第1話 はじまり

 どこまでも広がる茶色い草原に横になり、どこまでも広がる茶色い空を、一人の青年が寝ぼけ眼で見上げていた。

 “羽山秀一はやましゅういち

 彼の名前である。羽山はゆっくりと上体を起こし周りを見渡す。

「俺、なんでここにいるんだ。」

 ぼんやりとした頭で、茶色い世界を見渡しながら羽山は呟いた。

 その声はあまりに小さく、時折吹くそよ風に乗って、直ぐに聞こえなくなってしまった。

「なに、してたんだっけ。」

 立ち上がりながらそんな事を声に出しても、羽山はこの広い草原に来る事となった経緯が思い出せないでいた。

 思い出せるのは、朝いつも通りに起きて、いつも通りに朝食を済ませて大学へ行く。

 友達と好きな歌手について語ったり、ゲームをやって笑いあう。

 難しい講義も受けて、難しい課題を提出し、大学が終わったらバイトへ行く。

 何も変わらない日常であり、特に変わった出来事はない。

 どこかで誘拐にあったり、不審者と遭遇したなどの記憶も無い。

 いや、例えあったとしても思い出せないだけなのかもしれない。

 精神的にショックが大きい出来事があると、脳が本能的に記憶を消すことがある。

 そんな事をテレビで、取り上げられているのを見たことがあった。

 その可能性もあるのでは?と、羽山は考えた。

「誘拐にしては、こんな草原に置き去りにするか?」

 自分の考えに自分で突っ込みをしながら、羽山は草原を歩き出した。

 少しでも情報がほしいため建物や人がいるかもしれない、と思いながら歩みを進める。

「うっ、気持ち悪い、」

 羽山は膝に手をつき前かがみになった。

 口元を左手で押さえ、目を瞑ったまま吐き気が治まるのを待つ。

 視界の全部が茶色いため、羽山は酔ってしまったらしい。

 ただ茶色いならば錯覚で済んだのだが、足元に広がる草が風に乗って揺れているせいで、視界が揺れそのまま酔ってしまったのだ。

 深呼吸をして羽山は酔いを醒ましていく。

 ゆっくりと目を開き、足元から視界に慣れさせていく。

 それから、先程よりもゆっくりと歩みを進めていく。

 空、草原、風、それしか情報が無い。

 景色にも慣れて、ひたすらに歩くも時間的にたいして経っていないだろう。

 目に映る風景も起きてからと何も変わらない。

「川もなければ道すら無い。」

 近くに川は無いかと、耳を澄ますがそれらしい音は一切聞こえない。

 鳥も飛んでいなければ、虫さえ見ることはなかった。

「まるで、俺だけしかいないみたいだ。」


 世界に自分一人。


 取り残されたのか元々自分しかいなかったのか。

 はたまた別の世界に来てしまったのか。

「俺は、死んだのか?」

 歩きながら羽山は呟く。返事は無い。

 見たこともない場所、自然現象にしては異様な景色、記憶が曖昧な自分、羽山はふと「死んでしまったのでは?」そんな考えが頭をよぎる。

 テレビ等では、綺麗な川がありそれが三途の川だったのかもしれない。などと言われている。

 けど、羽山の前に川どころか少しの水すら無いのだ。

 生死を彷徨ってきた人達の話は沢山あるが、羽山が知っている話は三途の川の話が殆どだった。

「はぁ、いくら考えたところで答えなんて分からねぇなっと。」

 どこか客観的に見ている彼だがこれが彼の性格でもある。

 羽山は幼い頃から焦るということがないのだ。

 友達が事故にあった、母親が倒れたなど他人の緊急事態は焦ったりするのだが、自分のこととなると焦ることはなく冷静に、時に、他人事のように対処してきたのだ。

 今回も羽山は慌てても何も変わらないと感じてか、のんびりと大きく体を伸ばしては、歩き疲れた体をほぐしていった。

「っ!?」

 突如羽山の体が硬直した。

 足がったわけでも、寒いからでもない。

なんの前触れもなく、体中に悪寒が走ったのだ。

「(な、なんだ……)」

 冷たい汗が蟀谷こめかみを流れていく。

 悪寒が強くなるにつれて、彼の中に今まで感じたこともない恐怖が流れ込んでくる。

 何に怯えているのかも分からない状況で、羽山は無暗に動き回らずに、その場で大人しく辺りを見回した。

 不意に何かが動く。ような気がした。

 同時に辺りが薄暗く陰ってしまった。

 羽山は疑うこともなく、本能の赴くくままに、気配のする方へと向き直る。

 気配のする方向は上。つまり、空だ。

 羽山はゆっくりと空を見上げた。

 見上げた先にいたのは、大きな大きなだった。

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