あの日の僕ら

@daiten727

第1話

 事務所は寂しくなっていた。

 構造設計の会社に就職して、十年となり、新入社員の田中の教育担当になった。私の業務内の簡単なものを手伝ってもらっていたが、要領を掴めていない田中には難しかったようで、確認した時には幾つかのミスがあった。その修正作業のため残業することになった。その他はもうとっくに帰宅している。

「鈴木さんすいません、僕の修正に時間をさいてもらって…… 」

田中が申し訳なさそうに謝罪した。私の内心は田中のミスに対する怒りではなく早く仕事を片付けて、自宅で缶ビールを楽しみたかった。確かにミスを見つけた時は少し声のトーンを低くして指導をしたが感情に任せて怒った訳ではない。それに1からやり直しならもっと不機嫌になっていたが、途中まで使える内容もある。そこまで気にすることないと適当なことを言い、少し作業したあとで帰宅することにした。田中とは途中の駅まで同じということもあり、いつも帰宅時間が重なった時は雑談をするのが習慣となっていた。

「先輩はどうして、この業界に入ったのですか? 」

田中は普段、趣味のキャンプや流行りのものの話をするが、業務で失敗して落ち込んだ時は仕事に関する真面目な話をする。田中の質問に少し迷ったが答えた。

「え、確か意匠設計に憧れてたんだけど、頭が悪くて構造設計の大学に入ったんだ。しかも土木の学科って知ったのは大学入ってからしばらく経った時でさー」

「業界あるあるですね」

「そうだな…多分、みんなそうだよ。」

二人で苦笑した。そうこうしていると電車が自宅の最寄駅についたので田中とは簡単に別れの挨拶を交わした。「じゃ、また月曜日」

「はい、本当にありがとうございました。来週から頑張ります。」「うん、おつかれ」

果たして本心で言っているのだろうか。私が田中のような新人の時はやる気など毛頭なかった。ただ今は田中の言葉を信じることにした。


 事務所から5駅離れた場所に私の自宅がある。決して広くはないが一人で生活するには問題ない。家に戻ると衣服を脱ぎ、最低限の手洗いうがいを済ませベットに飛びこんだ。飛びこんだ衝撃をベットが吸収してその反動で体を強く押し返してくる。その感覚が好きだった。家に帰ってきたと思える瞬間なのだ。しかし、今日は疲れた。柄にもなく人に物を教えたからだろうか。それともさっきの会話のせい…… 

「先輩はどうして、この業界に入ったのですか? 」

よくある質問だが毎回うまく答えられている気がしなかった。どうして、この仕事についたのだろうか? 田中には設計にもともと興味があるような話をしたが実際には建物とか設計とかあまり興味がなかった。瞼が次第に重くなってきた。いけない! 歯も磨いていないのだ。ビールも飲んでいない。一人でビールを飲みながら`Netflixや金曜ロードショーを見るのが楽しみなのに…… 。様々な方向に考えが発散していく。元々、何を考えていたのだろうか。そういえば、二人いたな、俺に設計者とか向いているって言ってくれた奴が……いた気がする……体が熱いのがわかる。風邪をひいたかもしれない……

 帰宅して20分もしないうちに私は眠りについてしまった。

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