第9章 つながる想い(9-1)

 九月に入っても残暑どころか、むしろ八月以上に猛威を振るう暑さが続いていた。

 下り線ホームの階段を下りたところで、ちょうど各駅停車が入ってきた。

 三つ目のドアから乗り込んで、手すりに寄りかかりながらいつものように特急電車の通過を待つ。

 反対側のドアには、太い黒髪を暗幕のように垂らした眼鏡女子がいて、顔を隠すようにしながら英単語帳を眺めていた。

 リボンタイは臙脂色で、オレと同学年らしいけど、見かけない女子だ。

 と、その時だった。

「お待たせ!」

 ホームの階段を駆け下りてきたゆるふわ髪の女子が最後の一段を両足そろえてトンと着地すると、こちらに手を振りながら近づいてきた。

 え、オレ?

 ……じゃないよね。

 だけど、何事かと思わずガン見してしまった。

 すると、オレの横から顔を出した背の高い男子が彼女を迎え入れた。

「よう。間に合って良かったじゃん」

 ――だよな。

 そりゃそうだよ。

 分かってましたよ。

 彼女はチラリとオレの方を見て乗り込むと、カレシの腕に絡まって奥の方へ進んでいった。

「もう行っちゃったかと思ったよ」

「ちょっと遅れてんだってよ」

「へえ、そうなんだ。ラッキーだね」

 二人は空いている席に座って、肩を寄せ合いながら話を続けている。

 なんだか懐かしい気まずさだ。

 イケメンの弟と二人で歩いていると、よくこんな行き違いがあったっけ。

 いつもオレの方じゃないんだよな。

 特急電車が通過していく。

「電車遅れまして申し訳ございません。お待たせいたしました。各駅停車まもなく発車いたします。ご利用のお客様はご乗車ください」

 ドアが閉まったその時だった。

「雨、降ってました?」

 今度はなんだ?

 もちろん雨なんか降ってない。

 振り向くと、さっきの黒髪眼鏡女子がすぐそばに立ってオレにタオルを差し出していた。

 ゴトリと電車が動き出して、急に距離が縮まる。

「ずぶ濡れみたいですけど、大丈夫ですか?」

 ――は?

 汗!?

「あ、いや、あの、ただの汗です。大丈夫ですから」

「でも、すごい量ですよ。もしかして具合悪いんじゃありませんか?」

 え、いや、べつに。

 これでオレは普通なんだけど、どう説明したらいいのか分からない。

 カン、カン、カン……、ンゴン、ゴン、ゴン。

 通過した踏切の警報音がドップラー効果で音を変えて流れていく。

「私、看護科なんです。お節介で迷惑かもしれませんけど、具合の悪そうな人を見て放っておくわけにはいきません」

 看護科なのか。

 どうりで見かけたことがないはずだ。

 彼女の目は真剣そのもので、オレはその圧に押されて手すりに追い詰められていた。

「いや、あの、具合が悪いんじゃなくて、オレものすごい汗かきなんです。大丈夫です」

「どっちにしろ拭かないと風邪引きますよ。冷房で冷えますから」

 言うとおりにしないと彼女の手で拭かれてしまいそうだったので、オレはおとなしくご厚意に甘えてタオルを受け取った。

 いい匂いのするタオルがあっという間にぐしょ濡れだ。

「すみません、汚しちゃって」

「いいんですよ。タオルは汗を拭くためにあるんですから」と、彼女は屈託のない笑顔をオレに向ける。「足りなかったら、もう一枚使いますか?」

 まるで手品みたいに、いつの間にか彼女の手にはもう一枚タオルが握られていた。

 でもオレはそんなことよりも、彼女の笑顔に惹かれていた。

 さっきの第一印象は表情のつかめない人だったけど、世界を照らすような笑顔を向けられたら、顔が熱くなってまた汗が噴き出してきてしまう。

 そんな自分の動揺を悟られないために、オレは無理矢理話を続けてごまかした。

「ど、どうして、そんなにタオルを持ち歩いてるの?」

「タオルは汗を拭くだけじゃなくて、いざというときには包帯代わりにもなりますし、縛って止血だってできます。いつでも使えるように、そのためにタオルを何枚か持ち歩いてるんです」

 そして、彼女は照れくさそうにはにかんだ。

「今まで出番はなかったんですけど、今日は本当に役に立って良かったです」

「あ、ありがとう」と、オレはかろうじて声の震えをごまかせた。「一枚で大丈夫だから」

「あ、ごめんなさい。看護科だと当たり前の話なので、つい……」

 予備のタオルを肩掛け鞄にしまう時、中にトランプが入っているのが見えてしまった。

「それも看護科に関係あるんですか?」

「あ、これは……」

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