龍の泉が輝く時

世楽 八九郎

龍の泉が輝く時

 あと少しだ。

 これで、きっと龍の泉は満ちる。


「あと少しだよ、姉さん……」


 唐突な私の独り言にリンちゃんがビクリと肩を震わせた。

 なんだろう? 私のこと、喋れない可哀そうな子だとでも思っていたのかな?


「少し、お話しようか。リンちゃん……?」


 膝をついてリンちゃんの大きな瞳を覗き込む。彼女の瞳が見開かれ、目尻から涙が零れる。

 やっぱり説明は必要だ。結果が変わらなくても、納得感というのはとても大事だ。それに出来ればリンちゃんには納得して貰いたい。


「龍の泉が輝く時、願いは叶う」


 言い伝えられた言葉の後に、私のため息がふぅー、と続いた。

 私たちの住む集落はとても小さい。地方自治体の怠慢か神様のほどこしか。どうやって存続できているのか不思議なくらいだ。

 だからか集落の龍神信仰は熱狂的だ。願い奉るのは龍神様だけ。ほかは認めない。

 日本は多神教のくにだと言われているのに。


「馬鹿だよねぇー」


 新年の神事を前に龍の泉が枯れた。集落の皆は発狂した。

 暗闇に続く孔のようになった泉を見て龍神様の怒りを恐れた。心の底から。背骨を軋ませるくらいに天を仰いで頭を抱えた。


「だけどさぁ……?」


 不意に皆は落ち着きを取り戻した。スイッチを切り替えられた人形みたいに。


「笑えない話だよ。神様ってのはテロリストか?」


 怒りにはあがないを。満ち足りない神様には生贄を。


「枯らしてはならぬ泉を満たすのは――」


 そういうものがいまも実在していることは知っている。過去に実在していたことも知っている。

 とはいえ、自分の姉が生贄としてブチ殺されて枯れた泉に放り込まれるとは夢にも思わないでしょう?


ヒトの血」


 おまけに儀式さつりくが済むと泉にはなんと冷水が満ち始めたのだ。

 赦しを得た共犯者たちどうほうはその水を有り難そうに口にした。

 私もそれを飲んだ。当たり前のように。緊張で乾き切った喉をそれで潤した。


「一人の血で枯れない泉。なら、満たして輝かすには……?」


 神事を済ませ、晴れて危機を乗り越えいつも以上に浮かれた酔っぱらいを一人ずつ手にかけることは案外簡単だった。私は目立たないから。

 寧ろ大変なのは死体運びだ。龍の泉までの道は舗装されていないせいだ。

 けどバラバラにして運ぶようになってからはずいぶん楽になった。私が龍の泉に行くことを誰も不自然には思わなかった。お母さんは気づいていたかもしれないけど。

 流石に人が消えるにつれ警戒は強くなってきたけど、大体の男はなんとかなった。

  

「リンちゃんパパは引っ掛からなかったけどね?」


 私のしたことは理解できなくても嘲笑する声に彼女の瞳が怒りに歪んだ。


「親子揃って反抗的だなぁ~」


 リンちゃんの柔らかい頬を撫でると、わき腹が傷んだ。


「はぁ、リンちゃん、お勉強しよーか?」


 後ろ手で縛られた彼女の身を起こす。

 私は適当に拾い上げた石で地面を引っ搔いていく。


『龍花』

『竜音』


「姉さんが龍花りんかで、私が竜音りんね。普通は字を揃えない?」


 リンちゃんは地面に刻まれた文字をじっと眺めている。


「特にこんな田舎じゃ、


 私の声にリンちゃんが肩を震わせた。

 違う違う。そうじゃない、気づいてくれないかなぁ。


「んっ、やらないはずのことをやる。それにはそれ相応の……理由があります」


 私の視線から逃れるためか、リンちゃんの瞳がギョロギョロとグロテスクに踊る。


「……きもっ」 


 もういいや。ネタバラシしよう。姉さんみたいな軽快な会話運びは無理だ。


「はーい、時間切れ。正解はを表してるの。龍花が上で、竜音わたしが下ね」


 リンちゃんの視線が地面に縫い付けられた。


「酷くない? あからさまに差ぁつける? 姉妹で」


 まあ、私と姉さんには実際天と地ほどの差があったけど。

 そう思うと笑いがこみ上げてくる。


「でっ、ここの大人たちは龍神様に生贄を捧げてるんだけど、上と下、どっちを差し出すと思う?」


 リンちゃんの視線が龍花の字をなぞってから激しく揺れ始めた。


「そう。正解は上、だよ? 龍胆りんどうちゃん?」


 力の抜けかけた彼女の首に手をかける。


「つまりね? また泉が枯れれば、皆はリンちゃんを生贄にするってこと」


 私の言葉に彼女の瞳が光を亡くした瞬間、ブズと何かが潰れる感触が伝わった。

 リンちゃんの唇が微かに震えて、止まった。

 ひひひっ、と笑い声が溢れる。


「なんでって?」


 彼女の最後の言葉に応えるようにその身体を抱きかかえて龍の泉の淵に立つ。


「だって、こんなに綺麗なんだよ……?」


 龍の泉は紅い水を湛えている。

 陽の光にかざした赤ワインみたいにキラリキラリと輝きを放っている。

 集落の人々いけにえの亡骸を放り込むほどその色は深く澄んでいった。


「こんなの見たら、信じちゃうよ」


 突き落としたリンちゃんの身体が泡立ち消えていった。

 龍の泉が輝く時、願いは叶う。

 きっと、この光景を見たご先祖様は誇大妄想に憑りつかれてしまったんだ。

 けど、そう信じてしまうほどに訴えかけるものがある。


「……まだ、足りない」


 龍の泉は紅い水で満たされている。光ってはいるけど、輝いているとはまだ言えなさそうだ。


「あとは、誰が……いた、かな?」


 次の獲物いけにえを求めて歩き出した私の脚が突然もつれた。


「うぅ……!!」


 どうしてと思うと同時に酷い眠気に襲われる。

 そういえば、何日もまともに食べてないし寝てなかったか。

 私の意識はそのまま暗闇に沈んだ。


『何故お前はこのようなことを為したのだ?』


 暗闇に声が響いた。

 反射的に身を起こすと、龍の泉に人が立っていた。

 死体をあっという間に溶かしてしまう泉に立ったその人は秋空のような深くて淡い青色の着物を纏っている。そして、その顔は――


「姉さん……?」

『ああ……残念だけど、違うよ?』


 姉さんの顔した何者かは私の声に一人合点がいったような表情を浮かべると、自然な調子で、まるで姉さんのように喋りだした。


「あなたは、誰?」

『龍神と呼ばれているものってところだね。私からも質問いいかな?』


 龍神の言葉に私は億劫そうに頷いた。


『あなたはどうしてこんなことをしたの?』


 私はよろける身体をなんとか立たせると泉を覗き込んだ。


「この泉が、輝くところを見たかったんだと……思う」

『これぇ?』


 龍神は足元を見つめ口元をへの字に曲げた。その表情も姉さんそっくりだ。

 私が見たいのはこんなものじゃない。


「だから、次の……」

『あー、それなんだけどさぁ?』


 踵を返した私を龍神が呼び止めた。振り返ると龍神は気まずそうな表情でこちらを見ていた。


『集落の人たちね、全滅しました。あなたがみなごろしにしちゃいました』


 その言葉に頭が真っ白になった。泉が輝く前に生贄が足りなくなるなんて。


『顕現する程度はなんとかなるけど、願いを叶えるには力及ばずって感じでね』


 固まる私に龍神は申し訳なさそうに手刀を切っている。


「……本当に願いなんて叶えられるの?」

『うん。凡人が想像するようなことなら、大抵は』


 お互いに思いもよらぬことだったようで、私たちは同じ質問を繰り返した。

 やがて龍神はカカカと高笑いした。


『あー、そうかそうか。別に願いを叶えて貰うことが目的じゃなかったのか。それはよかった! そうじゃないかと思ってはいたけど。いやはや、ここまで頑張ってくれたというのに願いは叶えられませんなんて、流石に言いにくかったから助かったよ』

「私は、別に……」

『いやいや、あなた必死だったよ? 文字通り命懸けで――もう、死にかけてる』

「え?」


 龍神の言葉に続くように私は膝から崩れ落ちた。わき腹に触れる。痛みはもうないけど、ぐちゅぐちゅと気持ち悪い感触がした。


『命を助けてとか願われたら、気まずいなぁって思っていたからマジこれ僥倖だよ、僥倖! あ~、それか姉さんわたしを生き返らせたかった?』


 姉さんそっくりの愛くるしい笑みを浮かべる神様に私は吐き捨てる。


「まさか。姉さんは聡くて美人だけど、都合のいい集落の男なしじゃ生きてけないよ」

『へぇ? 幸せを願う心よりも憎しみが有り余ってるわけだ?』

「そりゃ、そうでしょう」


 こんな誰からも忘れられたような土地に縛られて、言い伝えに熱狂したあげく人殺しさえやってしまう。

 生贄私たちの人生ってなんだったんだ。せめて答えが欲しい。

 欲しいものはあるけど、それがなにか分からない。

 俯きかけた私の耳に拍手の音が響いた。


『うん、まさに僥倖だよ。妹くん』


 気付けば龍神がすぐ傍で私を見下ろしていた。


「なに? もう、死ぬんだけど?」

『願いを叶える力はないが、あなたの見たいものは見せてあげようっ』


 龍神は満面の笑みで天をピンと指さした左手をスッと下した。

 それと同時に左脚が切り裂かれた。吹き出る血が地面を這って泉に流れていく。


『さあさあ、お立合い! 古き神の最後の雄姿だ! 龍の姿をご覧あれ!』


 両腕を広げた龍神は楽し気にくるりと回ると泉に沈んだ。

 泉から紅い光が放たれ洞を照らしだした。

 龍の泉が紅く輝く。

 

「きれい……」


 私の声が届いたかのように、泉の輝きが明滅した。

 繰り返される光と暗闇の逢瀬のなかで気が付いた。


「龍の、瞳?」


 私の言葉に呼応するように紅い泉が私を覗き込んだ。

 龍の泉が輝く時。龍が目覚めるのだ。

 風が洞に吹き荒れだす。龍の息吹に巻き上げられた私の身体は洞の外へ吸い出されそのまま空へと昇っていく。

 陰鬱な雪雲が吹き飛ばされ、眼前の広がる蒼天へと落ちていく。

 轟音が鳴り響く。御社殿を突き破り龍が天を目指す。

 龍は咆哮と共に全身を大地へ叩きつける。それだけで集落のすべてが崩れ去った。 

 天を仰ぎ龍は全身を震わせた。まるでカカカと笑うように。


「はは、あはははっ!」


 私の全身が笑っている。

 凄い。凄い凄い! 私はとても凄いものを目にしたんだ。

 龍の瞳が私の姿を捉えた。

 私は迎え入れるように両腕を広げる。

 龍が笑うようにその顎を開いた。

 そこには底なしの暗闇だけがあった。

 その暗闇が私を飲み込む。

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龍の泉が輝く時 世楽 八九郎 @selark896

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