第17話 東雲マリアは公国皇女の夢を見る



お兄ちゃん夢空ハルと薄ピンク色に染まった空を見上げる。長くて、でも、一瞬のように過ぎ去っていった夜を超えて、朝が訪れる。


東から街を照らす太陽を2人で眺め、宮殿の裏口まで送ってもらったところで…私、朝霞志真は目を覚ます。



「…? 夢?」



夢を見ていた。

兄とともに過ごした一晩の夢を。


…今から寝なおしたら、夢の世界に戻れるかな?

窓から差し込む朝日に目を細めて、私はそんなことを考える。



「だめ。私は私で、歩き出さなきゃ」



ベットから起き上がって伸びをする。

夢の中でお兄ちゃんが言ってくれた。私は、私らしく進んでいくんだ。


そんな決心を胸に、顔を洗って朝の支度をする。

今日は午前中に事務所で打ち合わせがある。見逃したお兄ちゃんの配信は行きの電車で見よう。



「行ってきます。」



そう言って誰もいない部屋を出る。心なしか、昨日よりも明るい声が出た。


お兄ちゃんが夢に出てきただけで機嫌が直るなんて、分かりやすい性格だと我ながら思う。






「え、うそ?」


電車の中で、思わず声が漏れる。

周囲の視線を感じて、私は顔を下げてスマホの画面に集中する。



≪今にも泣きそうな女の子を解放してあげる程、俺は優しくないんだ≫



私は、お兄ちゃんのチャンネルの最新アーカイブを見ている。昨日見逃した配信の内容を、私は見ていないのに、私は知っている。


…なぜなら、私は夢の中で、その場にいたのだから。あくまで、シーナちゃんの視線を通して、ではあるけど。



≪シーナ? 今日は星がよく見えるね≫



…知っている。これはお兄ちゃんの常套句だ。

お兄ちゃんはそう言って、泣いている私に上を向かせて、笑顔でこう言うんだ。



≪あ、やっと顔を上げてくれた。気分が落ち込んだときは、上を向いて歩こう。≫



そしたら私と手を繋いで一緒に歩く。

お兄ちゃんの少し大きな手が、へたっぴな歌が、すごく安心したのを憶えている。



「遠くに行っても、やっぱりお兄ちゃんは、お兄ちゃんだ…」



誰にも聞こえないように小さく呟く。

思わず自分の口角が上がるのが分かる。…マスクしてて良かった。



私の意識はお兄ちゃんの配信だけに集中する。

昨日見た夢を、再確認するように。この夜の思い出を、記憶に刻み込むように。







画面の中で、お兄ちゃんとシーナちゃんが仰向けになって寝ている。

配信画面からは見えないが、教会の屋上から見上げた星空は、とても綺麗だった。



≪私は、強くなりたいんです。オルディネ公国の皇女に相応しい、強い女性になりたいんです。≫



思い出せば思い出すほど、見れば見るほど、思う。


私とシーナちゃんは、とても似ている。だから私は、シーナちゃんの視線を通して夢を見たのかもしれない。



≪私は、聡明なお姉様や、お強いお兄様に比べると、何の取り柄も無くて…どこにでもいる普通の人なのです。それでも、この公国の皇女として生まれたからには、それに相応しい、公国の皆さんが誇れるような、そういう王族でいなければならないと、そう思うんです≫



…似ている。

兄に憧れて、優等生を演じて、気付けば思い描いていた理想から遠ざかってしまった。



≪お付きの方は“十分立派だ”とか“そんなことない”と仰ってくれるんですけど、違うんです。いくらそうありたいと願っても、私はどこまでも平凡な女の子で、だから、何かを変えられるかもしれないと思ってダンジョンに入ってみたんです。≫



周囲からお利口さんと褒められるのが嫌だった。飄々と、楽観的に、いとも簡単に他人の想定を裏切って笑う、そんな兄の姿に憧れた。どこまでも平凡な自分から抜け出したくて、Vtuberになった。



≪…それで、シーナは変われた?≫


≪…いいえ、変われませんでした。やっぱり私は普通の女の子で、でも、その代わりに、私を皇女として扱わないでくれる人と出会えました。…嬉しかったんです。普通の関係でいられる人が見つかって。だけど、それも今日で終わりですね…。きっと、あの時、ハルと出会わなくて、あのままモンスターの餌食になったとしても、公国に大きな影響ななかったんです。私はお姉様やお兄様の補欠で、しかも、私は平凡な女の子で、私の代わりは誰でも務まるのですから。公国の第三公国は…私じゃなくても……≫



胸が張り裂けるように痛い。

結局、私はVtuberになってもお利口さんで優等生なままなで、たとえ、今Vtuberを引退したとしても、その場では惜しまれても、きっと印象の薄いまま視聴者さん達に忘れ去られてしまうだろう。


それこそ、私より魅力的で、個性的で、面白いVtuberさんなんて幾らでもいるのだから。




≪“そんなことはない”なんて、俺は言わないよ。≫



兄が発した言葉で、画面から目が離せなくなる。

その言葉は、まるで私に言っているかのように聞こえた。



≪ただ、絶対に肯定もしてやらない。シーナがそう思うなら、きっとそうなのかもしれない。でも、それはシーナだけじゃないんだよ。世の中、誰だって替えが効くんだ。別に、あの日にシーナを助けたのが俺である必要なんてなかったんだ≫



“そんなことない。志真は特別だ”


そう言ってくれることを期待していた自分がいたのは否定しない。きっと、シーナちゃんもお兄ちゃんがそう言うと思ってたんだと思う。でも、そんな言葉が気休めにしかならないことも、十分に分かっている。



≪っ‼ でも、あの日、私を助けてくれたのはハルでした!! それは変わりません!!≫


≪そう、シーナの言う通り。あの時、偶然とは言え、俺が・・シーナを助けたことに意味があるんだ。それと同じように、たとえ偶然でも、シーナが・・・・第三皇女でいることに意味があるんだ。きっと世の中、誰だって替えが効く存在なんだ。だけど、そんな世の中で、それを自分がやっていること・・・・・・・・・・・・・が大事なんだよ≫



だからこそ、想定外の兄の言葉が胸に突き刺さる。こういうことを言えてしまうのが、きっとお兄ちゃんの魅力なのだと思う。


夢では見れなかったが、お兄ちゃんの表情はどこまでも穏やかだ。



≪シーナがこれまで、王族として生きてきた事は、絶対に無駄なんかじゃない。むしろ、シーナの話を聞いて、俺は、シーナがシーナなりに理想の王族としての姿を全うしようとする姿勢に、敬意を抱いたよ。凄いって、そう思った。頑張ったね、シーナ≫




そんなことを言われたら、勘違いしてしまう。

もしかしたら、平凡なままの自分で、それで良いんじゃないかって。




≪きっと、シーナの努力は他の人にも伝わってるはずだよ。何年もシーナと一緒に過ごしてきた人たちなら、気付いていないはずがないよ。俺にもシーナに似た努力家な妹がいるんだけどさ、だから分かるんだ。シーナのこれまでの歩みが、決して無駄なんかじゃないって≫




気が付いた時には、私は泣いていた。溢れ出てくる涙が止まらない。

私のこれまでの悩みが、葛藤が、無駄なんかじゃなかったと、救われたように感じる。




≪だからさ、自分は自分らしく、シーナはシーナらしく、進んでいこうよ。きっとその先に、替えの効かない、自分を誇りに思える、そんな自分がいるから。俺も、そんな自分になりたくて、生きてるんだ≫



配信画面ではお兄ちゃんの頬にも涙が流れている。

お兄ちゃんの涙なんて、久しく見ていない気がする。それでも、それが嬉しかった。



≪…なんでハルも泣いてるんですか?≫


≪わかんないや。でも、ホントにそう思ってるんだよ。この思いは、絶対に嘘じゃない≫




思わずアーカイブを一時停止する。

私は目を閉じてお兄ちゃんの言葉を反芻する。


夢の中ではシーナちゃんの視線を通して、シーナちゃんとして受け取った言葉を、朝霞志真として受け取るために。…夢の中でお兄ちゃんが言ってくれた言葉を、絶対に忘れないように。




「私も、進まなきゃ」



ポツリと言葉が漏れる。

朝霞志真らしく。平凡なままで、平凡なりに。


そんな自分を、東雲マリアとして愛せるように。愛してもらえるように。



「だから、言わなきゃいけない。自分の為に、お兄ちゃんのことを」



私は顔を上げる。上を向いて歩こう。

少なくとも、お兄ちゃんに誇ってもらえるように、私も頑張ろう。



「…あ。」



気付けば事務所の最寄り駅はとっくに通り過ぎていた。ちっぽけな勇気を握りしめて、私は終点が近づく電車に揺られるのだった。




≪~♪≫



その時、ディスコの通知音がなる。

通知欄を見ると“フレンドを追加”とだけ書かれている。



「誰かにフレンド申請なんてしたっけ?」



ディスコードを開いて、私は息を呑む。

そこには、ついさっきまで見ていた2人の人物の名前が表示されていた。



“●夢空ゆめぞらハル オンライン”


“●シーナ・オルディネ オンライン”


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