2024.4.28 ぼくと熊本地震その2

 熊本地震と紐づけられ、4月のタイミングで毎度思い出すことがある。


 一度目の地震のあと、大学の図書館から出たぼくたちは、おのおの安否確認などと電話じゃメールじゃLINEじゃとやっていた。

 そんなとき、ぼくが熊本に居ることを知る高校時代のあるクラスメイトから便りがあった。そんなに仲良しでも無かったが、顔見知りが震災に遭えば心配になってくれるひともいるのは何となく分かる。


 そんな彼とは、ちょっとした思い出が。そして、そのちょっとした思い出はぼくの在りように甚大なる影響を与えていた。


 高校生の時、ディベートの授業がありました。

 題材は、死刑廃止の是非とかだったか、それを(本人らの意思にかかわらず)賛成派・反対派に分けて、準備させ、ディベートの順序などを予め決めさせ、議論させる。もはやどっち派だったかもよく覚えていない。たぶん賛成派だったのかな。


 ぼくは特段喋るわけではないが、ぼくの属していたクラスは(授業においては)喋りたがりなやつもおらず、そうなると誰もやらないことは何となくぼくが名乗り出てしまう。これでディベートの発言担当に。

 これについては、ぼくはなんらかの微弱な強迫観念に駆られ、ここで自分がやらなかったら誰かの不満がぼくへ向き、それがやがてみんなに伝播してぼくはいじめられっこになってしまうんじゃないかと思っていた、のかもしれない。この微弱な強迫観念はいつから生まれたのか分からないが、兆しみたいなものはこの高校のときにあったんじゃないかなと思う。


 それは置いといて、ディベートが行われたのだ。

 ぼくは何かを話した。

 そして次にそれの対抗として彼が話した。


 ぼくは、彼の意見に反論した。

 反論タイムではなかったのに。

 まてば言う機会はあったのに。

 そして、その反論は通ってしまった。おそらく、それなりの説得力があったのかもしれない(高校生ごとき、たかが知れているけど)。


 形式的に決められた勝敗の行方は、ぼくのいる方のチームだった。ひょっとしたら、議論の中身はぼくの方が優れていたのかもしれないが、ほくは予め決められた形式を破り、あげく誰からも突っ込まれることなく勝ってしまった。ぼくは、反論し終えたときにはもう過ちに気付いていたが、特に何も言えなかった。


 話し合いは、形式と様式と舞台と機会により、双方にとって少しでもフェアにしないといけないと思う。世の中がそうなっている気はあまりしないが。ぼくは胸に深く刻み、守ったり、あるいは性懲りも無く破ったりして今に至る。

 つまるところ、目指すところを形式主義者としたのだ。


 そんな苦い勝利体験が、ひとりのクラスメイトと、体験とはまったく関係無い地震と紐付けられて、年に1度、自戒の機会を寄越すのだ。



 

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