2.3章 爆撃照準器

 永野大尉と小林中佐は、二度目のドイツ訪問において、ダイムラーベンツ社との航空機エンジンの交渉に加えて、新型戦闘機や爆撃機の情報を収集してくるように指示されていた。特に海軍にとって急降下爆撃機の性能向上は、喫緊の課題となっていた。Ju87をすでに実用化しているドイツならば、新型の急降下爆撃機も開発しているだろう。新型機の情報を集めるとともに、高性能の急降下爆撃機を見つけたならば、技術導入の交渉をするように航空本部から指示を受けていたのだ。


 そのようないきさつで、彼らはベルリンの約100km北北西にあるレヒリンという街に来ていた。ユンカース社の新型爆撃機の見学を許可されたのだ。飛行場には、胴体の3機の双発機が並んでいた。液冷エンジンで胴体もスマートで細い機体は、見るからにこの機体が高性能機であると想像させる。小林中佐が得意顔で説明を始めた。


「あれは、数カ月前から配備が始まったばかりのJu88という爆撃機だ。双発の機体なのに急降下爆撃が可能となっている。しかも、爆弾は我が国の陸攻の2倍以上は搭載可能なはずだ。それにしても爆撃手が座る機種は、あんな平面ガラスを組み合わせた形状で空気抵抗は問題ないのだろうか。エンジン音が大きくなったぞ。どうやら試験飛行のために離陸するようだな」


 小林中佐の言ったとおり、2機のJu88が滑走路まで進んでゆくと軽快に飛び立った。爆撃機は、日本人が下で見学しているのを知って、基地上空で急旋回や上昇、降下などの機動を一通り披露してみせた。


 激しい空中機動に、永野大尉もかなり驚いた。

「双発爆撃機の動きじゃないですね。まるで戦闘機のようだ。急降下爆撃が可能という説明も納得しました。確かにあの機体ならば不可能じゃないでしょう。Ju88を日本に持ち帰ることはできないものかな?」


 案内してくれたドイツ空軍の下士官に交渉してみたが、想定通りの返事だった。

「そんな要望にはこの場では答えられない。どうしても要求したいのならば、ドイツ航空省(RLM)のしかるべき人物にしてくれ。但し、Ju88を見学するだけならば許可できる」


 永野大尉は、駐機した機体に近づいてゆくと、日本にはまだ存在しない双発急降下爆撃機の特徴を記憶にとどめようと、注意深く観察していた。


 速度優先の細身の胴体形状とするために、機首に4名の搭乗員を集中的に配置して尾部には銃座がない。防御機銃が少ないのは、高速機なので自信があるからだろう。爆弾倉はあるが小さな容量なので、胴体とエンジンの間に爆弾搭載架が設けられている。ここに追加の爆弾を搭載できるようだ。エンジンの外側の翼下面には急降下制動板が取り付けられていた。ムクの板ではなく、空気を後方に逃がすために スノコ状に小さな隙間がいくつも開口している。これがないと、下げた制動板に激しい振動が発生するとのことだ。


 元々戦闘機パイロットの小林中佐は、ダメもとで操縦させてくれと頼んだが、ドイツ士官は、にたりと笑って首を横に振った。それでも操縦席に乗り込むことだけは許可を得た。永野大尉もいいチャンスだと機首の下からもぐりこんで、爆撃手席に座った。小林中佐はドイツ機の操縦席に座るのは、初めてではなかった。海軍が購入したHe118やJu87には搭乗した経験があった。その点では、合理的に整理されたドイツ機の計器盤やスイッチ類はすでに知っている。


 操縦席から頭をちょっと上げると、風防枠の頭のあたりに、見慣れない照準器が取り付けられているのを発見した。

「こんな照準器は初めて見るな。これは90度、横倒しになっているのだな」


 右手で、横になった照準器を側面レバーでロックを外してから90度倒すと、カチリと音がして目の前で照準器が固定された。ちょうど、照準環を投影するであろうガラスの反射板が目の前に来る。頭上の枠に支えられているので、Reviなどの戦闘機の照準器とは上下をちょうど逆にした取り付け方になっている。永野大尉には、このような取り付け法になった理由がよくわかった。


「これは急降下爆撃の照準器ですよ。急降下爆撃で目標を狙う場合は、戦闘機に比べてやや下方の目標に照準を合わせる必要があります。そうなると、計器盤に照準器を取り付けるよりも、上からやや高い位置に取り付けた方が斜め下方の視界が広がるはずです。但し、通常の操縦時は目の前にぶら下がっていると視界の邪魔になるのに加えて、頭がぶつかる可能性もあるので、折りたためるようにしたのですね。非常に合理的です。わが軍の爆撃機にも採用したいですよね」


 急降下爆撃の難しさを理解している小林中佐もすぐに同意した。

「この機器を使うとどれほど照準が楽になるのかな? まじめな話だが、命中率が向上するような効果があるならば、我が国でも採用すべきだと思う」


 機体から降りて、ドイツ人の整備士から話を聞くと、それは二人が想像した以上に高機能な照準器だった。この急降下爆撃用の照準器は二つの装置が接続されて構成されていた。それぞれ「Stuvi」と「BZA」と呼ばれていて、操縦席に取り付けられていたのは、照準装置の「Stuvi」のほうだ。「BZA」は胴体内に設置されていて、内蔵したジャイロが3次元空間中の機体の姿勢と動きを検知している。加えて高度計や速度の計測値も計器から入力されて、機体の高度と速度も用いてアナログ計算により、爆弾投下位置を示すための計算を行う。その計算結果をケーブルで接続されて操縦席の風防枠に取り付けられた「Stuvi」に入力して、反射ガラスに表示する仕掛けだ。


 胴体の中に設置された「BZA」も見せてもらったが、50cm四方くらいの立方体の中にモーターで駆動する複数のジャイロや電気回路などがごちゃごちゃと詰め込まれていた。航空機に搭載する無線通信機よりも二回りくらい小さいように見えるが、内部の密度はかなり高そうだ。


 機体の横に立っていたらJu88の整備員が簡単な動作を説明してくれた。


 この照準器を使用して急降下爆撃を行う場合、電源を投入すると十字のサークルと狙う目標を収める小さな四角枠がサークルの中央に現れる。まず爆弾を投下する高度とその場所の風速、目標の高度を設定してから、急降下を始めると、更に×印の着弾想定位置が反射板の下方に現れる。四角枠に目標を収めて、どんどん高度を下げてゆくと四角枠はそれに応じて、徐々に反射板の下方に移動してゆく。四角枠に目標を入れたまま、降下を続けると、×印は逆にどんどん上方に移動してくる。あらかじめ設定しておいた高度になると、上方に移動していた着弾想定位置を示す×印が目標の四角枠と重なる。操縦士に対して、ブザーが鳴って設定した投下高度に達したことが通知される。この時、操縦士が爆弾投下ハンドルを操作すれば、設定した高度で爆弾が落下して目標に向かってゆくことになる。


 つまり、爆弾が落ちてゆくときの見越し角などを補正することもなく、照準器が示した表示をそのまま追いかけてゆけば命中させられるという仕掛けだ。


 小林少佐が説明を聞いていて思わずうなった。

「なんと賢い照準器だ。爆弾がどこに落ちるのか、落下軌道を予測をして、操縦士が狙いをつける場所を示してくれる。この装置が使えるならば、ヒヨッコ搭乗員でもベテラン並に爆弾を命中させられるぞ」


「そうですね。しかし、注意が必要なのは予測の精度です。この装置では機体の姿勢や3次元での動きを検知するためにジャイロが重要な役割をはたしています。ジャイロの誤差が大きければ、爆弾は外れることになるでしょう。誤差の大きな表示をするくらいならば、むしろ訓練を積んだ人間が狙った方が良い結果になることもあり得ますよ」


「うむ、もっともな話だ。そもそもこの試験場で急降下爆撃の実験をしているのだろう。その成績がどのようになっているのか、結果がわかれば、その懸念も答えが出るのだがな」


「Stuvi」と「BZA」を搭載したJu88がレヒリンで試験を行っていたのは、各種の爆弾を搭載しての爆撃試験だった。航空機としてのJu88の試験はほぼ終わっていて、部隊への配備も始まっている。新型の照準器を使った爆撃時の評価がまだ残っていて、それを試験センターで行っていた。つまり爆撃時に自動照準を利用した時の性能確認は、レヒリンでの試験目的だった。


 いろいろ話を聞いてみると、この試験場のJu88は、今月になって「Stuvi」と「BZA」の試験を集中して行っているとのことだ。どうやら試験の結果はそれほど悪くないらしい。小林中佐と話していた整備士はかなり口が軽い。

「我々が一生懸命整備しているおかげで、最近は試験飛行で目標に命中させることができています。なかなか上々の成績だと思っています」


 続いて、整備士が再び口を滑らせた。

「このところ試験続きなので、この格納庫で、投下実験の結果を見て、必要であれば照準器を調整します。投弾試験の結果を見て特定の方向への偏りや、ばらつきなどに異常が見られれば『BZA』に何か問題がないか確認が必要になります」


 小林中佐と案内の整備士が、試験飛行を終えて格納庫前に駐機したJu88についてあれこれと話しているすきに、永野大尉は格納庫内の機体を見学するふりをして、投弾試験の結果が記載されている書類を探した。


 すぐに机の上に取扱説明書が置いてあるのを見つけた。永野大尉は大学時代の勉強のおかげもあって、なんとかドイツ語を理解できた。胸ポケットに入れていた手帳にメモをしながら、ぱらぱらと説明書を読んでみた。少し離れたところに投下試験の結果を記載した書類が無造作に広げられているのに気が付いた。書かれていた結果をメモ帳に書いておく。


 怪しまれないように、しばらくして永野大尉は格納庫から出てきた。小林中佐に目配せをする。ドイツ人から離れたところで小声で小林中佐に話しかけた。

「試験成績を見ましたが、今週の試験では地上の静止目標であれば直撃か至近弾です。間違いなく役に立ちそうです」


「そうだろうな。私も非常に有効性は高いと思う。あの照準器だけでも購入できないか、RLMに持ち掛けてみるつもりだ。帰ってから酒巻少将に交渉してみよう」


 ……


 Ju88の見学が終わってから永野大尉たちは、見学のために試験場を一回りした。湖に突き出した半島全体が舗装されて、ドイツ空軍の様々な兵器の試験が行われていた。さすがに試験施設の内部までは見学できなかったが、滑走路のわきに駐機されている航空機はよく見えた。


 その中で永野大尉の目を引いたのは、への字型のブーメランを巨大にしたような奇妙な航空機だった。左右の内翼あたりから後方に2つのプロペラが取り付けられているので双発機だ。航空技術者の大尉にはそれが全翼機という珍しい形式の航空機だとわかった。航空機として必要な揚力を発生する主翼だけで構成され、それ以外の胴体や尾翼を持たない全翼機は、ある意味航空機としての理想形だ。主翼のみで安定して飛行できるならば、抗力も重量も通常の形式の航空機よりもかなり小さくできる可能性がある。


 機体後部のエンジンのあたりのカバーを開いて整備をしている人物がどうやら関係者のようだ。

「私は日本から来た航空関係の技術士官です。この機体について少し教えてもらえませんか? 可能であれば機体の緒元などを知りたいのです。教えてもらうためには、ドイツ空軍の許可が必要ですか?」


「ああ、この機体はまだドイツ空軍の所有ではなく、開発した私と出資者であるノーベルの会社のものですから空軍の許可は不要です。逆に、日本人への説明に対して、空軍の許可が必要になるほど軍に興味を持ったもらえばありがたいのですがね」


 永野大尉が、話を聞くとその全翼機の調整をしていた男は、ライマール・ホルテンと名乗った。機体設計者であるホルテン兄弟の弟だった。機体は、兄弟が飛行機の設計を始めてから5番目の機体で「ホルテンH V」と名づけられていた。永野大尉の分析した通り、「ホルテンH Ⅴ」は、2つの小型エンジンを備えたモーターグライダーだった。ホルテン技師の説明により、機体の大まかな仕様がわかった。レヒリンの飛行場に駐機していたのは、全翼機であっても航空機として問題なく飛行可能であることを実証するためだった。ドイツ空軍が本格的な全翼機を開発するように、このグライダーで証明して働きかけることがホルテン兄弟の目標だった。


「整備が終わったので今から実際に飛行させますよ。この機会に見ていきませんか」


 もちろん、永野大尉たちにとっては願ったりかなったりだ。飛行している様子を実際に見ると、ふらふらすることもなく想定以上に安定して飛行していた。飛行場の周りを周回した様子からは、運動性も通常形式の航空機と同じ程度の旋回ができるようだ。


「あの機体を我々が購入することはできますか? これは日本海軍としての購入交渉です」

「この機体から若干の改良を行った、Horten H Vの3号機を製作中です。日本側で輸送船を手配してもらえば、それを輸出することは可能です。もちろん、あまたたちが提示する価格次第ではありますが」


 永野大尉が示した購入価格は、ホルテン技師が満足できる値だった。


 ……


 小林中佐たちは、ベルリンに戻るとジャイロを利用した爆撃照準器と全翼機について、それぞれ購入を要望する書類を作成した。さっそく酒巻少将のところに、ドイツ政府と航空廠に要求を提出してもらうために説明に訪れた。

「君たちの希望はわかった。航空省に対しては、私の名前で照準器の購入希望を提出しよう。全翼機については、開発者が了承しているならば、出資会社に金を払ってドイツ政府から輸出許可を取り付ければ大丈夫だろう。照準器については、空軍で開発中の装置なので許可される可能性は大きくないと思う。この装置の有効性を信ずるならば、我が国で独自に開発してみる手もあるぞ」


 ドイツ側からの回答については、少将の予想が正しかった。ドイツ政府は奇妙な形の全翼機にはあまり興味がないらしく、輸出許可はすぐにおりた。爆撃照準器については、内部構造に機密事項が含まれるので、日本への売却は許可できないとの返事がきた。それでも少将から再度要求した結果、装置を製造するための図面は渡せないが、取扱説明書と整備用の書類は日本側に渡せるとの返事が来た。


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