第3章 計算機応用

3.1章 航空機設計

 ドイツにおけるDB601エンジンの国産化交渉が著しく前進したおかげで、それを搭載することを前提としていた軍用機開発が本格的に進み始めた。十三試艦爆もこのエンジンを候補としていた機体の一つだ。


 ドイツ訪問から帰った私と望月少佐に対して、航空廠の技術者が面談にやってきた。ドイツへの訪問で知り合った永野大尉と航空機開発の技術者たちだった。


 お互いに自己紹介すると、技術者の中では最も年長の飛行機部の山名少佐が訪問の目的を説明した。


「本日はよろしくお願いします。十三試艦爆の設計主務を務めている山名と申します。本日は我々が開発中の十三試艦爆に対して協力依頼に来ました。ずばり申し上げると、我々が航空機設計する時に技術研究所で開発したパラメトロン計算機を活用したいのです。最初に適用する機体は十三試艦爆と考えています。」


 詳しく話を聞いてみると、航空廠では予算上の措置も行って、最新型のパラメトロン計算器を廠内に設置すべく生産会社にも打診しているという。


「航空機の設計において、空力計算、強度計算、それに重量計算など、計算作業は山ほどあります。計算機でまず実行させたい演算は既に候補を選定しています。ところが、我々はまだ一度も計算機を操作したことがありません。計算機の活用にあたり、技研の計算機専門家の支援をぜひともお願いしたい」


「計算機を設計に活用したいという意向はわかりました。それで、我々への具体的な依頼事項はどのようなことなのですか? 今まで聞いた範囲では順調に準備が進んでいるようですね」


 永野大尉が質問に答えた。

「最新型のパラメトロン計算機では、仕事をさせるためにはいわゆる『プログラム』が必要になりますよね。航空廠では、今のところそれを作成できる要員がいません。三名ほど、若い技師を派遣しますので、技研さんの方でプログラムの作成と計算機操作の教育をお願いしたいのです」


「なるほど、わかりました。但し、一つ条件があります。実際の開発作業では、いろいろな種類のプログラムを計算目的に応じて作成することになると思います。その中には汎用的に使用できる計算プログラムもあるでしょう。それを他の組織や民間でも使用することを許可願いたい。有用なプログラムができれば、それは他の開発組織でも活用できますからね」


 山名少佐は大きくうなずいた。

「我々が先駆けとなって開拓したプログラムが有用であるならば、それを広く民間で活用してもらうことは、航空廠本来の責務にも合致することです」


 永野大尉の要望から、我々は計算機を扱うためにはプログラム作成の教育が必要なことに気づいた。航空廠から派遣された技師の意見も取り入れて、計算機の操作説明書とプログラムの作成手引書を作ることにした。


 若手技師が派遣されてくるとプログラムの作成が始まった。山名少佐の言葉通り、航空機の設計には様々な計算が必要だった。いくつかの試行錯誤も経て、航空機開発に関連する計算式は航空廠の技術者たちの手も借りて、順次そろっていった。


 ……


 昭和14年(1939年)8月になると、制式化前であったが、海軍が購入した計算機のうちの一台が航空廠に搬入された。計算機室に設置されると、さっそく稼働を開始した。技研が開発した九九式計算機の先行生産型だ。最初に実行したのは強度計算だった。数日の作業でも効果は明らかになった。計算機による作業時間の短縮は少佐の想定以上だった。


 十三試艦爆の計算が始まって1カ月後には、山名少佐から私たちのところに追加の依頼が来た。

「大幅にパラメトロンで計算する範囲を増やしたいのです。申し訳ないのですが、技研で教育してもらった3名の技師では、プログラムの作成が追いつきません。ついては技研さんから、さらなるご支援をお願いしたい」


 結局、技研の計算機開発課の技術者を2カ月ほど航空廠に派遣することになった。プログラムが増えていって、計算機を活用する範囲はどんどん広がっていった。特に十三試艦爆では機体の外形を正確に決めるために、代数式を利用して曲面を表現していたから、空気抵抗などの計算には都合がよかった。


 計算機を利用して強度や重量の計算をくり返し行うことが可能になると、構造の無駄が減ってくる。計算により贅肉をそぎ落とした構造となり、重量の軽減にも貢献した。もちろん強度が不足する部分も計算により検出できる。更に、流体力学計算により、主翼後縁や胴体後半部などのように気流が乱流となる領域においては、航空廠の技術者が好んだ流線形化や平滑化があまり意味のないことがわかってきた。生産の容易さを犠牲にして形を整えても、効果がほとんどない領域がはっきりしたので、そのような場所ではむしろ作りやすさを優先すべきだということになった。計算機の活用により、設計作業が短縮されるだけでなく、性能の向上や生産性の改善が実現することになった。


 ……


 航空機設計への設計機の活用は、海軍以外の組織にも、うわさとしてすぐに広まった。特に航空廠に頻繁に出入りしている中島や三菱などの航空機部門に対しては、航空廠内部で大々的に使っていることを隠すことはできない。


 慎重な傾向のある三菱に比べてチャレンジ精神の旺盛な中島飛行機では、自社内の設計業務に対して、計算機をさっそく使ってみようということになった。候補とする機体は、要求性能がほぼ固まって6月に陸軍から試作指示のあったキ44だ。陸軍機を担務とする第1製造部の小山悌設計課長は、航空機設計に計算機を使用することを決めて中島社長に直訴した。


「既に設計が進んでいるキ43に対しては、計算機を使っても、範囲が限られて効果も中途半端になります。しかし、基本設計がまだ終わっていないキ44は、本格的な設計がこれからです。計算機を活用できる場面もいろいろあるでしょう。まずはキ44を対象として計算機を使うことが妥当です。我が社内にパラメトロン計算機を設置することの許可と軍への交渉をお願いします。海軍の山名博士が言っているような、大きな効果が本当にあるのかどうか、この目で確かめますよ」


 中島社長はその場で即決した。

「いいだろう。パラメトロン計算機というものを導入してみようじゃないか。小山君の望むやり方で使ってみなさい。有効性を実際に確認するにしても、航空廠が盛んに使っているということは、ある程度は役に立っているのだろうな?」


「航空廠では、艦爆の設計において当初よりも計算機を使う範囲をどんどん広げていると聞いています。かなり役に立つことは確実です」


 中島社長は小山課長の要求を了承すると、社長名で陸軍に要望書を提出した。中島社内に計算機を設置して、陸軍向けの航空機設計に活用したいとの要望だ。


 この要求は、陸軍で計算機を主管することになった科学研究所の尾藤大佐のところに上がっていった。大佐は、海軍が先行して航空機の設計に計算機を利用していることを既に知っていた。電探開発では、既に陸海間で情報を交換して開発する体制ができていた。計算機に関しても、陸軍科研と海軍技研の間で情報交流は実行されていた。そのようないきさつから、尾藤大佐は、すぐに中島飛行機が陸軍機の開発に対して、計算機の利用を望んでいることを技研の真田大佐に打診してきた。


 真田大佐が中島飛行機からの要望について、望月少佐に説明にやってきた。

「中島の計算機設置要求が陸軍から回ってきた。中島飛行機が航空機設計に計算機を利用したいとのことだ。陸軍科学研究所はそれを許可した。我々とも協力したいと言っている」


 望月少佐がすぐに答える。

「まあ、先行して我々が作成した計算用のプログラムを利用して、手っ取り早く計算を進めたいということでしょう。陸軍だろうと海軍だろうと航空機の科学技術計算には差がありませんからね」


 結局、中島の技術者と陸軍科学研究所の技術士官が技研の計算機開発課にやってくることになった。彼らは1カ月ほど、航空機向けのプログラムの研修を行って、それぞれの職場に帰っていった。


 ……


 小山課長は、中島飛行機内で計算機の設置が行われている間も、航空廠の計算機や技研の計算機を借りてキ44の設計を進めていった。12月には、新型計算機が陸軍科学研究所で稼働を開始した。同じ計算機は中島の工場でも設置が進んでいた。装置の評価が終わったならば、制式化の事務手続きが終わらないうちに、生産を開始することはよくあることだった。この計算機も、評価が完了した後は民間の工場では生産を開始していた。


 技研の計算機開発課に中島から技術者を派遣してから2カ月後には、早くも中島の太田製作所に計算機が設置された。ところが、肝心の計算機が正常に動作しない。焦った中島社長が登戸研究所と技術研究所の計算機開発課に直接連絡してきた。


 とにかく様子を見に行く必要があるということで、技研からは私と計算機専門家の海野少尉が修理に行くことになった。太田製作所では陸軍の登戸研究所で計算機を担当している野村中佐たちが既に到着していた。

「野村さん、お久しぶりです。計算機はどんな調子なんでしょうか? 本当に不具合があるんですかね?」


「私も、2時間ほど前にきたばかりで詳しくはまだ見ていないのですが、設置工事の問題ではありません。間違いなく計算機自身に問題があって正常動作ができていません」


 私はあらかじめ、海野少尉と協力して、計算機に単純な動作を順番に行わせる簡単なプログラムを準備していた。このプログラムは、最初は情報の入力部の動作確認をする。その次は記憶部への書き込みと読み出し動作だ。更に小数点演算を含む計算を行い、次に計算結果の出力を順次実行させる。単純な動作であるが、計算機内部に不具合があるならば、どこかで動かなくなるか、結果に間違いが出るであろう。その結果で不具合の場所や原因の推定ができるはずだと考えたのだ。


 野村中佐はすぐに私の意図を理解して賛成してくれた。

「とてもいい考えですね。計算機自身に自分の各部を診断するような動作を順番に行わせて、不具合を洗い出すということですね。単純動作の組み合わせなので、誤動作が発生した場合に、どの部位に不具合があるのか被疑範囲が絞れそうですね」


 実際に動作させると、入出力部や記憶部の試験は問題がない。浮動小数点演算すると結果が異常だ。一度、演算の桁数を4桁に減らすと問題は発生しなくなった。4桁から演算桁数をどんどん増やしていった。32桁の乗算と除算のところで間違いが出てきた。


 ここまで試験結果が出れば、私にもすぐに被疑範囲が推定できた。

「乗算器のそれも浮動小数点演算の桁数を拡張した部分が怪しいですね」


 海野少尉は、持参した計算機の回路図面をぱらぱらとめくって、乗算器のページを開いた。しばらく図面を眺めてから、怪しい範囲をくるりと指で囲った。一度電源を落とすと、該当する部分のパラメトロン素子を搭載した基板を挿抜用の工具を使って引き抜いた。計算機室には、あらかじめ故障に備えて、主要な予備部品が準備されていた。その中から小数点演算部の新しい基板を選んで交換してみた。予備品の基板に交換すると見事に計算動作が回復した。


 海野少尉は、不具合品と思われる基板をルーペで拡大視している。基板の一点にペンで印をつけた。


「どうやら、このパラメトロン素子が基板から外れかけているようですね。コイルの足が浮いています。なぜ部品が外れたのかは、技研に持ち帰って原因分析してから結果を報告します」


 野村中佐は大いに感心している。

「それにしても、筧さんたちが発案した自己診断用のプログラムは大変役に立ちましたね。我々も不具合品が工場から出荷されないために、生産工場の試験でも取り入れますよ。早期に不良品を検出するためには、自己診断の工程追加は絶対に必要ですね」


「計算機がどんどん大型化してくると、部品数も級数的に増えて故障の確率が高まります。そんな時に不具合カ所を短時間で特定できる手段が必要だと思い、工夫をしてみました。診断プログラムの資料を渡しますので、陸軍でもいろいろなところで活用して下さい」


「実は登戸研究所でも、情報の異常を短時間で検知できる仕組みの検討をしています。例えば、計算機内部では、2進数の8桁(8ビット)を処理の基本単位として扱いますが、9桁目を追加します。追加した桁には、例えば9桁全体の1の数が偶数となる数値を入れます。情報が化けるような異常があれば、9桁の数値を確認する(パリティチェック)回路を設ければ、1が偶数という規則性が崩れるので検出できます。回路の追加は一見無駄ですが、即座に故障がわかります。これ以外にも、データの塊の末尾に多項式で巡回演算した余剰情報を追加して異常を検出するというような、いくつかの手法を考えています」


「なるほど回路として、異常を検知できる機能をあらかじめ組み込んでおいて、どこに異常があるのか即座に検出するということですね。部品がどんどん増加する大型計算機では重要性が増加すると思います」


 故障が解消したので、私たちは中島飛行機の小山課長のところに報告に行った。

「不具合が直りました。パラメトロンの基板が1枚故障していました。交換したので、今日からでも使えますよ。不良の原因については後日報告します。おそらく部品の半田付けが不十分だったと思われます」


「もう修理が完了したのですか? さすがに専門家は仕事が早いですね。すぐにでも計算を再開します。今月になって、設計を変更しなければならない要求がいろいろ来ましてね。一つは海軍さんにも関係していますよ」


 なんとなく設計課全体がバタバタしているなと思ったが、軍からの要求条件が追加されて開発に手戻りが発生していたことが原因だった。


 キ44の開発については、陸軍の要求が確定する前年から検討を開始していた。小山課長から話を聞いてみると、その事前検討を変更せざるを得ない2つの事態が発生していた。


 1つ目は昭和14年末になって、陸軍航空本部が要求を変更してきたことが原因だ。機関砲の増加と搭乗員の防弾鋼板の装備が要求されたことだ。今までは2門の13mm翼内機関砲を装備する予定だったが、それが4門に増加した。ドイツで入手したMG131が高性能だったので、それを多数装備する方針に変えたらしい。小山課長はもともと主翼面積を15平方メートル程度にするつもりだった。ところが、13mm機関砲4挺と翼内燃料タンクを全て主翼に収めるとなると容積が足りない。しかも防弾鋼板と機関砲の増備による重量増加への対応の観点からも主翼面積の増加が必要だ。


 2つ目は、海軍の局地戦闘機が相乗りしてきたことだ。元々海軍では十四試局地戦闘機を開発する予定で、指示を受けた三菱が検討を開始していた。しかし、十二試艦戦の次世代機を開発する時期になってきた。海軍は、次期戦闘機として十五試艦戦の開発の可否を三菱に打診した。すると、実用化目前の十二試艦戦の仕上げと、十四試局戦の開発、それに加えて十五試艦戦の開発開始はさすがに無理だとの回答だった。


 艦戦開発については、独特のノウハウが必要なので三菱の堀越技師を中心とする開発部隊以外には考えられない。むしろ局地戦闘機ならば、陸上戦闘機なので他社でも可能なはずだ。それで、中島に対して局地戦闘機開発を要求する方向になったのだが、わざわざ新たに開発しなくても既に類似の戦闘機として、キ44という機体が開発中だった。それで、キ44と十四試局戦を共用化するための調整が急遽海軍と陸軍航空本部との間で行われた。


 十四試局戦としての要求を受け入れると、機体を大きくせざるを得ない。例えば、翼内に13mmよりも更に大きな20mm機関銃の2挺装備が要求されていた。


 最終的に小山技師長は、主翼面積を1割程度拡大することとした。結果的に、以前から検討していた機体よりも一回り大きくなるがやむを得ない。幸いにも計算機の活用により、時間短縮できる作業がいくつもある。計算機を頼りにして、手戻りで発生した後れを取り戻す方策を考えていた。


「計算機が早期に使えるようになって良かった。これで、計算できる範囲が広がれば、設計までの時間短縮ができる。それに今までよりも多くの計算結果が事前に得られれば、試作してからの手戻りが削減できるはずだ。いずれにしても期間短縮に大きな威力があると思う」

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