第28話
ラスに見送られエーファとマンフレットは馬車に乗り込む。その際に食べきれなかった菓子は包んで貰い手渡された。これは帰ったら使用人の皆と一緒に食べようと思う。出来ればマンフレットも一緒に……。
にゃ、にゃ〜にゃ、にゃ。
向かい側に座るマンフレットの身体をよじ登っては下りて遊ぶエメはすっかり彼に懐いている。彼はというと腕を組み目を伏せ特に気にした様子はない。微笑ましい光景に思わず笑みが溢れてしまう。エーファは暫く飽きる事なくマンフレットとエメが戯れる様子を眺めていると、流れる窓の外の景色が様変わりした事に気がついた。
馬車は街を抜け郊外へ出ても尚走り続ける。そして林道を抜けると少し揺れて止まった。
「ヴィルマ家の所有する屋敷の一つだ」
流石公爵家だ。マンフレットの屋敷には劣るがそこは別邸とは思えないくらい立派な屋敷だった。だが普段は管理している使用人しかおらず、ほぼ使われていないと聞き目を見張る。管理費だけでも相当掛かる筈だ、勿体無い……。
「たまに此奴に会いに来ているんだ」
彼に連れられて向かった先は意外な事に厩だった。迷う事なく奥へと進んで行くマンフレットの後をついて行くと、彼はある一頭の馬の前で足を止めた。それは全身が真っ黒で艶やかな毛並みの美しい馬だった。
「アレースだ」
「綺麗な子ですね」
漆黒という表現が良く似合う。吸い込まれそうな翡翠色の瞳。まるで彼の分身の様な姿に、見惚れて息を呑む。
「私の自慢の愛馬なんだ。一見大人しく見えるが私以外が触れるとーー」
エーファがそっと手を差し出すとアレースは顔を近付け頭を少し下げて鼻を鳴らす様に鳴いた。
◆◆◆
「ふふ、くすぐったいわ」
アレースがエーファに顔を擦り寄せまるで甘える様に鳴いている光景にマンフレットは目を見張った。
「参ったな」
「?」
驚き過ぎて笑いすら込み上げてくる。
先程言い掛けたが、アレースはマンフレット以外には決して懐かない。長年世話をしている馬丁にすらたまに威嚇をするくらいだ。昔弟がアレースに乗りたがり強引に騎乗しようとしたが、怒ったアレースに危うく蹴り飛ばされる所だった。その後も、レクスが触れただけで暫く暴れて手が付けられなかった。無論男女の差はない。女の使用人に対しても敵意を剥き出しにする。それが彼女に対しては自ら擦り寄るとは、目を疑うしかない。
「アレースに乗ってみるか?」
元々乗馬をさせるつもりでエーファを此処まで連れて来たが、それは別の馬にと考えておりアレースに乗せるつもりは全く無かった。ただアレースのエーファへの様子を見て思い直した。
「良いんですか⁉︎ あ、でも、私乗馬は経験がなくて……」
マンフレットからの提案に花が咲いた様に笑ったかと思えば、急に花が萎れた様に落ち込む姿に目眩すら感じる。本当にコロコロと表情が変わるーー頬が緩むのを抑えらない。
「問題ない。端からから君を一人で乗せる気はないからな」
アレースを厩から外へ出すと、頭を撫でて落ち着かせる。すると肩に乗っていた白い塊も真似をして短い手を伸ばしてきた。
にゃ、にゃあ⁉︎
「おい、落ちるだろう」
ずり落ちる寸前片手で支えてやるが、何を思ったのかアレースの頭上に飛び乗った。驚いたアレースが暴れるかと身構えるが、白い塊が頭上に張り付いても穏やかなままだった。どうやら此奴の事も平気らしい……謎だ。
マンフレットはエーファを抱き上げ馬に乗せると彼女の背後に跨った。
「お前はここだ」
アレースの頭からエメの首根っこを掴んで剥がすと、襟元を緩め自分の懐に入れた。心底不快だが、この軽さなら駆け出した勢いで吹っ飛ばされるのは目に見えている。地面に叩きつけられれば無論命はないだろう。そんな事になればエーファが悲しむ。
にゃ。
それに猫は好かないが、此奴はまあまあ骨のある奴だ。こんな事で失うのは勿体無い。きっとこれからもエーファの役に立つだろう。
始めはゆっくりと駆けていたが、特に怖がった様子のない彼女見て徐々にスピードを上げていった。
マンフレットはエーファが嫁いで来てからは一度もアレースに会いに来ていない。最後に此処へ来たのは、確かブリュンヒルデがまだ生きていた頃だ。昔から精神的に疲れた時に、無性に此処に来たくなる。アレースに乗り駆けている間は何も考えず無心でいられる。それが心地良かった。
青々と生い茂る草木や野花の中、風を切るーー久々に感じる感覚に清々しい気持ちになった。
これまで誰かを乗せた事はなかったが、一人で黙々と駆けているのはまるで違う。落ちない様にとマンフレットに身体を寄せてくる彼女の体温に妙な高揚感が生まれる。今手綱を握っていなければこのまま彼女を……。無心になる所かそんな邪念が頭を過ぎってしまう。どうかしている……。
「エーファ……」
暫し乗馬を堪能し適当な場所で下りた。彼女はエメやアレースと一緒に戯れている。マンフレットはそんな様子を少し離れた場所に休憩がてら座り目を細め眺めていた。
「マンフレット様」
すると先程から蹲み込み何かを作業していたエーファが、ドレスの裾を持ち上げながら小走りに近付いて来たかと思えば、マンフレットの頭にふわりと何かを乗せた。呆気に取られるが、直ぐに手を伸ばしそれの正体を確認する。
「花冠か……」
「はい! 上手に編めたのでマンフレット様にあげます」
素直に綺麗だと思った。初めて見る彼女の屈託のない笑顔。ずっと見ていたいと思った。一瞬でも目を離したくない。ずっとこの時が続けばーー。
マンフレットはエーファに手招きをして僅かにあった距離を縮めると、被せられた花冠を取り彼女の頭に乗せた。不思議そうに目を丸くする彼女に気が付けば自然と笑みが溢れていた。柔らかな頬を撫で顔を近付けると、一気に彼女の顔は赤くなる。
「男の私より、女の君の方が良く似合う」
「い、いえ、そんな事は! 確かにマンフレット様は男性ですがーー」
「綺麗だ……」
彼女の額に吸い込まれる様にして、マンフレットは口付けた。
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