1/Train of Thought
1-1
■
止め処なく紡がれる私の理想は、ただの理想で終わることを、私自身がよく知っている。
理想は幻想、『想い』という字を抜けきることがない限り、私の現実はどこまでも変わらない。
愛想、奇想、妄想。
どれもが止め処なく紡がれる私の理想。イデアル。
私のイデアルはここにある。
リアルはそこには存在しない。
◇
「珍しいじゃないですか。こんな昼間から」
昼食時、俺は屋上ではなく物理室のドアを開けた。そこにいれば当たり前のようにいる彼女、伊万里が視界に入る。
彼女は黒板を近くにした前方の席でもくもくと食事を摂っている。今日は特に物理系のおもちゃで遊んでいる様子はなかった。
「今日は外で食べる気分じゃなかったんだ」
「まあ、そういう日もあるかもしれませんね」
彼女はそういうと、彼女の傍らに置いてあった桃色の小さな水筒を手に取り、その中身を咀嚼する。俺がいることは許されたような心地を覚えて、俺はとりあえず彼女の近場で持ってきた弁当をいただくことにした。
「ちょっと驚きです」
「……何が?」
「高原くんは、私の席では食べないような雰囲気があったので」
「……」
いつもの俺なら、きっとそうだったのかもしれない。だから、それに対して心の中で頷いた。
この前の俺だったら、あえて彼女が俺を視界に入れないように、彼女の座っている位置とは反対側の、黒板から遠い場所で黙々と食べていたかもしれない。
「駄目だったか?」
「いえ、別に。ただ意外なだけです。好き放題食べてください」
「え、何。お前の弁当も食っていいのか。いただきます」
「好き放題とはそういう意味じゃありません。好き放題しないでください」
彼女は俺からあからさまに視線を逸らした後、少し間をおいてからくつくつと笑った。意外にもウケたようだ。
「でも、やっぱり珍しいですよね。いつも屋上に行っているじゃないですか。何かここで食べなきゃいけない理由でも?」
「特に何かがあったわけではないさ。たまには科学同好会として、物理室で食べるのも一つの義務だろうと思ってね」
「はー、それは熱心なことじゃないですか。これからは科学同好会の人数を増やすために勧誘活動もしてくれるわけですね。助かります」
「食べながら喋るなよ。行儀が悪いぞ」
そっちこそ、と彼女は頬を膨らませながら返してくる。その膨らみは食事によってなのか、俺に対してコロコロと変える態度のせいなのかはわからない。どちらにしても面白い。
彼女の弁当を覗いてみる。
彩のある食事だ。俺は嫌いだけれど、端の方にミニトマトがあったり、ブロッコリー……、いや、よくよく見ればパセリがあったり、緑色、赤色。卵焼きだったり、ウィンナーだったり、それぞれの持ち味を活かすような彩で弁当はあふれている。
俺はそれを覗きながら自分の弁当を見てみる。
……割と、味気ないものばかり。彩にあふれているとは言えないような、そんなものばかり。というか肉類しか入っていない。
『ほら、男は肉食ってりゃそれでいいのよ』
そんな言い訳めいたことを母が言っていたような気がする。それにしたって、もうちょっと工夫のしようはあっただろうと思うけれど、そもそも俺は野菜が嫌いだから彩を作られても困ってしまう。だから、これが最善と言えるような形だった。
「今日も部活は来ますか?」
食事を摂りながら、彼女は俺に話しかけてきた。
「ああ、特に予定もないからな」
「それならよかったです。今日はきちんとやることがあるので」
彼女がそう答える。
「……やること?」
科学同好会でやるべきことなんて、何一つないだろうに。
強いて言うなら、余った課題に取り組むか、適当なビーカーで実験ごっこと称してコーヒーやお茶を抽出するくらいしかないだろう。
「今、くだらないことを考えましたね」
「そんなわけがない。俺はいつだって高尚なことを考えている」
コーヒーだって、考えてみれば一つの化学だ。抽出する温度、その苦味の成分について。それらを考えれば、どうにでも科学につなげることはできそうだ。
……まあ、あらゆるものすべて科学につなげられるのは無視しておくことにしよう。
「実はですね。先ほど言ったのはあながち嘘とかではなくてですね」
「……なんかさっき言ってたっけ?」
「勧誘ですよ勧誘。科学同好会の」
「あー、そんな戯言吐いてたな」
俺がそう返すと、彼女は手に持っている箸をカチカチと鳴らした。だから、行儀が悪いと言っているだろうに。
「科学同好会、その所属が二人、というのは結構ヤバいんですよ」
「別にいいじゃないか。科学に熱心に活動している生徒が二人もいるんだから」
「見ようによってはいいように見えますが、教師側はそれをよしとはしてくれないんですよ」
伊万里は語った。
「本来であれば、科学同好会は三人まで“が”必須条件なんです。四人以上であれば勝手に部活動にまでなりあがって、存続の危機も訪れはしないのですが、科学同好会は今のところ二人しかいません。つまり、どういうことか分かりますよね?」
「あと一人入れなければ、同好会としても成立できなくなるってことだろ」
「その通りです。だからこそです」
彼女は胸をトンと叩いた、控えめな胸を。だが、その勢いは予想外に強かったらしく、叩いた瞬間にせき込んでいる。面白いやつだ。
「……こほん。ともかくとして、あと一人を五月末までに勧誘して入部させないと、この同好会は終わりです。今もこうして活動できているのが不思議なくらいなんです」
「……例えばというかだけどさ」
俺は彼女に向けて喋る。彼女はそれに耳を傾ける。
「──科学同好会って、なにか活動していたっけ」
「……」
「……」
「……」
「……おい」
同好会を率いる会長が何も思いつかないならどうしようもないだろうに。
「というわけで、今度、『科学同好会お疲れ様会』開こうな」
「諦めないでください!」
必死な伊万里が面白い。俺は笑うしかなかった。
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