【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ23


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 ここからは後日談だ。


 


 私は入院した。まあ、当然だな。


 担当してくれた医師は前回のファンキーおじいちゃんだった。


「右耳、真っ二つじゃん。頬の切り傷も結構深いし、これは傷のこるよー」


 ですよねと答えた時には、おじいちゃんはすいすいと傷口を縫い始めていた。この人はふざけてはいるが、優秀な医師ではあるのだ。鼻歌を歌いながら傷口を縫うのは流石にどうかと思うが。


 足のやけどについては、「しばらく引きつるけど、じきに良くなるよ。そこまで痕にはならないと思う」とのことだった。


「で、今回は、誰をぶっ飛ばしたの」と聞かれたときは、正直に「ストーカーメンヘラこじらせ女」と答えた際は大いに受けた。隣の看護師はドン引きだったが。


「でも、友達です」


「そっか。じゃあ、仕方ないね」


 そうだな。仕方ない。




 あの朝、私はそのまま雪の上で気を失っていたらしい。それを見つけた美音は半狂乱になりながら通報した。


 私を搬送してくれた救急隊員によれば、美音はまだ敵が近くにいるかと思い、救急車が到着するまで、スキレットを片手に、血まみれの私を抱きしめて守り続けていたらしい。「あなたは本当に、本物の救急隊員ですか!」と泣きながら威嚇されたと隊員さんは苦笑いしていた。うちの美音がすみません。


 


 今回はそこまで入院期間が長くなかったので、一休みしたらすぐに事情聴取という感じだった。拘束時間は、多分、今までで一番長かったと思う。


 桜田刑事は目じりのしわが増えたように思う。気苦労が絶えないのだろう。たとえば私とか。


 今回は、ちょっと質問も厳しめだった。まあ、小学校の同級生だ。共犯を疑うのも当然だよな。私の証言を全面的に信頼する訳にはいくまい。


 だが、回収されたレイジのスマホの中にあった動画が決定的な証拠になった。


 数日後、奈緒の両親の別荘の庭から、レイジ、本名、山本貴史の埋められた遺体も発見された。


「しかし、ライブ配信とは、やってくれましたね。事件があそこまで公になってしまった」


 桜田刑事はいつもの作り笑顔を貼り付けてはいたものの、内心はぶち切れているのがわかった。ほんとすみません。


 桜田刑事はため息をつく。


「近隣住民は、今でも大騒ぎですよ」




 清水奈緒は、未だに発見されていない。


 


 私の証言を受けてすぐ、あの暗い森に大規模な捜索隊が派遣されたが、まだ手がかりはないようだ。


「もしかしたら、森の奥深くに行ってしまったのかもしれません。樹海のような場所ですからね。捜索隊の方達ですら危険でした。斉藤さんの言うとおりの軽装で入って行ったのだとしたら、この季節ですし、おそらくもう・・・・・・」


「・・・・・・そうですね」


 そう答えながらも、思った。なんだかんだで、あいつはかくれんぼガチ勢だからな。捜索隊ぐらいやり過ごすかもしれない。


「・・・・・・しばらく、斉藤さんの身辺は、我々が安全を確保します」


 それはつまり、私を見張るということだろう。いつ、奈緒と接触するかわからないから。殺人犯だもんねナオちゃん。


 警察署を出るとき、桜田刑事は頭を下げた。


「ご友人の岸本さんには、悪いことをしました。斉藤さんの方からも支えてあげてください。」


 美音は、私の入院中に事情聴取を受けていた。事の真相を知った美音の取り乱しようはすごかったらしい。あんなに私のために安全なキャンプ場を探そうと懸命に立ち回ってくれていたのに、自分が奈緒を信用したせいで私がこんな目にあったのだ。美音の性格上、さぞつらいだろう。


 その日のうちに美音は病室に飛び込んできて、何度も何度も泣きながら謝られたが、紗奈子と私で必死に慰めた。美音は悪くない。本気の悪意を持ってだまそうとしてくる輩には、美音のような善人は対策のしようがないだろうから。これをきっかけに美音が、私のように人間不信に陥らないことを切に願う。




「あのお願いは、どうなりそうですか」


 聞くと、桜田警部は眉をひそめた。


「難しいですね。遺族の方ならともかく。たとえ遺族の方でも、手続きには時間がかかりそうです」


「そうですか」


 そりゃ、そうだよな。








 レイジ、本名、山本貴司の唯一の遺族である母親に会えたのは、事件から一月が経過していた。


 夫と離婚後、高校までレイジと二人で住んでいたというマンションの一室にお邪魔させてもらい、彼女には全てを話した。警察にはぼかして伝えた幽霊のことも含めて、全て。


 母親は半信半疑だったが、全て聞き終えると、たばこをくわえながら、私に背を向けるように外を向いた。窓に肘を乗せる。


「あいつが小学校の頃に、離婚したんだけどね」


 私は黙って聞いていた。


「それまで、私たち夫婦は本当に仲が悪くてね。狭いマンションに住んでいたから。距離が近いのが良くなかった」


 そこで、母親はふーと煙を吐いた。


「年に数回、あのキャンプ場に行ったときぐらいだった。私たちがケンカしないのは。あの子が心から楽しそうに遊ぶのを見るのも。よっぽど、うれしかったんだね」


 私は聞いた。私は結局、レイジのことを全然知らなかったから。


「どんな子だったんですか。貴史さんは」


 母親は答えなかった。


 私は頼み事も終えていたので、一礼すると、出口に向かった。


「いいやつだったよ」


 扉を開けて外に踏み出そうとしたとき、母親のぼそりとした声が聞こえた。


 振り向くと、母親は、たばこを指に挟んで、まだ外を見ていた。


「いいやつだった。つらい時も悲しい時も、いつも笑って。本当に、優しいやつだった」


 指先のたばこが、微かに揺れていた。




 




「いやー。なっちゃんも晴れて無職仲間かー!」


 フレンチビュッフェの席で、紗奈子が嬉しそうな声を上げる。


「紗奈子ちゃん! 本人の前でそういうこと言わないの!」


「いいよ。美音。事実だし・・・・・・」


 仕事をクビになった。


 ライブ配信大捕物までやってしまったのだ。これも仕方ない。まあ、私自身が何か罪を犯したわけでも、業務態度が悪いわけでもなかったので、ありがたいことに、会社都合の離職扱いをしてもらった。おかげで退職金も結構出た。まあ、もともと職場には居づらくなっていたし、ちょうどいいと思おう。


 今日は美音と約束していたフレンチに来ていた。


 おごってやろうと息巻いていたのだが、美音は奈緒の一件を気にして、「私におごってもらう資格はありません!」とか面倒臭いことを言うので、紗奈子も呼んで、いっそのこと女子会にすることにした。料金は私と美音は割り勘。紗奈子に関しては、一つ頼み事をするので、私のおごりだ。


「次は仕事、何するの? なっちゃん」


「うーん。変に顔が売れてるからなあ」


「顔の傷、超目立つもんね!」


「紗奈子ちゃん!」


「いいよ。美音。髪型のおかげで、結構気に入ってるし」


 私の右頬から耳にかけて一文字にはいった巨大な切り傷に合わせるため、美音に髪を切ってもらった。「責任を持って、綺麗に隠しますね」と腕まくりをする美音に、「いや、むしろ見せる感じで」と言ったら、腰を抜かしかけていた。今の私の髪型は、ショートボブで左側は下ろし、傷のある右側はかき上げて、後ろでまとめてある。


「サムライみたいだね!」


「それはうるせえ」


「そうだ。キャンプインストラクターとかどう? 子どもキャンプとかの引率しなよ。その傷も、『ナツリーダーかっこいい』って、なるかもよ」


 この傷は子ども相手には多分怖がられるだけだろうから、実際にやる場合は隠すかもしれないな。髪を下ろして、奈緒のように化粧を厚塗りすればごまかせるかも。


 まあ、子どもキャンプリーダーをやるかどうかはさておき、でも、そうやってキャンプに関わる仕事は、悪くないかもしれない。


 


 三人でひとしきり談笑した後、紗奈子が真面目な顔で私に聞いた。


「ところで、例の話、本当に、私のチャンネルでいいの?」


「やっぱ、迷惑?」


「それは全く。最近はぜんぜん投稿もしてないし」


 先日、レイジの母親が頼んでいたデータを送ってくれた。警察への申請手続きはかなりの手間だっただろうが、頑張ってくれたらしい。


 レイジの、緑の里キャンプ場での撮影動画である。もちろん、殺害時付近の映像はカットされたものだ。確認してみたが、テントの設営の様子、雪だるまやかまくらを作成する様子、キャンプ飯を紹介する様子が入っていた。どの動画も、レイジの人柄が伝わる、温かいものだった。


 動画編集は紗奈子が引き受けてくれた。レイジのチャンネルはライブ配信の際に凍結されてしまったので、そのまま紗奈子のチャンネルで投稿してもらう形になった。近々、事前説明と予告も出してもらう予定だ。


「紗奈子ちゃん、デザート取りに行こう」


「よっしゃ。ほら。なっちゃんも行くよ」


 紗奈子に手を引かれ、苦笑しながら立ち上がる。


 ふと思った。もし、もっと前に、奈緒と自然な形で再会していたら、奈緒もこの場にいたのだろうか。


 奈緒は話を合わせるのがうまいから、美音や紗奈子とも、すぐに仲良くなったに違いない。きっと明るくて面白い、良いお姉ちゃんになるだろう。なんなら、二人に悪知恵を吹き込んだりするかもしれない。そしたら、ちゃんと私が叱ってやらないと。


 なんてね。




 その日の晩、夢を見た。


 初めはまた昔の記憶かと思った。


 私は小学6年生になっていて、あの、黄色いだぶだぶの作業着のようなジャンバーを着ていた。目の前には同じくサイズのあっていない黄色いジャンバーを着た、子どもの頃の奈緒がいた。


 場所はあの神社の参道だった。


 でも、そこで、これは記憶ではなく、単なる夢だと言うことがわかった。


 だって、あの日、二人でこの格好でここを通ったとき、実際は夜で、吹雪だったのに。今は、一面に雪が積もった神社を、鳥居の向こうから太陽が明るく照らしていて、あたりがきらきら光っていたから。


 だから、これは、夢だ。


 私と奈緒はワルツを踊っていた。両手をつないで、円になって。


 音楽はなかった。でも二人とも、声を出して笑っていた。


 奈緒が言う。


「楽しいね。なっちゃん」


 私は言う。


「楽しいね。ナオちゃん」


 奈緒が笑う。


 私も笑う。


「ねえ。なっちゃん」


「なに?」


 奈緒が八重歯を見せて、微笑む。


「ずっと、一緒にいようね」


 私も笑った。


「うん。友達だもん」


「うん。友達」




 実際は、奈緒は殺人犯で、私は斧で顔を切られて、実際はもう会うことなんて出来なくて。一緒になんて絶対にいられなくて。


 だから、これは夢。




 とっても幸せな、ただの夢。




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