黒百合の守姫
向里 実記
第1話 ヤマトの国の刀仙は官吏になる。
それ以前の歴史の痕跡を一切残さずに焼き尽くすほどの大戦を生き延びた一握りの人類は、同じく奇跡的に焼け残った神樹『ユグラドシル』から世界全体にもたらされる生命エネルギー『魔力』を糧に、その神樹の麓に新しい文明を築いた。
やがて人類は神樹の麓に国を作り、遠く離れた未開の地を開拓し、世界を広げていった。
樹歴1172年、ヤマト歴313年。
希少鉱石『ヒヒイロカネ』を求め、神樹の麓から約5年の流離いの旅を経て遠い北東の山地にたどり着いた鍛冶師の一団がヤマト国を築いて300年以上の月日が経った。
ヤマト国は東から北にかけて広がるヨモツ山脈と南側のヒバ山脈に挟まれたほぼ円形の土地で、王都を含めてその領土全体が標高1000mから2000mの高山地帯である。
二つの山脈の雪解け水でできる川と、その水が注ぎこまれる湖によって水不足の心配はほとんど無いが、標高が高いために決して農耕に適した土地ではない。
比較的標高の低い場所では棚田を作り稲作をし、高い場所では主にじゃがいもを作っているが、食料の自給率は決して高くはない。
高山地帯では主に羊などを育てて羊毛なども神樹国ユグや一部の隣国に輸出しているが、この国の主たる財源は別にある。
それが、この民族がこの地に定住する理由となった特産の鉱石を用いた武具である。
北東のヨモツ山脈の地中深くには良質の鉄や希少金属のミスリルの鉱脈があった。そして何より、南のヒバ山脈には世界的にも非常に希少な金属、ヒヒイロカネが極まれに採掘される。
この宝の山を有するヤマト国が建国以来、他国からの侵攻をほとんど受けなかったことには二つの理由がある。
一つは、国を囲う山脈があまりにも険しく、天然の巨大な城壁ともいえる役割を果たしたこと。
もう一つは、門外不出であるヤマト国の鍛造技術が他国の鋳造技術を圧倒し、ヤマト国の部族自体に高い存在価値をもたらしたことである。
つまり、多大な国力を注いで鉱山を攻め取り、自国で品質の低い武具を鋳造するよりは、貿易によって高性能な武具の完成品を輸入することを周辺国が選んだからである。
しかし、第17代のヤマト国王リンドウ・アサクラの時代に、その平穏は崩されることになる。
カーーーーーン……
カーーーーーーン……
まだ日の上って間もない早朝、王都の外れにある小さな鍛冶場から金属を叩く音が響いた。
高山都市であるヤマトの王都の朝は寒いが、その鍛冶場では早速炉に火が入り、中で立っているだけでも汗が噴き出す熱気である。
そんな鍛冶場で熱した鋼を叩くのはまだ顔に幼さが残る少女、この鍛冶場の主であるギン・グレンの娘、リン・グレンだった。
「リンねーちゃん、こんな朝早くから刀打ってたら、うるさくて近所迷惑だよ。というか、僕が無理やり早起きさせられて迷惑だよ。ほんと、毎朝勘弁してほしい…」
鍛冶場の入口から目を擦りながら声をかけたのは弟のロンだ。
「そんなこと言ったって、城のお勤めは午前から始まるんだから、刀を打ちたければ早朝にやるか、夜中にやるしかないじゃない。夜中だとこれから寝る人の邪魔になるけど、早朝ならちょっと早めの目覚まし時計だと思えばマシでしょ」
槌とやっとこ(熱した金属をはさんで掴む道具)を放して、頭に巻いた手ぬぐいを脱ぎ取りながら、リンは弟に反論した。
短く切りそろえられた黒髪は汗に濡れて額に張り付き、上半身は胸元に晒木綿を巻いただけで鋼を打つ姿からは年頃の少女の恥じらいは感じられない。
「ねーちゃん、本当にこのままお城勤めをするの?せっかく史上最年少で『
『刀仙』とは、ヤマト国での鍛冶師の階級であり、国による名人認定の称号である。
ヤマト国では刀鍛冶は見習いから始まり、一人前になると刀工と呼ばれる。弟子を取るほどの腕前と認められると、国家運営の鍛冶師連盟から刀匠の称号を授与される。さらに、当代一の名人と認められた者には刀仙の称号を与えられる。
リンは父である先代の刀仙、ギン・グレンを15歳という若さで越えた凄腕の鍛冶師であるにも関わらず、刀仙の称号を受け継いで僅か3ヶ月で引退宣言した。
その後、それまでの人生で殆どやってこなかった読み書きや計算の勉強をして官吏の見習いとなった。今日は見習いとしての初出勤の日である。
「鍛冶は好きだけど、仕事じゃなくてもいいのよ。片手間の趣味でもそこそこ良い出来の刀が打てるようになったし、私はずっと前から官吏になるって決めてたんだから、未練なんてないわ」
ちょうどよく素延べ(金属を棒状に打ち延ばす作業)の作業が終わったリンは疲労の溜まった両腕をぶらぶらと脱力させ、片付けを始めた。
「いや……でもさ…」
「なによ」
「ねーちゃん、馬鹿じゃん。ぶっちゃけ脳筋じゃん。官吏なんて向いてないよ」
「う……」
弟の遠慮のない一言にリンの動きが固まる。
「めっちゃ勉強してたけどさ、官吏の採用試験も補欠合格で、ユリねーちゃんに頼んで無理に採用してもらったって、町中で噂になってるじゃん」
「う……うるさいわね!!ズルなんかしてないわよ!!補欠でも合格は合格よ!」
「鍛冶師を辞めて城で働きたいって宣言したら、次の日には兵士長のおじさんがスカウトに来たじゃん。そんで断ったら『その怪力を国の役に立てないのか!?』って目を丸くされたじゃん」
リンは体格だけみれば、まだ二次性徴が始まったばかりの幼く細身の少女だった。16歳になった今、同年の友人はみな女性らしい体つきになったが、リンは体の発育が遅れ気味で、まだ少年のような体つきである。身長もやや小柄な方だ。
それでも大人に負けぬ腕力で槌を振るい、幼い頃から通う剣術道場では師範に次いでの実力者であった。
その身体能力の高さは、持って生まれた才能によるものである。大国の人々でさえも数百人しか持っていない才能、『魔力を運動エネルギーに変換する能力』。
この能力を持つ者にとって、身体能力は本来の筋力と保有魔力量の積に等しい。
ヤマト国のような小国であれば、国防のためにもリンは喉から手が出るほどほしい人材であった。しかし、それだけの才を認められていても、リンは官吏の道を選んだ。
「私塾の先生の所に勉強教わりに行ったら、先生に『人には向き・不向きというものがあってな……』なんて諭されてたじゃん」
「か、関係ないでしょ!!私は官吏になりたい。そして採用されて今日から見習いとして採用された。それだけが大切でしょ!」
リンは片付け途中だった鍛冶道具や先ほどまで叩いていた棒状の鉄塊を放り出すと、鍛冶場の入口を塞いでいたロンを押しのけた。
「もう、あんたから言われる悪口に付き合ってたら初日から遅刻しちゃうわ!私はお風呂で汗を流して出勤の支度をするから、後片付けをよろしくね!」
そう言って弟に後片付けを押し付けて、逃げるようにリンは鍛冶場の隣に立つ母屋へと去っていった。
「鍛冶師からも兵隊からもこんなに猛烈アタックされてるのに、そこまでしてユリねーちゃんの近くにいたいのかね……」
面倒ごとを押し付けられることに慣れた弟は、そう呟いて後片付けを始めた。
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