彼方からの洗礼
メーテウスがこちらを小馬鹿にしたような笑みを浮かべアデムを見据えている。
「何がおかしいのですか…?」
憤りをもう隠す気もなく、メーテウスを睨みつける。
アデムのそんな態度に怯むことなく、余裕を醸し出すように背もたれに体を預け、足を組む。
「おかしいとも。なにせその可能性は1番あり得ないからだ」
「あり得ない…?皇帝を下そうと誰かが仕向けた。記憶も失くしたのは反撃の芽を摘むためだと考えられませんか?」
「ない。下そうとするならまず、皇帝を陰ながら守護するイルシーラ様を倒さないといけないし、仮に倒せても、かのお方に傷をつけることは不可能だ。
常に何者の攻撃を通さない不可視の結界が貼られているからな。
それに皇帝自身も、自身を害する敵が現れた時に自動的に迎撃する魔法を常に発動してるからなおのこと無理だ。
…ははは今思い出しただけでも寒気がするよ」
ありし日の望郷からか、遠い目をして淡々と話すメーテウス。
頭を細かく振って、話を戻す。
「それに頭を強打してない限りは、記憶をなくすことや、まして力の使い方がわからなくなることもない。
そんな魔法も存在しないしな。…今のところはね。
…以上から最も考えられるのは、帝城にて予期せぬことがあって、陛下はそれが原因で記憶を失くして、やむ無く逃がしたということだな」
「その可能性の根拠はあるんですか?」
「ある。と言いたいがまだ推測の域を出ないからね。
アデム。君が目覚めた海岸での状況を少し聞きたい。
そうだな…。その景観にそぐわない事とか合わせて教えて欲しい」
「…わかりました。それで、解決できるなら」
アデムはあの日目覚めた状況を細かく伝えた。
砂地に自身を中心に円形の窪みがあったり、自分の服がボロボロだったりと、そのほかも村に至るでの経緯を覚えてる限り話した。
メーテウスは薄らと笑みを深め何かに思い至った顔をしている。
「ふむ。これはもう確定と言いたいくらいだが。
順を追って説明しようか。
君がこの海岸に至った経緯は、やはり襲われて意識を失った陛下が、大河に乗ってここまで流されたからだな」
「流された?あの河口と大陸の中心にあるという帝国とは繋がっているのですか?」
「そうとも。さらに帝城はその大河の上に建っているからね。
大河は激流が絶え間なく続いていて、飛び込んだら大体助からない。普通はね」
「…生きてるのですが?」
「普通は、だ。だから、もう一つの根拠に繋がる。
君は、目を覚めたときに円形の窪みの中心にいたんだよね?」
「はい」
「それはおそらく、エルナ様がかけた結界の名残だろうね。
激流に揉まれても無事なように、さらには術者がそこにいなくとも持続するように相当な魔力を込めて、ね?」
「…自らを犠牲にしてですか?」
「…そこはわからないな。
結界に集中して、君だけを逃したのか…。
あるいは、一緒に逃げてはぐれたのか。…定かではない。
かの御仁らの安否が気になるところではあるが、今は置いておこう。
何よりもエルナ様をはじめとする幹部の尽力によって、君は無事だった。
その事実は変わらない」
「…そう、ですか」
心がざわつく。
そんな大物だったなんて思いもしないこと、仲間に対して己が身を救って貰ったのに全く覚えてない罪悪感か。
様々な思惑が、アデムの心の中を交錯する。
ダインとソフィアも、硬くしていた体をほぐすし、アデムに尊敬の念をぶつける。
「そぉーかぁー…、一目会いたいとは思っていたがこんな身近にいたとはなー。
確かにロングソードの構えとか、やたら魔法の覚えが良いなと思っていたけど陛下ならたとえ記憶を失っても、軽くこなせるはそりゃあ…
ほんとすげぇよ。
何より、ご無事で良かったです。皇帝陛下」
「あのぼろぼろの黒服、今思い出してみれば確かに豪奢な刺繍がなされていたはねぇ…。
合間に見る所作も言葉使いも、確かに皇帝陛下だったのなら納得だわ。
人々の頂点に立つからこその細かいところまでしっかりしているんだなーって、強く思ったわ。
皇帝様、何事もなくて本当に良かったですわ」
ダインとソフィアは深々と頭を下げ、アデムの——皇帝の無事を案じる。
二人の反応を否定しようと口を開けまた閉じてを数回繰り返して、どう声をかけるか迷ってしまう。
ボソボソと震える声で、否定する。
「やめてください…今の俺は何もないただの一人間です。
だから、そんな敬うような姿勢は見せないで欲しいです。
…本当かどうかまだわからないのですから」
「…?喜ばしいことじゃねのか?
なんで、そんな頑ななのかが、わかんねぇけど…そんなに信じられないなら、メーテウスにあの雷光見せれば良いんじゃねぇか?」
「あ!私も見たいわぁ。ダインだけアデム君の勇姿を見てるのはちょっとズルいもの。かっこいいとこ!みたい!」
「…テンション高いソフィアは置いといて、すまんアデム。もう一回見せてはくれねぇか?頼む」
「…ですが」
蟠る思いを知ってか知らずかわからないが、頼み込むダインとソフィア。
出来るかどうかはともかく、これをやってしまったら、なんだか決定的に自分の運命が定められる気がする。
黙りこくっていると、メーテウスも丁重に頭を下げる。
「…私も貴方がなぜそんなに、頑なに自己の存在を否定するのかは正直…わかりません。
だけど、ここで見ておかないと前に進めない気がするのは確かです。どうかお願いいたします」
先ほどの年上のような口調は潜め、臣下のように。
下手に出るメーテウス。
眉間に皺を寄せて手を組み、出るはずもない答えに悶々とする。
だが、ここで立ち止まっては埒が開かないのは頭ではわかってる。
ひとまず、やる。
間違ってるかもしれない。そんな欠片もない願いを添えて。
「メーテウスさん、口調は戻して下さい。そんなことされても困ります。
…自分が皇帝だなんて認めたくないです。
知らず知らずのうちに祭り上げられて、そんな今の自分を否定するような結果になってしまう気がして。
けど、やります。それで俺の正体が確実なものになるなら」
「そうか…。ありがとうアデム。感謝する」
「すまん、アデム。ほんとにありがとう」
「…ごめんなさいね。ありがとうアデム君」
辿々しいアデムの言葉にぎこちない笑みを浮かべる。三者。
アデムは木剣を持ち、玄関前でダインの鍛錬の時にやった時と同じように披露する。
アデムの淡い期待は、再び顕現した雷光と共に沈む。
メーテウスは、否定しない。むしろ、感涙するほどだった。膝をつき、天に祈りを捧げている。
ソフィアも村に大嵐が来た時に見た雷光と同じだと言う。
ダインはソフィア同様に、先程は興奮してそれどころではなかったが、冷静に。
あの日見て今も焦がれている光を間近に見て、静かに涙を流す。
確定的だった。疑問の余地もなく。
そんな三人とは裏腹に、アデムの心は本当の自分の存在の落とし所を見つけられず、苛まれていた。
神の如き力を振るうとされる彼方の自分、雷光を出せるとは言え力を無くしてしまった此方の自分。
果たして、どちらが自分なのか?
認めたくない事実が、目の前に壁のように聳り立つ。
皇帝だが、今はその力を記憶を失くしている。
じゃあこの人格は、誰なんだ。
皇帝じゃない時の自分か?はたまた誰でもない歪な人のような何か?
自己を見失いつつあるずアデムは、その疑念に耐えられず、三人を置いて教会へと無意識に足を駆け出す。
後方から響く声は今はアデムに届かない。
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