お隣のお姉さんが私の体臭ガチ恋勢な話

甘照

第1話 お隣さんは酔っ払い

「は~…寒っ。流石に薄着過ぎたな…」


 買い物袋を提げながら、すっかり暗くなってしまった帰り道を歩く。


 もう春だと言うのに夜はまだ少し肌寒く、めんどくさがってパーカーにショーパン一枚は流石にやり過ぎた。


 寒い。早くお家帰りたい。


 つい最近一人暮らしを始めた賃貸マンションのエントランスを小走りで抜けて、エレベーターに乗り込み、七階まで上がる。


 到着音と同時に扉が開き、その瞬間。


 ゴガンッ!!


 と、爆音が鳴り響いた。


「なっ、なに!?」


 何事かと見てみれば、視界に続く外廊下の先で、フラフラと千鳥足の女性がゴンゴン壁に頭をぶつけながら歩いていた。

 仕事帰りなのか、きっちりとした黒スーツを身に付けている。


 日向ひなたはしばし呆気に取られて見ていたが、すぐさま我に返り、覚束ない足取りで今にも倒れそうな女性の方へと駆け寄り、


「大丈夫ですか!?」


 肩を貸しながら呼び掛ける。


 近付いた瞬間に強烈な酒の臭いが鼻に飛び込んできて、どうやら泥酔状態にあるらしい。


 女性は突然湧いた支えにしがみつき、「ん~…」と青白い顔で眉を寄せて枯れた声を発した。


「うるさいぃ…あたまいたいから…しずかにぃ」


「ご、ごめんなさい。でも、そんな状態で歩いてたら危ないですよ。何号室ですか?」


「んぅ~…」


 辛うじて言葉は通じるようで、女性は片手を持ち上げて人差し指を伸ばした。


「え…?そこって…」


 指された先は705号室。


 日向の住んでいる所が704号室だからつまり、この女性が隣人であることが判明した。


「…とりあえず、そこまで一緒に行きましょ。はい、歩きますよ」


「うへぇ」


 女性は気分悪そうに呻きながらも、何とかかんとか705号室の扉前まで辿り着く。


「鍵は開けられそうですか?」


 問い掛けてみるが女性はぶんぶん首を振って、今にも吐きそうな表情を浮かべながら鞄を日向に押し付けた。


「あ、開けていいんですか?」


 余裕なさげに首肯するので日向は急いで鞄の中を漁り、キーケースを発見して取り出す際、たまたま表を向いていた名刺が目に入った。


「うらかわ…みずの…さん」


 個人情報を勝手に見るつもりはなかったが、つい目が勝手に文字を読んでしまい、意図せずこの女性の名前が判明する。


 麗川うらかわ瑞乃みずの…さん。

 綺麗な名前だな。


 取り出した鍵で解錠し、扉を開いて瑞乃に肩を貸しながら家の中に入る。


「お、お邪魔します」


 人の家とは言え構造は自分の所と同じなため、迷わずトイレへ直行する。


 便座を上げて、膝を折って座るように誘導する。


「トイレ着きましたから、吐いても大丈夫ですよ」


 今まで酔っ払いを介抱したことなんてないから合ってるのかどうかすら分からないけど、とりあえず背中を擦る。


 やがて瑞乃は苦しそうに嘔吐えずきながら体をびくりと震わせて、吐瀉物を便器の水たまりに吐き出していく。


 人の吐いている所を見るのは初めてで、流石に見ていて面白いものではなかったが、大の大人が余裕なさげに自分の手を握っているのがどこかあどけなくて可愛らしく思えた。


 吐き切ったら落ち着いたのか、息を切らしながら痛む頭を手で押さえる。


「吐き切れましたか?だったら、えーと、うがいしましょうか」


 再び肩を貸しながら洗面所に移動し、うがいをさせ、歯磨きもさせて、キッチンに移動して水を飲ませたら少し落ち着いたみたいで、さっきよりかは顔色も良く見えた。


 出来れば着替えたり軽くシャワーを浴びたりして欲しかったけど、足取りは尚もフラフラとしていて難しそう。


「部屋、入りますね。あんまり見ないようにしますから…」


 返事はないが一応断りを入れてから寝室の扉を開ける。


 恋人か誰かが寝てないかびくびくしながら入るが、ベッドには誰もいなくて一安心。瑞乃をシーツの上に寝かせて上から軽く布団を掛ける。


「ふぅ…とりあえずこれで大丈夫かな。じゃあ、私はもう帰りますから―――」


 立ち去ろうとした所で、服の裾を掴まれて引き留められてしまう。


「え…えっと…?」


 もしかして、醒めちゃった…?

 意識が戻ったんだとしたら私、どうしよう。通報されちゃうのかな…。


 なんてびくびくしながら身構える日向に反して、聞こえた言葉はどこまでもか細いものだった。


「いかないでぇ…ひとりはやだぁ…」


 恐る恐る振り返ると、目尻に涙を蓄えた瑞乃の姿がそこにあった。


 思わずどきりとしてしまう。


 さっきは焦っていてよく見てなかったけど、髪もボサボサで涙と鼻水でぐしょぐしょなのにそれでも崩れ切らない端正な顔立ちで、酔いに頬を仄かに赤く染めているのがどこか艶めかしく映った。


 酔いが醒めたのかと思いきやそうでもないらしく、ベッドから体を乗り出して、振り向いた日向のお腹辺りに顔をグリグリと擦り付け、その様子はあまり正気に見えない。


「あ、あの…」


 流石にこの状態から瑞乃を振り払って出ていくことも出来ず、自分に甘えてくる、さっき出会ったばかりの酔っ払いの頭を何となく撫でる。


「わっ!?」


 突然体を引っ張られて、ベッドに引き込まれる。


「ちょっ!?あのっ!?」


 両手両足でぴったりと抱き着かれ、日向は全く身動きが取れない状態にさせられてしまう。


 酒の臭いが仄かに香るが、柔らかい胸に顔をうずめられ、少し冷えてしまった体が人肌で温められて心地よい。


 高校は何となく冒険感覚で実家から離れた所を選び、こっちに越してきて一人暮らしを始めた今日この頃。


 それなりに慣れて来ても夜はまだ寂しくて、だから久しぶりの人肌に安心してしまって、もう少しだけこのままでいいやと思えてしまう。


 顔を上げると瑞乃が涎を垂らしながら幸せそうに寝ていて、その顔を見ていると無理やり引き剝がすなんてとても出来ず、いつの間にか日向は夢の世界へ飛び立っていた。

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