【第3章】 雪中キャンプ編 清水奈緒 4


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 清水奈緒は、ロッジに着く寸前、気が付いた。足跡に注意しながら雪の通路を10分は歩き続けた後のことだった。


 おかしい。


 足跡が見当たらないのは、通路の上を通ったからだと思っていた。しかし、ナツは斧で耳を切り裂かれていたはずだ。大きな動脈を切ったわけではないので、そこまでの出血ではないにせよ、この短時間で完全に止血できるものでもないだろう。どこかに血の跡が残るはずだ。ナツはここを通っていない。


 そこで、奈緒は見落としていた可能性にようやく気づき、斧を手に雪の通路を駆け戻った。森の横を抜け、トイレを横切り、キャンプサイトに戻ってくる。


 太陽がようやく顔を出していた。雪に白く染まった田園地帯をまぶしく照らし、朝の訪れを告げている。キャンプサイトは一面、金色に光り輝いていた。


 奈緒は片手で朝日を遮りながら、レイジのテントに近づく。テントは完全に崩れ落ち、わずかに残った炎がゆらゆらと揺れている。その手前に、大きな雪山が一つ。


「なっちゃん。出てきなよ」


 レイジが作り、奈緒が雪を重ね続けていた、あのかまくらから、ナツが、ゆっくりと出てきた。


「みーつけた」


 奈緒は白い息を吐きながら、笑った。


 ナツは太陽を背に、奈緒の前に立った。血まみれの耳には、右手で雪の塊を押しつけている。もう片方の手であの小さなナイフを握り、奈緒に向けているが、今はもう二人の間に灯油はない。




 朝日の逆光で、ナツの表情は奈緒からはよく見えない。だが、奈緒を睨み付けているのだけはわかった。


「清水奈緒。もう一度だけ聞くわ」


「なに? なっちゃん」


 ナツの息も白くなる。


「あんたが、レイジを、殺したのね」


 何をいまさら。奈緒は笑った。


「そうだよ。テントの裏から、カッターで生地に穴をあけて、撮影に夢中のレイジの首を絞めた。あ、そっか」


 奈緒は思わずまた斧の柄を叩いて拍手した。


「なっちゃん、あの穴から脱出したんだ。そうだよね。テープで塞いでただけだったし。機転が利くってすごいなあ」


 大げさに褒めたが、ナツの表情は緩まないようだ。そりゃそうか。


「そんな風に、テントに侵入したってことは、レイジの恋人っていうのも始めから嘘だったんだね」


 もうわかってるくせに。


「うんそうだね。ふられちゃった。でも、結局、あたしはレイジになれたわけだから、別にどっちでもよくない?」


「じゃあ、レイジのライブ配信に入り込んだのも」


「よく知ってるね。うん。あたしだよ。ファンの子達への牽制にもなるかなって思ったんだけど、あそこまで炎上するとは。みんな、ほんとはレイジのこと好きじゃなかったのかな」


 奈緒は笑った。


 なっちゃん、時間稼ぎしてるのかな。美容師ちゃんが来るのを待っているのかも。どうせその子も殺しちゃうのに。


「じゃあ、レイジは、ストーカー女につけ回されて、完全に濡れ衣で炎上させられたって訳だ」


 くどいなあ。もう殺しちゃうか。


 奈緒が間合いに入ろうと一歩踏み出した時、ナツが大声で叫んだ。


「清水奈緒! あんたは人殺しだ!」


 ひどい言い草だな。まあ、間違ってはいないんだけど。


「あんたは、無実のレイジを罠にはめて、あげくに殺したんだ! ねえ、聞こえてる!?」


 うるさいなあ。聞こえてるに決まって・・・・・・


「お前に言ってねーよバーカ」


 ナツは急に後ろに振り返った。背後に向かって呼び掛ける。


「ねえ! 聞こえてる!?」


 誰かいるのか? 奈緒はあわててナツの視線を追う。


 ナツの背後、まだわずかにくすぶるテントのさらに先。


 雪だるまがあった。レイジが作った雪だるま。


 その上に、立てかけてあった。ナツのピンクの急速充電器につながれた、超防水性能の高級スマートフォン。レイジの白いスマホ。


 カメラがこっちを向いている。


 ナツが叫んだ。




「世界中のキャンプ仲間のみんな! 聞こえてるー!?」








 数秒後、奈緒は事態に気がついた。


 奈緒は叫び声を上げながら、雪だるまに突進した。ナツには見向きもしなかった。


くすぶっているテントの残骸を飛び越え、雪だるまの頭を斧で吹き飛ばす。


 レイジのスマホが宙を舞い、雪に落ちる。


 奈緒は斧を放り出してそのスマホに飛びついた。画面を見る。一目でわかった。


 ライブ配信。


 この早朝の時間帯にもかかわらず、すさまじい数の視聴者がいた。しかも、今も次々とカウンターが跳ね上がっていく。


「あ、ああ・・・・・・」


 コメント数がおびただしい。


『え、なに? 殺人事件?』『やばいやばい』『歴史的瞬間』『殺人犯シミズナオ』『あれ、斉藤ナツだよね』『レイジえん罪じゃん』『え、レイジさん、死んじゃったの? うそ!』


 配信を止めようとする。しかし、ふかふかの手袋に画面が反応しない。奈緒は金切り声をあげてスマホを放り投げた。ピンクのコードに繋がったスマホは回転しながら、遠くの雪にぼすっと落ちた。


 終わった。全部終わりだ。


 なっちゃんのせいで、全部終わっちゃった。


 許さない。


 奈緒は足下の斧をひっつかんで振り返った。


「なっちゃああああああん!」


 そこで、奈緒は予想外の光景に動きを止めた。てっきり、ナツは今の隙に逃げだしたものと思っていたのだ。


 しかし、ナツは立っていた。奈緒の数メートル前に。奈緒が振り向くのを待っていたように。


 その手には、スキレットが握られていた。


「じゃあ、ナオちゃん」


 斉藤ナツは静かなまなざしで、奈緒を見つめた。正面から、まっすぐに。




「ケンカ、しよっか」


 




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