【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 3
3
荷物を運び出す前に、湖畔サイトを確認しておくことにした。若干薄暗くなりかけていたので、足早に林を抜ける。道中、道ばたに落ちている木々を薪にしようと拾っては小脇に抱える。
このキャンプ場、やはり、はやってはいないのだろう。道の至る所に枯れ木が散乱している。木々の間から湖畔が覗いた頃には、両手が薪で塞がってしまっていた。
林を完全に抜けると、小さな広場に出た。林に囲まれた湖畔の回りで、唯一の開けた場所のようだ。天然の芝生が湖へと続いており、木々に囲まれた湖が一望できた。ちょうど夕日が差し、木々の影が落ちる水面に赤く映り込んでいた。
素晴らしい。この景色を貸し切りか。
一旦薪を置き、首に掛けた一眼レフで数枚撮影する。この距離から撮ると、脇の木々が水面を狭めてしまう。もっと近距離で撮ろうと、水際に近づいたところで、びくりと体の動きが止まった。
人がいる。
男はこちらに背を向け、水辺でぼおっと水面を見ていた。水辺の端の方にたたずんでいたので、木々の陰に隠れてしまっていて、間近に近づくまで気がつかなかった。
不覚にも近づきすぎてしまっていたため、素通りもできないと判断し、「あ、こんにちは・・・・・・」と声をかける。男がゆっくりと振り返った。
・・・・・・変だ。
こちらを向いた男を見た瞬間、違和感が湧き上がった。
別に服装はおかしくない。ジーンズにTシャツの、自分と大差ない格好だ。顔もどこにでもいるような顔つき。三十代後半だろうか。百七十センチ前後の背丈。髪型もよく見るような特徴のない短髪だ。ただ、目つきがおかしい。焦点が合っていないわけではない。むしろ明確な意思を持った目で
私をまじまじと観察していた。
反射的に右足を半歩後ろに下げた。ぱっと手が届く間合いではないが、背中を向けて躱せる距離でもない。腕同士で絡んだり、後ろから組み敷かれたりしたら体重差で押さえ込まれる。引いたら終わりだ。左足に体重を移し、いつでも中段蹴りを打ち出せる体勢に入る。
男は「・・・・・・こんにちは」とぼそりとつぶやいた。
私を上から下までなめるように見終わり、ようやく再び顔に視線を戻すと、また覇気のない声で「暗くなってきたね」と続けた。
「・・・・・・そうですね」
「ロッジ、一緒にもどろっか」
ぞくりと、背筋に寒気を感じながら、首を横にふる。
「いえ、私はテント泊ですので」
「え、どこで?」
「それは」
私はあえて男の目をまっすぐ見つめた。
「このあと決めます。あなたが戻った後に。自分で」
数秒の沈黙が二人の間に流れる。
私の右手は一眼レフの肩紐を握りしめていた。男が襲いかかる気配を見せた瞬間に左脇に抱えた薪を投げつけ、一眼レフを顔めがけて振りかぶる。当たらなくてもよい。視線をそらした瞬間に腹部に蹴りを決める。左手で尻ポッケとの折りたたみナイフを抜き取る動きも脳内でシミュレートした。
「あっそ」
男はそれだけ言うと横を向き、私を迂回するようによけてロッジの方に歩いて行った。私は常に男の方に正面が向くように体を回転させながら視線をそらさない。
完全に男の姿が見えなった瞬間、無意識に止めていた息を一気に吐き出した。力の抜けた右手から一眼レフがゴトリと滑り落ちた。しばらくそれを見つめた後、ゆっくりと拾い上げながら苦笑した。
キャンプ場でナンパなんてよくあることじゃないか。気にしすぎだ。
一眼レフを拾う手のひらが汗で湿っていた。
嫌な話だ。あんなことそう何度も起こることではないと頭ではわかってはいるのに、ふとした瞬間に体が警戒態勢に入る。
私は、無意識下で、確実に今でもあの夜の恐怖にとらわれている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます