14.2章 航空エンジン性能向上2

 空技廠のエンジンに対する電子制御機能の追加は、特定のエンジンだけに対象を限っているわけではなかった。三菱のエンジンへの着手が先行したが、中島飛行機も海軍での開発状況を知ってすぐに三菱に追随した。


 この時、中島飛行機には、計算機制御を適用するには好都合のエンジンが存在した。昭和15年(1940年)から開発を開始していたNK9(後の誉)エンジンだ。


 このエンジンは、海軍の栄(陸軍ではハ25)の小さな気筒(シリンダ内径130mm、工程150mm)を踏襲して18気筒化していた。小排気量のシリンダ内に500mmhgという高い過給圧をかけて多量の空気とガソリンを押し込んで、毎分3,000回転という当時としては類を見ない高回転を予定していた。これらの施策により、小型にもかかわらず、離昇馬力で、2,000馬力を達成しようという極めて野心的な設計だった。


 空技廠の和田廠長は中島から開発構想を聞いて、小型でありながら2,000馬力を超える出力に驚いた。中島の大胆な目標設定に比べると三菱のエンジンは確実性を求めて堅実な傾向がある。その証拠にほぼ大きさが同じ三菱の新星エンジンは、回転数を毎分2,800回転に抑えて出力も1,800馬力超で、設計目標を着実な値に抑えていた。


 このエンジンの開発計画を海軍に説明すると、航空本部や空技廠内部では素晴らしいと言う意見もあったが、とても実現できるとは思えぬという意見も噴出した。それを鎮静化させたのが、空技廠所長の和田少将だった。彼は、この難物と思われるエンジン開発が成功すれば、世界に類を見ない高性能のエンジンになると考えた。

「これこそ我が海軍の今後の命運を決する発動機である。空技廠としても官民をあげて、強力に支援してゆくつもりだ」


 NK9の設計主任に抜擢された中川技師は、基本構造が決まってくると、エンジンの強度や振動、燃焼の解析に計算機を本格的に活用しようと考えた。計算機による検証が進んでくるといくつかの見直しが必要になった。彼は見直しの可否について、小谷課長に相談した。


「計算機の活用により、演算結果が出てきました。出てきた数値を確認したところ、懸念点が出てきました。それで、少しエンジンの基本寸法を変更しようと考えています。一つ目は、気筒の前列と後列の中心距離を200mmにしていましたが、冷却性能の改善のために更に1割増やそうと思います。二つ目は主軸の軸受にかかる力を緩和するために、クランクピンの直径を75mmから5mm増加したいと思います」


「その二つの値は、そもそも栄を18気筒化する時に栄から増加したのだろう。更に、それを増やす必要があるということなのだな」


 小谷課長は、しばらく計算結果を示した表を見ながら考えていた。ここにきて基本部の寸法を変えるということは、いくつかの部分で設計のやり直しが発生することを意味する。しかもクランクピンの直径増加は、空冷エンジンにとって重要な基準であるエンジンの直径にも影響がある。そんなことは承知で、中川技師も意を決して決断したのだろう。

「いいだろう。ここで中途半端なことをすれば、将来後悔することになる。計算機の結果に対しては、正直に対策しようじゃないか。開発計画に影響が出るはずだが、その点は私が調整する。君は開発遅延が最小になるように設計変更を進めてくれ」


 最終的には後戻りの変更により、NK9エンジンの開発には1カ月の影響があった。それでも昭和16年(1941年)3月になって試作1号機の組み立てが完了して、4月には試運転が開始された。


 しかし、試作エンジンにより運転を開始すると、背伸びした目標を設定したツケをすぐに払うことになった。エンジンの中核部である燃焼室内の異常な温度上昇が発生したのだ。しかも長時間運転試験では、主連接棒のケルメット軸受が焼損した。


 中川技師は対策として、ケルメットの仕上げ法を変更して、真円度と面取り精度を改善した。また実験により材料の銅に対する鉛の比率を18%として、裏金に鋳込む時の冷却手順を変えてケルメット内部に網状組織が成長するようにした。焼損防止には、ケルメットの変更に加えて、クランクピンの直径増加の設計変更が効果を発揮した。直径を増加させれば面積は2乗で増えることになる。ケルメット軸受の接触面積が増えるということは、面積当たりの応力はそれだけ減少するということだ。部品の加工精度と材質の改善の効果と合わせて、ケルメットの摩耗は未発生になった。


 しかし、高過給圧が原因となって発生していた気筒内の温度異常や大馬力時にはノッキングが発生する問題は依然として残っていた。エンジンの技術者ならば、米国の様に100オクタンを超えるハイオクタンガソリンを常時使用できれば、これらの異常燃焼は解決するだろうと想定できた。しかし、日本国内の状況ではそれを望んでも不可能だ。


 小谷課長は、中川技師を呼び出していた。

「シリンダの温度上昇は内部の燃焼異常が原因だ。状況が悪化すればデトネーションに発展する。そうなると、エンジンの破損だ。これを避けるには、一時的にもブーストを300mmHg以下に低下せざるを得ないとの見解が出ている。君の判断はどうか?」


「ブーストを下げれば、おそらくエンジンの出力は1,800馬力程度に落ちてしまいます。そうなれば、このエンジンを候補としている航空機の性能は軒並み低下するでしょう。私は、電子計算機制御を活用して異常燃焼を抑えたいと考えています。計算機制御と水メタノール噴射を組み合わせれば、目標馬力を落とさずにエンジンを安定化できるはずです」


 中川技師は、空技廠から試作中のエンジン制御計算機の情報を入手していた。彼は計算機ができることを分析して、スロットル操作と回転数、気筒温度、吸気温度などに応じて、燃料混合比と水・メタノールの噴射量、過給圧の精密な制御をすれば、シリンダ内が異常状態となることを回避できるはずだと信じていた。燃焼異常を避けて過給圧を上げられるならば、目標とした2,000馬力を上回る出力も可能になるはずだ。


「計算機制御の機能追加は海軍の示した方向とも合致するから許可する。しかし、1カ月試験して状況が改善しないならば、一時的な対策としてブースト圧を下げて制式化する。もちろん、あきらめないで本来の目標出力を目指すための開発は続けるぞ」

 しかし、小谷課長の懸念は表面化しなかった。計算機制御と水メタノール噴射により、温度異常が解消したことが実験で確認できたのだ。この結果を受けて、中島飛行機は、昭和15年から試作していたエンジンはNK9Aとして評価を継続するが、量産しないと決めた。電子制御と水メタノール噴射、更に低圧燃料噴射を追加した改良型をNK9Cとして開発することになった。最終的にNK9Bは1,800馬力エンジンとして試作機の評価のみにとどめて、NK9Cが正式化された。低圧燃料噴射は三菱のシリンダへの高圧直接噴射と異なり、過給器内で燃料を噴霧する方式だった。


 シリンダ内の異常燃焼や筒温上昇問題を解決して、NK9Cは誉21型として昭和17年8月に制式化された。


 誉21型(NK9C) 昭和17年8月制式化

 ・空冷18気筒、気筒径:130mm、気筒行程:150mm

 ・気筒容積:35.8L、重量:860kg

 ・発動機直径:1,185mm、全長:1,690mm

 ・過給器:1段2速、1速高度:2,000m、2速高度:6,100m

 ・水メタノール噴射併用

 ・離昇出力:2,100hp、回転数:3,000rpm、ブースト:+550mmHg

 ・公称:1,970hp(1,900m)、回転数:公称3,000rpm

 ・公称:1,720hp(6,100m)、回転数:公称3,000rpm


 ほぼ同時期に、MK9シリーズに排気タービンを装備したエンジンの開発も継続されていた。NK9Hとして、昭和17年12月に完成すると誉31型として制式化された。


 ……


 中島が開始した2,000馬力超のエンジン開発を、三菱の発動機部門も指をくわえて見ていたわけではない。名古屋発動機製作の深尾所長は、空技廠内にもいくつも人脈を有していた。そのため、いち早く中島飛行機が高馬力のエンジン開発に着手したという情報をつかんでいた。開発中のMK6(新星)は2,000馬力に達することはないので、中島に対抗できない。すぐに、深尾所長は、金星のシリンダから気筒径(ボア)と工程(ストローク)を変えないで18気筒化することにより、2,200馬力超のエンジンを開発せよとの号令を発した。


 金星エンジンは、九六式艦攻や九七式飛行艇、九九式艦上爆撃機など多くの機種で使われて豊富な実績がある。そのエンジンの140mmの気筒径と150mmの気筒工程を有するシリンダの長所や欠点については、十分な経験が三菱社内に蓄積されていた。しかも、空冷エンジンの18気筒化については、MK6により、既に開発経験がある。彼にしてみれば、この三菱発動機部門での技術的な蓄積を生かせば、14気筒の金星を18気筒化することは、比較的短期間で実現できると思えた。


 三菱発動機技術の中心人物だった佐々木技師が社内開発符号A20エンジンの開発主任に任命されて、昭和16年2月から、開発が始まった。既に三菱は、NK9(後の誉)に2,000馬力以上を達成した最小のエンジンという称号を奪われていた。そこで、佐々木技師が目指したのは、馬力当たりの重量が世界一軽いということ、それに加えて馬力当たりの前面面積も空冷では世界最小ということだった。もちろん最高馬力は、中島のエンジンを確実に凌駕できる2,300馬力を目標とした。


 海軍試作名称がMK9と付与されたA20エンジンは深尾所長の思惑通り急速に開発が進んだ。三菱社内では、エンジンの設計時には計算機を活用して、力学的な計算や内部燃焼の計算をすることが一般化していた。深尾所長は、年内に設計を完了せよとの指示をしたが、その約束を守って昭和16年10月にはほとんどの図面が出図されて、昭和16年12月末には1号機の組み立てが完了した。


 本格的な試験が始まると、すぐに主軸の振動問題が発生した。エンジンの高馬力化で荷重が増加した軸が共振して振動が起きたのだ。結局、クランク軸の振動を抑制するバランサーの設計を変更することにより問題を回避することになった。振動問題は、欧米のエンジンでも高馬力化で発生しており、日米共通の課題だったと考えられる。しかし、いくつかの巧妙な仕掛けを組み込んだ振動抑制バランサーは、米国で開発されていた。結局、日本のエンジンは戦前に導入したライト社のダイナミックバランサーを改良して用いることに終始した。


 ハ43-11(A20A、MK9A) 昭和17年(1942年)10月制式化

 ・空冷18気筒、気筒径:140mm、気筒行程:150mm

 ・気筒容積:41.6L、重量:940kg

 ・発動機直径:1,230mm、全長:1,500mm

 ・過給器:1段2速、1速高度:2,600m、2速高度:6,500m

 ・燃料噴射と水メタノール噴射適用

 ・離昇出力:2,300hp、回転数:2,900rpm、ブースト:+420mmHg

 ・公称:2,050hp(2,600m)、回転数:公称2,800rpm

 ・公称:1,880hp(6,500m)、回転数:公称2,800rpm



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