたり。


 そうやって時間をつぶしているのに、今の彼女は何もしていない。


 最初に彼女を屋上で見つけたときの表情と、今の彼女は同じ顔をしている。


 どこか、期待を失くしているような表情。おもちゃを取り上げられた子ども、というよりかは、ねだってもおもちゃを買ってもらえなかった子どもが、納得を心に落とし込もうとしているような、そんな悲愴を噛み殺すような表情。


 ……俺は、彼女が科学同好会というものが成立していれば、それだけでいいのだろう、と勝手に思っていた。


「何か、やりたいことでもあったのか?」


「……別に、大丈夫です」


 全く大丈夫じゃなさそうなのに、彼女は無理に笑って、そう答える。


 その姿は、どこか昔の自分を見ているようで心が痛く感じる。


 だから、勝手に俺は彼女との最初の出会いを思い出していた。





 昼食の食べ処を見つけ出した翌日、俺は適当に屋上に昇って食事を摂ることにした。


 屋上の居心地がいいわけではない。なんなら食べる上では、整備されていない屋上よりかは、屋上の階下にある踊り場の方が優れている。でも、どうせなら屋上で食べてしまいたい、という欲望が少なからず俺の心を占有していた。


 屋上の扉を開けた。


 その時、ルトはいなかった。俺という存在を警戒していたのかもしれない。煙草をふかしている姿を想像して、そうしてゆっくりと想像と現実の乖離に息を吐いた。


 扉を開けて、一気に広がる空間の大きさに、未だになれない距離感を反芻して、俺は一歩踏み出す。


 どこか滑りそうなほどに埃がわだかまっている床を踏みしめて、改めて景色を見渡す。


 そんな時だ。彼女と出会ったのは。


 同学年を示すように、赤色のタイを胸元で締めている。短くまとまっている髪は、高所だからこそ吹くちょっとした強風に揺れていて、彼女の表情は露になっていた。


 ひどく、悲しそうな顔。もの悲しそうな顔。寂しそうな顔。──孤独な顔。


 孤独なのは俺も同じだった。


 でも、俺は彼女と同じように、孤独をあからさまに晒す顔をしていただろうか?


 俺は、自分の顔を見れないからわからない。でも、彼女のように真っすぐに、自分自身が孤独であると示すような表情は取れなかったはずだ。


 孤独であることは、社会になじめなかったという証になる。それは侮蔑にもつながるものであり、他者が見れば、それは見下す材料にだってなりえる。


 一つ一つの所作、それが孤独を馬鹿にする要因になって、より人は人を遠ざける。孤独は孤独のかさを増して、より自分の世界を作り上げようとする。


 だからこそ、俺は孤独であることをちらつかせなかった。きっと、他の人から見れば、そんな行動でさえも孤独の一つとして捉えられたのかもしれないけれど、それで誰かから物を言われることはない。それが一つの正解であると、なんとなく自分で理解していた。


 だからこそ、俺は彼女が不思議でたまらない。


 どこまでも、孤独を誇示するような、寂しそうな顔。おそらくそれは誇示という表現ではなかったのかもしれないけれど、俺にとってそれは誇示というものに似ていたように思う。他者が見ればどうだっただろうかわからない。俺と違う人間は彼女を馬鹿にするのかもしれない。


 興味が湧いた。なんとなく、似通っている要素を勝手に感じ取った。


 人の解釈を、関わることなく、そうして行うことは背徳的ではあったものの、俺と彼女なら、どこか通じ合うものがあるような気がした。


 だから、声をかけた。


「暇なのか」、と。


 彼女はその声にびっくりして、ぎょっとした目で俺をとらえる。彼女は俺が屋上に昇っていることに気づいていなかったのかもしれない。


 気づかなかったのは、強風によって耳をふさがれていたのか、もしくは外の世界に意識を絆されていたのか、さらに言えば、孤独というものに身をゆだねていたのか。


 彼女は話しかけられると思ってなかったのだろう。だから、俺が彼女に聞いた言葉に対しての返答は遅いものだった。


 人とのかかわりが薄い証。本当にこんな言葉を吐いていいのか、逐一自分の中で吟味をして、相手に誤解を与えないように、咀嚼できる言葉を自分の中で作り上げ、そうして彼女が吐いた言葉。


「空、いいんですよ」


 俺は、そんな言葉に、適当な「そうかもしれないな」と返す。その時の俺の言葉に感情は孕んでいなかった。

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