稲魂の継承者

向里 実記

第1話 新人騎士は東都に向かう。

 赤い。

 部屋の中のすべてが赤く染まっている。

 毎日、家族で楽しく話しながら食事したテーブル。

 母が僕の大好物のシチューを作っていたキッチン。

 仕事から帰ってきた父がいつも座って本を読んでいたソファ。

 弟とかくれんぼしてかくれた大窓のカーテン。

 全てが、ただ赤い。

 赤い血で染まった部屋の中に母も、父も、弟も、もういない。

 今そこにあるのは、かつて優しく自分を撫でてくれた母の右腕と、いつも後ろから見ていた逞しく大きな父の背中と、一緒にかけっこをした弟の両足。

 ただ、それだけ。

 僕のいる世界のすべてが赤い。

 最初に赤くなったのは父の首だったか、母の腹だったか、弟の顔だったか、それは自分でもよく分からない。

 世界が赤く塗りつぶされてしまったのか、僕の瞳が血で染まってしまったのか、それすらもよく分からない。

 ただ、ひとつだけ分かることがあるとすれば。

 赦してはいけない。

 僕はそれだけはしっかりと理解していた。

 絶対に赦されない、赦してはいけない、永遠に赦さない。



 神々の大戦ラグナロクで先史の文明の全てが失われてから千年を超える時が流れた。

 それ以前の歴史の痕跡を一切残さずに焼き尽くすほどの大戦を生き延びた一握りの人類は、同じく奇跡的に焼け残った神樹『ユグラドシル』から世界全体にもたらされる生命エネルギー『魔力』を糧に、その神樹の麓に新しい文明を築いた。

 やがて人類は神樹の麓に国を作り、遠く離れた未開の地を開拓し、世界を広げていった。


 樹歴1321年。

 神樹の麓にできた国は分裂と統合を繰り返し、現在では大陸は6つの国に分かれている。

 神樹ユグを中心として栄える、現在の文明の発祥である神樹国『ユグ』。

 ユグ王が語る先史を疑い、異なる神を信じる東国『ヴァナ』。

 ユグの南に位置し、大陸統一を掲げる帝国『ムスペル』。

 神樹国に次ぐ人口を誇り、大陸の南西に位置する共和国『ミズ』。

 大陸の北側に広大な領土を占める寒冷気候の北国『ヨト』。

 大陸の南西の果て、他国との交易を拒絶する亜人族の国『アルヴ』。

 これらの国が宗教的・経済的・軍事的な理由で拮抗し、大きな大戦の無い時代が数十年続いていた。



「わあ……隊長、今夜は月が綺麗ですね」


 中央騎士団の物資運搬用の簡素な馬車の荷台で揺られながら、新人騎士のアルクゥ・グランハイドは夜空を見上げて呟いた。

 物資運搬用の馬車とはいえ、積まれている荷物は最低限の衣類や食料、水のみ。御者台に2人、荷台に2人の合計4人の騎士が乗っており、馬車は荷物の搬送のためのものではなく単純な移動手段だとわかる。

 ユグの王都『グラストヘイム』を出立し、配属先である東都に向かって街道を荷馬車で移動して5日目の夜になる。


「……確かに、今夜は晴れて月が良く見えるが……。ある地方ではそれは異性への愛の告白の言葉になるぞ……」


 呟いたアルクゥに答えたのは、この4人の小隊の隊長、バスカ・ゴランだった。


「ええぇ!?『月が綺麗』が愛の告白ですか!?意味が分かりませんよ!どこの地方ですかそれは!」


「深い意味は知らんが、昔その地方で流行った小説の影響だそうだ。ちなみにOKの返事なら『綺麗なのはあなたと一緒に見るからでしょう』とか答えて、NGなら『月よりも星の方が綺麗ですよ』なんて答えるそうだ。同期入隊の腐れ縁のやつがな、そういう土地の生まれなんだそうだ」


「なんですかそれ……。表現が遠回しすぎて意味がわかりませんよ」


「まあ、俺にもその感覚はわからんが、ユグのような大国だと変わった文化を持つ地方もあるってことだ」


バスカは見るからに無骨な生粋の武闘派騎士で、右目は刀傷で塞がれており、筋骨隆々な見るからに歴戦の戦士である。明らかに愛の告白に月を用いるようなタイプではない。


「それより、御者役の交代までまた時間はある。お子様は寝れるうちに寝ておけ。明日の早朝には東都の砦に着くぞ。夜更かしするガキは身長が伸びん」


「だから、お子様じゃないですって!何度も言いますけど、僕はこれでも18歳ですよ!!いい加減子供扱いはやめてください!!」


 ガタン!

 アルクゥがバスカに向かって声を荒げて立ち上がろうとしたとき、馬車が大きく揺れてアルクゥはバランスを崩して尻もちを尻もちをつく形になった。

 

「俺は未だにお前が18歳だって信じられねぇよ。隊長が初めて連れてきたときには、どこかの騎士見習いスクワイアの迷子かと思ったぜ」


「ちょっと、ガンズさんまで、やめてくださいよ!」


 話に入ってきたのは御者をしている先輩騎士のひとり、ガンズ・モルストだった。隊長のバスカほど体格に優れた武人ではないが、新人のアルクゥと違いバスカの指揮の元で数々の戦場を生き抜いてきた歴戦の騎士である。


「なぁアルクゥ、東部の司令官には黙っておいてやるから、俺たちだけに本当のことを話せよ。お前、本当はまだ13歳かそこらだろ?」


 もうひとりの御者の先輩、ジス・グロスだ。


「ジスさんまで!いい加減にしてください!僕はちゃんと16歳で騎士訓練校に入って、無事に卒業して今は18歳ですよ!だいたい、東部の司令官って僕の養父ちちだって、知った上で言ってますよね!?」


 必死に言い返すアルクゥは実際に、珍しいほど小柄で幼い容姿であった。18歳でありながら身長は160cmに満たず、騎士にしては細身で華奢である。声変わりしたと思えないほどに高い声はまるで少年のようだ。

 腰に下げた剣は体格に合わせて短いものを使っている。多くの騎士は馬上から敵を斬れるように刃渡りが1m前後のロングソードを用いる。それに対してアルクゥが使っているのはショートソードと呼ばれる刃渡り60cm程度のものである。


「そんな短い剣をぶらさげておいて、大人アピールされてもなぁ……」


「剣が短さなんて関係ありません!大切なのはちゃんと騎士として戦えるかどうかですよ。確かに僕は新人ですけど、訓練校での成績は主席だったんですから!」


「はいはい、お前の武勇伝は王都からここまでの旅路で何回も聞いたよ。対人訓練タイマンでは全勝、同期で3人しかいなかった魔導師のひとり、学力試験でも常に首位……」


「対人訓練での唯一の敗戦は『支給されたロングソードが長すぎて鞘から抜けなかった』、偵察任務の訓練では『鞘を地面に引きずる音で敵に見つかった』……」


「そりゃ武器の持ち替えも許可されるわな」


「食堂のおばちゃんが給仕係の娘と勘違いして丸一日こき使われた、同期生と休日に買い物に行ったら、人買いと拐かされた娘と勘違いされて憲兵を呼ばれた……」


「ちょっ!?ガンズさん、ジスさん、後半の内容は僕が話した内容じゃないですよ!というか、何でそのことを知ってるんですか!?」


「王都の砦では有名な噂になってたぞ……」


「そんな……」


 バツが悪くなって縮こまるアルクゥを見てジスとガンザが声を上げて笑う。

 しかし、次の瞬間に4人の表情がほぼ同時に固くなる。


「ジス、ガンズ、馬を止めろ!!」


 バスカが叫ぶ。

 ジスが慌てて手綱を引き、馬が前足を持ち上げて急停止すると同時に、月の光と比べ物にならないほどの光が4人を包みこんだ。


「散開しろ!!」

 

 再びバスカが叫ぶと同時に4人がすぐさま馬車から飛び降りると、次の瞬間には巨大な火球が荷馬車を直撃する。

 木製の荷台はバラバラに吹き飛び、2頭の馬は一瞬だけ叫び声をあげて苦しんだが、全身を黒焦げにしてどう、と地面に倒れ込んだ。

 燃える荷馬車の残骸で周囲が照らされると、4人をぐるりと囲むように50人前後の人影が浮かび上がった。


「盗賊か……?しかし……」


 バスカは目を凝らした。

 人影がより近づくとはっきりと人の形となり、気が付けば4人はならず者たちに囲まれていた。

 そして、バスカが火球が飛んできた方向を睨むと、明らかに他のならず者とは身なりの違うふたりが現れる。

 ひとりは長剣をもち、東の隣国ヴァナの国章を胸に縫い付けたサーコートを着ている。そしてもうひとりは漆黒のローブに身を包み、右手で木製の杖を持っている。


「全員戦闘態勢、囲んでいるのは雑魚だが、正面のふたりは魔力持ちだぞ……」


















 

 

 

 



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