2024.2.3 読書記録+2023.1.15の日記から

 今年読了1冊目は「交通誘導員ヨレヨレ日記(柏耕一)」。オビに「誰でもなれる」とは書いてありますが読んでたら出禁になってる人とか登場してました。僕も去年に職場主催のイベントがあって誘導棒片手に10分程度ググった知識を頼りに誘導ごっこをしましたが、中々大変でした。季節も過ごしやすい秋で天気も良かった日に数時間でも結構疲れるのだから、環境を選ばず終日、加えて「交通誘導をちゃんとした誘導員によって行わないといけない程度にはたいへんな状況」であることを考えると、誰にでもはできないと思います。僕ならパニックになるね。ふふん。なお、2019年に出版されておりだいたいその時期に買ったと記憶していますが(疑惑の記憶)、すっかり積まれて今になってしまいました。しかし、カクヨムでもエッセイ・日記のジャンルを拝読しておりますし、個人的読書傾向もそういったものや体験談の類が多いように思います。


 昨年2023年1冊目に読み終えたのは、「少年の名はジルベール(竹宮恵子)」のようです。同じ日に「破戒(島崎藤村)」の感想も書いてました。折角なので字数稼ぎに引用します。なお、読書感想文である以上ネタバレを含むほか、注を設けなければ訳の分からない部分、意図と異なる伝わり方をしてしまう部分があるので、脚注のような「※」をかなり使います。


***


2023.1.15 島崎藤村「破戒」に寄せて(’22 2/?~’23 1/15)

 1906年に出版された本だが、100年以上前の日本でインフルエンザが流行り病であった描写、これは登場人物のいちセリフでしかないが驚いた。

 「破戒」は何の物語か。差別の物語か。いや、もうその名の通り破戒、戒めを破る物語である。尤も初差別階級(※1)を主眼に置いた社会構造の中での描写があるからこそ、そこは本質的では無いながらいま100年以上の時を越えて残っているのではなかろうか。これを別に、ターゲットを「**」、「****」、「***」、「***」(※2)に変えても通ずるのだ。衆の認識と公然の既成事実の違いは大きいが。差別の現代的問題は、かつての「解放を要する、いわれなき作られた差別」ではなく、「差別したい気持ちによって次々とタグ付けされる『被差別されるに相応しい非人(※3)』の発見」にある。仮にも世界が性善説であっても、差別は表通りのNGワード集でしかない。横行するにも困ったことに、実生活である表通りよりも裏通り(の一つ)であるインターネットの方が巨大なのだ。闇より出でし新大陸。

 作中の「破戒」は瀬川丑松が父より言われた戒を破るもの、即ち穢多の告白。それと蓮華寺の住職による姦通の不義とがある。個人的には後者は(本作では)どうでもいい。当作の発表6年後に姪と関係があった(※4)そうだが、どうだろう。社会通念を正しい方向に導く力を持った文学作品を手がけた人間も、近親姦。尤も死ねばホトケさんだ、どうでもいい。若い女肉に心を乱される。そこに不道徳の理があったとて、実生活のさ中にあってはどこかで裏返るのが今度は背徳の道理というものだ。或いは、親等の事実は逢瀬に取って苦悩の種であり、肉体の関係にプラトニック・ラブが先行していた可能性もある。その答えは「新生(※5)」に求めてもよいものとする。あれば。

 蓮華寺の破戒と丑松の破戒とのちがいはいくらでもあるが、最も大きいのはやはり勇気だろうか。出自を打ち明けるのは、辛い。苦悩が内在する告白は、破滅を自らがきっかけとなって引き起こすことであり、愚かで残酷で不可逆の末路へ帰着する。フロンティア・テキサスへ迄流されなければ行き様もないようだ(※6)。せめてもの救いは、その生き様の実直さが、実直で差別意識から多少解放された親友と、ひとをひととして見る女性と引き合わせ、新時代の子どもらに慕われたことだろう。どんな人間も社会で身につけるものを剥いでしまえばニンゲン生物でしかない。おれは、ひとをひととして見なくてはならない。チープな現代的結論を下すのは心苦しいが、情報化社会で情報に囚われるな、ということだ。


☆尊厳の防波堤 竹宮恵子「少年の名はジルベール」に寄せて(’22 11/25~’23 1/8)

 少し前の日記で、毎日少しずつ本を読み進めて行くことを「尊厳の防波堤」と称した。当作もそうやって読み進めて行った。買ってから結構経つが読みかけて積んでいた。再開に際しイチから読み直しても日を置きがちになり、年を跨いだ。やはり仕事が忙しいからだった。社会の引力に魂を持って行かれないようにするためである。

 そもそも少女漫画を読まんので、やはり竹宮先生の作品も特に詳しくはない。「地球へ・・・」は図書館で読んだことがある。作中出てきた他先生も萩尾望都先生しか知らない。疎いのはまぁ良いとして、あの時代の漫画家の話は面白い。厚かましくも世界がコミックを受け入れるギリギリ前の話だと思っている(世間というのは集合的無意識的差別思想だと思っているため)。戦い、それも純粋さによって高潔さを一切損なわなんだ人の私闘は面白い。

 「破戒」と順番が前後してしまったが、これが’23の1冊目となった。折角だ、100冊目指してみるか。’23の目標がドンドン増えてくが、1月ってそういうもんだろう。



※1 原文そのまま引っ張ってきてますがどんな意味の言葉か分かりません。「初」はなにかの間違いで混入した誤字ではないかと。あとの「主眼に置く」も、「主眼を置く」ですね。


※2 差別用語として公式に登録されているとか放送禁止用語とか、そういうものではないですが、ネットでよく差別或いは蔑称として使われることの多い単語が並んでいたので伏字にしました。


※3 被差別される、ではなく差別される の意図かと。


※4 島崎藤村は後に姪とそういう関係になったそうです。


※5 島崎藤村がのちに書いた著作


※6 主人公・瀬川丑松は物語の最後にテキサスへ渡る話を持ち掛けられます。でも1906年ごろのテキサス事情は知らないけどフロンティア(未開拓地)では無いはず。


***


 竹宮先生の著から何を勝手に感じ取ってるんだろう。宇宙から電波とか受信したのかな。あと「世間というのは集合的無意識的差別思想だと思っている」というのはどういうことなんでしょうね、棘のある言い方なので世間に不信感を抱いているのだけは分かりますが意味は分かりかねる。嫌なことでもあったのかな。

 「破戒」の方は「不道徳の理があったとて、実生活のさ中にあってはどこかで裏返るのが今度は背徳の道理というものだ」という一文がマジで理解出来ない。どういうことだ、1分くらい考えてみましたが分かりませんでした。あと「情報化社会で情報に囚われるな」という〆も、今まで色々話してなんでそこに帰着するんだ……?加えて言えば、全体からまるで「僕は差別なんかしません!差別反対!」みたいな上から目線を感じるのも腹立ちますね。お前そんな善人か。恐らくこの時期は、ダブルスタンダード反差別スタンスが自分のトレンドだったんでしょう。


 まあいいか。


 2023年は最終的に25冊少々読みました。少々というのは記録漏れです。100冊目標に掲げて25冊というのは、テストだと25点なので赤点なのですが、読書なんて年に1冊でも読めば上出来なので、1冊100点と考えて2500点とします。ちなみに僕はこれまでに2回、赤点を取ったことがあります。


 それにしても過去の日記から引用するのはあまりにもラクすぎる。キーボードカタカタするのは大変だけど。変わったことを書いていれば尚。読書記録をつける時には、過去の読書感想からも引用するというのをまたやってみようと思います。

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