孫とじぃじ

澤 幸太朗

第1話 

孫とじいじ


ペンネーム  澤 幸太朗


平成27年5月を迎えて、私の孫は丁度、満2歳を数える事になった。

満2歳の男の子、この年をもって、何とか「じいじ」そして妻の事を「ばあば」とハッキリ言えるようになったばかりである。

口では一生懸命何やら喋るのだが、何を喋ろうとしているのか、私には殆ど飲み込めないでいる。

私と娘の孫は、川崎と埼玉県と離れた所に住んでいる。娘夫婦の埼玉の家までは、約1時間半かかる。

娘の家に泊まった時にはよく孫と遊んでいるが、その時に教えた言葉、いや言った言葉をそのまま覚えてしまい、言い放つ言葉の一つ一つに「カンパイ」がある。

これは娘の所で夕食を共にする時、私は必ずというくらいビールをジョッキーで飲む、その時に隣にいる孫に向ってそのジョッキーを孫の方へ向けて「カンパイ」と言うと、孫は自分のカップを片手で持って「カンパイ」と私のジョッキーにあてて来るのだ。

もうそれは、夕食の定番となってしまったのである。

もう一つの言葉は、ある日娘の家で、おもちゃの車、色々の種類、大小あるがたまたまそのおもちゃを4~5台縦に一列に並べて「ジュウタイ」と言ったら、それをまねて同じ事をしながら「ジュウタイ」と繰り返して叫ぶようになった。

「カンパイ」と「ジュウタイ」他には、車のタイヤの事を「アイヤ」と言ったり色々と発するのだが、私の聞き取れる言葉は、今の所、この4つの言葉である。

勿論、「ママ」「パパ」は無事に言葉でハッキリ言っているので安堵している。

ある時、公園の砂場へ遊びに連れて行こうと歩いて行った時に、砂場で遊ぶ小道具、ビニール袋に一式入っている手さげの物だが、孫は片手にぶら下げて自分で持つと言い張り、重いだろうと思って代わりに持ってあげようとすると決して渡さない。自分で持って行こうとする。公園まで600m位あろうか、疲れてくると地べたにこすりながら、でも手を離さない。とうとう自分で砂場まで持って行った。

まだ歩行にもままならぬが、時々ヨタヨタしながらも、自分で歩くようになった。

この頑固な気性は誰に似たのか、でもたくましくも見える。

夕食、娘の所で食べている時、孫にうどんが配られた。

横で私もビールを飲みながら、肴を摘んでいたが見ていると孫はそのうどんを、最初はフォークで摘まんで何とか口へ注いでいたが、いつのまにかおわんの中のうどんを、手で掴み口の中にガムシャラに突っ込み、最後にはスルスルとうどんを吸い込むのだ。

その吸い込み方には、感心したものである。勿論手のひらは、グッショリ、その手を私に差し出すのだ。

「手を拭いて!」と言う事だろう。その手を拭いてあげた。

そういえば、遊びながらコップを持ちジュースを飲んでいる時、床にこぼしてしまった。ママが叱り「拭きなさい!」と言った時、孫は台所のフキンを取りに行きその場を拭いている姿を見た時、関心と言うよりは、不思議な感があっつた。それは、何もやって見せた訳ではない。恐らく日常生活の中で、家族の誰かがやっている姿を見て覚えた動作ではなかったか。子供というものは、日常生活の中で、親の姿をよく観察しているのではないだろうか?2歳といえどもよく見ているものだ。

私が初めて孫を持った初体験である。

かんがえてみれば、2歳~3歳児の頃と言うのは、私自身今となっては殆ど記憶がない。

逆に言えば、この世で1歳~3歳児の自分の育児時代を記憶している人はいるのだろうか?今ここで自分はこの頃こうだった、ああだったと言える人はいるのだろうか、恐らく言えるとすれば、その時の家族等の言い伝えから知った事位ではないだろうか。

私が初めて持った2歳~3歳の孫、今は2歳丁度これから3歳になるまで、またその経過をたどる未知の体験が待っているだろうが日本中、あるいは、世界のあらゆる人々が経過しているこの年代に対して、私はこだわって筆を執ることにした。


次回、孫の手に

見とれて想う

幼き日


次回13日公開!

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