【第2章】 湖畔キャンプ編 藤原紗奈子

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 私の両親は普通です。


別に厳しくもなかったし、貧乏でもなかったです。でも、なんかよそよそしいっていうか、一歩引いてるというか、どこか他人行儀というか。そんな感じでした。小学生の時、親戚の人からこっそり聞いてわかったんですけど、私、養子だったんですよね。血が繋がってなかったんです。他人だったんです。


 親子の愛に血のつながりなんて関係ない。気にする必要ないっ言うのが一般論だと思うんですけど、やっぱり気にしちゃうんですよ。


 参観日とかで、他の子が親に手を振ったりするのを見ると思っちゃうんですよ。


 ああ、あの二人は本当の親子なんだなあって。


 そんな風に思い始めると、私もなんか両親に対して遠慮するというか、他人行儀になるというか。そしたらもうギクシャクしちゃって。


 一時期はこのままじゃ捨てられるんじゃないかと思って親に媚びを売りまくりました。それもうまくいかなくて、次は逆にどこまでなら耐えてくれるのかとわがまま放題し始めました。中学に入ったら、それがエスカレートして、万引きしてみたりとか、クラスの子の財布盗んでみたりとか。トイレで手首切ってみたりだとか。親は何度も学校に呼びつけられてたけど、両親ずっと平謝りで、しかも私には何も言ってこなくて、なんか馬鹿馬鹿しくなって。そんなことしてたから勉強は全然わからなくなって、高校も別に行きたくもないところに行くことになっちゃって、なんか、めんどくさくなって。


 一年の時に制服のまま教科書も持ったまま、家に帰らなかったんです。家出です。


 行く当てなんてなかったけど、できるだけ人が多い街中に行ったら、なんとかなるかなって。


 そしたら、なんとかなっちゃったんです。


 同じように家出した子達がいっぱいいて、なんか家出コミュニティみたいのがあったんです。みんなで協力してちょっとグレーな仕事して、誰かの名義で部屋借りてたまり場にして寝泊まりするみたいな。とりあえずそこに入れてもらったんですけど、やっぱりそこでも馴染めなくて。


 やっぱ家帰ろうかなとも思いました。スマホはずっと使えてたんです。親を私がブロックしてたから連絡はなかったけど、通信料は払い続けてくれてたから、きっと帰ることは出来たと思うんです。


 でも、あそこも私の居場所じゃない気がして、あの人たちは私の家族じゃない気がして。ほんとの家族がやっぱりほしくて。


 そしたら、ネットで知り合ったケンくんって人に家に誘われたんです。


 行ってみたら結構大きなマンションに住んでて、ケンくんは大学生なんですけど、すごい大人びてて、ずっと部屋に居ていいって言ってくれて。


 あ、ここが私の居場所なんだってうれしくて。


 ケンくんが好きな料理もいっぱい覚えて。ケンくんも学生だから養ってもらうわけにはいかないから、私もがんばってバイトとかして。


 ケンくん、中古らしいけどすごいかっこいい車持ってて、ドライブにもよく連れてってくれました。スポーツカーなんですけど、マニュアル? じゃなくてオートマなんですって。だから紗奈子もちょっと練習すれば乗れるよって言ってくれて。時々、こっそり駐車場とかで一緒に練習してくれたんです。ある時は近くのレストランに私の運転で行ったこともありました。「今、警察来たら二人とも捕まっちゃうね」なんていいながら。


 でも、ケンくんが3回生になったぐらいから、なんかおかしくなっちゃって。




 そこまですさまじい勢いで語っていた紗奈子は、そこで急に声のトーンを落とした。


「急に冷たくなったと思ったら、突然、花とか買って帰ってくるんです。記念日でもないのに」


 紗奈子は私に顔を向けた。


「そういうの、やばいですよね」


 ああ。やばいな。


「あ、浮気だ! と思って、問い詰めたんです。そしたら、なんか就活の話とか始めて、え、なに? どういうことってなるじゃないですか。とりあえず聞いてたら、3回生になってみんな就職に向けて動き始めたって。だからケンくんも就活セミナーとかそういうのに参加し始めたらしくて」


 紗奈子はふーと息を吐き、続けた。


「それ聞いて、私すごくうれしかったんです。だって、ケンくんが就職するって事は、私たち、結婚できるって事じゃないですか。私は、ようやく本当の居場所を手に入れることができるんだあって」


 そこで紗奈子は数秒口をつぐんだ。


「で、でも」


紗奈子の声は震え始めた。赤いワンピースのスカートの裾を握りしめる。


「しゅ、就職するってことは、もう、もう遊んでいられないって、こと、だから、あ、わ、わ、別れようって」


紗奈子の目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「出て行って、くれって」


 紗奈子は瞳をぎゅっと閉じた。たまっていた涙が一際大粒になって頬を転がるように伝う。


「遊びだったんだケンくんにとっては。わ、わたしにとってはずっと、ケンくんは」


 家族だったのに。


 紗奈子はそこまで言うと声を出して泣き始めた。


私も今回ばかりは平手打ちをする気にはなれない。まあ、拘束されて猿ぐつわ状態だから、したくてもできないが。


 泣き叫ぶ紗奈子を改めて見つめる。話を聞くに、家出したのが高校1年生だと言うから、ケンくんとやらの家にどれだけ居たかわからないが、下手すると18にもなっていないかもしれない。私からすれば、まだ子どもだ。学校にほとんど行ってないのであれば、正しい知識もろくについていなかっただろう。


 誰か一人、誰か一人でも頼れる大人がいれば、変わったのだろう。


いや、きっと、いたはずではあったのだ。手を伸ばしさえすれば引っ張ってくれる大人は、きっとたくさんいたはずだ。


 でも、紗奈子は、助けを求めることが下手だったのだ。誰かに頼る事ができなかったのだ。頼り方もわからなかったのだ。


 子育ては相性だと聞く。同じように接しても、子どもによって、親によって、うまくいくときとうまくいかない時がある。


 聞く限り、紗奈子とその義理の親は、どちらも愛がなかった訳ではなかった。むしろ、紗奈子に関しては親の愛を渇望していたかのようにも聞こえる。両親だって懸命に親の務めを果たそうとしていた印象を受けた。


 ただ相性が悪かっただけなのだ。


 しかし、それに気がつくには、紗奈子は若すぎる。


そして、彼女は自分の気持ちと親の事情に折り合いを自ら付けられる年齢になる前に、その生を終わらせようとしている。


 私は思わず白鳥を睨み付けた。


 こんな右も左もわかっていない子を殺す気か。


 しかし、白鳥は私の視線に気づく様子など一切なく、うんうんと頷きながら、紗奈子に「つらかったね」などとやさしく声をかけている。「今夜で終わりにできるからね」と。


 紗奈子は、しばらくすると泣き止み、多少しゃくりあげながらではあるが、続きを話し始めた。


「私、もちろん出て行きたくなかったから、何でもしました。ケンくんに泣きながらすがりついたし、目の前で『死んでやる!』って手首を切ったりもしました。でも、全然逆効果で、『どうせ死ねないんだろ』と言われて、私、言い返せなくて。最後はどうしようもなくなってトイレに立てこもったです。そしたら、ケンくん、『警察呼ぶ』って言い始めて。痴話げんかで警察なんか来るわけないって言い返したら、『お前、家出娘だろ』って」


 泣きはらした赤い目で、紗奈子は床を睨み付ける。


「警察に連絡されたら、私、家に連れ戻される。またスタート地点に戻っちゃう。それだけは何でか嫌だったんです。この一年が全部なかったことになる気がして。私は結局荷物をまとめて出て行かされました。」


 そこで家に戻れば・・・・・・ と思うが、そうはならなかったのだろう。


「行くところもないから、少ない手持ちでしばらくネカフェに泊まりました。どうすれば、ケンくんと仲直りできるのか、毎日そればっかり考えて。そしたら、ストレスで肌がすごく荒れ始めて。食欲もなくなって、これまで好きだった料理も全然食べられなくなっちゃって、体はむくむ割に体重はどんどん減ってくし、生理も止まっちゃうし」


 「もうぼろぼろで」と紗奈子はへらりと自虐的に笑った。


「ある日、諦めきれなくて、ケンくんのマンションの前まで行ったんです。そしたら、ケンくん、スポーツカーから女の人と降りてきて。ケンくんと同じようにリクルートスーツを着た、同い年ぐらいの女の人。私、思っちゃったんです。子どもの頃の参観日の時みたいに。ああ、あの人は遊び相手じゃないんだろうなあって。あの人は、ケンくんの家族になれる人なんだろうなあって」


 そこで、紗奈子は白鳥を見た。


「その時、思ったんです。もういいや。ほんとに死のうって」


 白鳥が微笑む。


「でも、一人じゃ死ねそうになかったから、ネカフェのパソコンで調べてたら、偶然『Lake』を見つけて。管理人の白鳥さんに本当に親身に相談に乗ってもらえて。今日、参加することになりました」


 なるほどな。初めて、ようやく初めて頼った大人が、白鳥だったのか。


私は思わず天を仰いだ。最悪だな。


自分でこじらせた石田とは訳が違う。紗奈子は精神的に傷つき、ボロボロになったときに白鳥に誘導されたのだ。自死を美化する甘い言葉を並べられ、この腐った会に連れてこられた。


「いざ死ぬってなると、やっぱり、ケンくんに思い知らせたくなったんです。あんたのせいでわたしは死ぬのよわかってんのって。どうせ死ねないんだろってたかをくくってたケンくんに、死ぬほど罪悪感を植え付けてやろうって。だから、こっそりケンくんのマンションに忍び込んだんです。合鍵の隠し場所知ってたので。そして車の予備の鍵を盗んでおいて」


 そこで紗奈子は泣きはらした顔でてへっと笑った。


「今日、スポーツカーでここまで来ちゃいました」


 やるなこいつ。


「白鳥さんに頼んで、私が死んだ後、スポーツカーはこことは離れた適当なところに移動させてもらえることになったんです。盗難車としてすぐケンくんのもとに戻るとは思うんですけど」


そこで紗奈子は、一通の白い封筒を取り出した。表面に「遺書」と書かれている。


「白鳥さんに私の遺書をダッシュボードに入れておいてもらいます。これで、ほんとに死んだことは伝わると思うんですよね。これから先、ケンくんには毎日、罪悪感に苦しんでもらいます」


 自慢げに言う紗奈子に、白鳥は「お任せください」と合いの手を入れる。


「ただ、やっぱり、運転が難しくて。Dがドライブなのはしってたんですけど、Nとか2とかLだとかは意味わかんないって感じで。とりあえず備え付きのナビを見ながらなんとかノリで乗ってきたんですけど」


紗奈子はため息をついた。


「最後の山道で溝にタイヤがはまって。どんなに頑張っても車、溝からでれなくなっちゃって」


 あの行きしなにあった細い道か。私が免許とりたての美音でも大丈夫だろうと判断した道だろうが、無免許ならば脱輪しても無理はない。


「スマホの充電し忘れで午前中にスマホの充電切れちゃうし、古い車だからスマホの充電もできなくて。だからタイヤがはまっちゃった後も連絡も取れなくて。真っ暗な中、山を歩いてさまよう羽目になって。いつの間にか道を外れちゃって、気がついたら川にはまってびしょ濡れになっちゃうし、昼はあんなに暑かったのに夜はすごく寒くて、もう泣きそうで」


 そこで、紗奈子は私に笑顔を向けた。


「もう駄目だって思ったときに、なっちゃんのたき火が見えて。あ、メンバーの人だってすぐにわかって。火に当たらせてもらって、一緒に唐揚げ食べたんだよね」


 なるほど。そういう流れだったのか。ようやく全ての線が繋がった気がした。




「よし。話、終わりだな。さっさと始めようぜ」


 石田がやれやれといった様子で立ち上がる。


白鳥も「そうですね」と腰を浮かせたとき、


「あの」と紗奈子が恐る恐ると言った様子で声を上げた。


「なっちゃんの話は聞かなくていいんですか? なっちゃんもう落ち着いたみたいですし」


 白鳥と石田は紗奈子の顔を見て、それから猿ぐつわをされた私に目を向けた。3人の視線が私に刺さる。




 さあ、正念場だ。






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