0-5
◇
久しぶりに入った彼女の部屋は、どこか懐かしい臭いがした。
ピンクという彩であふれた部屋。俺がいつかゲームセンターでとったぬいぐるみが置いてあったり、彼女が俺から借りたままの本が机に置いてあったり。別れて数か月ほどしかたっていないのに、どこか郷愁のようなものを感じずにはいられない。
慣れたように適当な位置に座る。ベッドの横にある小テーブルに足を入れ込むように座ると、彼女は勉強机のほうのオフィスチェアに座る。スカートの中身が見えそうだとか、そんなことを言いそうになるが、言っても彼女は特に気にしないだろう。
「なんも変わってないな」
「そりゃそうすよ」と彼女は返す。そりゃそうだ、と自分自身で言って彼女のに同調した。
数か月。長く感じるようで、大して長い期間でもない。それだけの期間で変容をする人間はそこまでいないだろう。……わからない。俺がそういった人物に出会っていないから、きっといないということしかわからない。
「……それでさ」
彼女は口を開いた。俺は仕方なく耳を傾けた。
「最近、調子はどうなのさ」
……今日、携帯に届いていたメッセージの文言。
俺は、それにどう答えればいいのか迷い続けている。
──彼女と違う進路をとった。彼女と異なる高校に通うことになって、調子が良くなったのか、悪くなったのか。……いや、愛莉が聞きたいのはそういうことではない。でも、それに対して具体的な言葉を選ぶのは俺にはできないような気がした。
自分がとった選択に後悔が拭えないのは事実だ。でも、その選択に一部の後悔が残っていないことも事実だ。こうするべきだと思ったからそうした。これ以上彼女のことを引きづらないように、彼女が俺のことを引きづらないように。諭されたままに行動して、それよかったと思える自分がいるからこそ、それに対しての答えはいつまでも生まれない。
心はいつも空虚なままだ。何に対しても行動する気が起きない。
中学のときには、自分が自分らしく生きることができていたような、そんな気がするのに、それは愛莉が映し出した幻想でしかなかった。高校に入学してからはずっとそんなことを考えて仕方がない。
俺は俺で行動することができない。それを理解してからの高校生活は憂いを抱くものでしかない。だから、彼女のメッセージが目についた瞬間、一瞬の希望を心の中に映し出して喜びそうになった自分が恨めしく感じた。
だから、返信はできなかった。
「ねえ」
彼女は俺に問いかけるように、促すように声をかける。
俺はいつまでもそれに対して返答をすることはできそうにない。彼女を勝手に裏切って行動したツケが回ってきたのだ、とそう思う。
「……わからないんだ」
俺は、そう答えるしかない。
彼女に対しての嘘は成立しない。嘘はすべて彼女に吞み込まれて、真意だけが晒される。それなら、最初から真意を晒していれば、惨めな思いをすることはない。
「何がわからないの?」
「……すべて?」
俺は誤魔化した。言葉を尽くすのは、俺にはできない。彼女に対しての裏切りの結果を話すことは、俺の精神ではできそうもない。
「そっか」と彼女は返す。きっとその返事には何の意図も含まれていなかった。空虚な俺の思いに合わせるように、彼女の言葉も空虚にしかならなかった。
そこから会話を紡ぐことはできなかった。俺は彼女に対して向き合えないから、俺からの言葉は存在しない。
話したいことはたくさんある。
それこそ、ここ最近の彼女はどういう風に過ごしているのか。調子はどうなのか。誰と出会ったのか、どんな言葉を交わしたのか。相手によっては勝手に嫉妬心を抱きそうになるが、彼女の行動のすべてを頭の中で理解していたい、そんな気持ちが俺の中にある。
身勝手だ。どこまでも身勝手だ。
自分から距離をとるだけとって、それでいて未練を抱いている自分が気持ち悪くしてしょうがない。
「あのさ」
愛莉は、少し気まずそうに言葉を始める。気まずいのも仕方ない。俺たちの間で会話をする内容は、どこまでも存在しないのだから。
彼女は躊躇うように、言葉を吐く。
「──もう一度、最初から始めない?」
──俺は、その言葉を耳に入れた。
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