第8話


 エーファがヴィダル家の屋敷に来てからそろそろ三ヶ月が経つ。エーファは相変わらず侍女服に着替えて屋敷内における雑事を手伝っていた。きっかけは使用人達が次々と風邪を拗らせ人手不足になってしまった事であり、平時に戻った今は無論人手は足りている。ただ別段する事もなく、こうして使用人の皆と働くのが愉しいので続けさせて貰っている。


「おはよう御座います、奥様」

「おはようございます、奥様」


 朝身支度を整え部屋を出て向かうのは厨房だ。その途中次々と使用人等から挨拶をされる。


「おはようございます」


 にゃ〜!


 エーファの後からエメが付いて来てエーファの挨拶の後に鳴き声を上げる。どうやら真似をしているらしい。

 あれからエメは、怪我していた事が嘘の様に元気を取り戻した。すると何時何時いつなんどきもエーファの側を離れずくっ付いて来る様になった。


「奥様、おはよう御座います」


 厨房に入ると既にシェフが準備をして待っていた。あれから手伝い程度だが、こうして食事作りも担当している。


「今日の朝食は、マッシュポテトとトマト、ニンジンのグラッセを添えたミートボールとニンジンのポタージュで決まり」


 シェフと手分けして手際よく野菜の下処理をしていく。途中ニンジンの切れ端を期待しながら大人しく待っているエメの前に置いてあげた。すると上機嫌で飛びつく。


「エメは本当にニンジンが大好きね」


 にゃ!


 エメだけでなく母猫達もニンジンが好きだったので、その所為もあり食事の材料にはよくニンジンを使う。エーファ自身もニンジンは好きなので無意識にメニューに組み込んでいる事も暫しだ。ただシェフは余りニンジンを使いたがらない。エーファがニンジンを手に取ると何時も苦笑する。 

 賄い料理にも無論ニンジンを入れておりシェフは平然と食べているが、もしかしたらシェフはニンジンが苦手なのかも知れない。そうだったとしたら本当に申し訳ないとエーファは反省をする。今度からシェフの賄い料理からはニンジンは抜いておこうと密かに決めた。

 


 





◆◆◆


 ニンジンのグラッセにニンジンのポタージュ。朝から気分は駄々下がりだ。気の所為か最近は以前にも増してニンジンのメニューが増えた。いや、絶対に気の所為などではない。そもそも例の一件からエーファが調理に携わる様になり、これまでタブーとされていたニンジンが惜しげもなく出て来る。ギーにそれとなく注意する様に促しても、信じられない事に彼は素知らぬ振りをする。これは職務怠慢と言っても過言ではない。本当に良い度胸と性格だと思う。

 大体一応肩書きは自分の妻である彼女が厨房に立つのは如何なものか。普通に考えれば使用人達に混ざり主人が雑事をするなど、規律が乱れまた侮られ兼ねない。由々しき事態だ。


「折角の料理が冷めてしまいます」


 ニンジンのポタージュにスプーンを差し入れた状態で微動だにしないマンフレットにギーが呆れた様に声を掛けてくる。


「分かっている。少し考え事をしていただけだ」


 冷静さを装いながらポタージュを口に運んだ。ただ最近分かった事がある。あんなにニンジン嫌いだったが意外と食せる。もしかしたら克服出来たかも知れない。だが自尊心も手伝ってそれは断じて認めたくないマンフレットは、気の所為だと思っている。


「マンフレット様。先日届けられた招待状の返事は如何なさるのですか?」

「あぁ、そうだったな」


 失念していたが、先日とある夜会の招待状が屋敷に届けられた。無論出席するなら夫婦でとなる。エーファとは離縁する事は決めているので極力お披露目などはしたくなかったのだが、今回招待状を送って来た相手はヴィダル家とは昔から懇意にしているモルニー侯爵家だ。しかも現当主はマンフレットの父とは旧友でもある故に無下にする訳にはいかない。招待状には「是非、奥方殿を紹介して欲しい」との文言までご丁寧に添えられていた。


「是以外の選択はないだろうな」


 その日の内にマンフレットは招待状に夫婦で出席趣旨を書き記し返事を出した。


 

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