第2章 技術導入

2.1章 第二次欧州出張

 昭和13年(1938年)11月になると我々の研究所に人事上の変化があった。今まで電気研究部長だった向山少将が、横須賀海軍工廠に移動となった。その代わりに艦政本部から佐々木少将が電気研部長として赴任してきた。


 さっそく望月少佐が、人事のうわさを聞きつけて私のところにやってきた。

「今回の電気研究部長は、どうやらおとなしい人のようだな。今まで仕事をしていた艦政本部第三部でもあまり目立った仕事はしていないようだ。まあ、我々にとっては、あれこれ言ってくるよりも、あまり口出ししてこない方が好都合かもしれないな」


「確かにそうですね。それでも艦本では通信関係の仕事をしていたようですからそれなりに電子関係のことも知っているのでしょう。我々の研究について、興味を持っているかもしれませんよ。その時は、電探も計算機も重要な研究だということを説明して、しっかりと理解してもらいましょう」


 私が望月少佐に言ったことが原因ではないだろうが、佐々木少将は、部長に就任早々、重要な開発についての状況を知りたいと要求してきた。どうやら望月少佐の意見とは異なり、研究状況を理解したうえで、管理をしっかりとこなしたいと考えているようだ。


「部内の研究項目の中で、部長として知っておきたい事項について書き出してみた。みんな忙しいだろう。長い時間をとらなくてよいから、研究内容について少しばかり教えてほしい」


 佐々木少将が選んだ項目には、当然のように電探と計算機、半導体が含まれていた。部長からの要求なので、すぐにでも説明することになった。


 まず、開発中の電探については、真田大佐から一通り基本的なことを解説した。

「なるほど用途によって、異なる種類の電探を開発しているというわけか。陸軍との協力もあって、遠距離での捜索電探については実用的に使えそうだな。一方、センチメートル波を利用した射撃照準に使う電探については、電探としての動作はできているが、照準するときの精度にはまだ改善の余地があると理解したぞ」


「はい、電探の特性から反射波により距離についてはかなり精度よく測定できますが、方位はアンテナの向きのずれや電波の分解能からどうしても誤差が発生します。センチメートル波の発信はマグネトロンを利用して安定しました。受信側回路は不安定でしたが、半導体を利用した検波器と小型の発振管が完成して性能も信頼性もほぼ改善しています」


「射撃の照準に使おうとすると距離は正確だが、方位誤差の発生についてはまだ課題が残るということだな」


「ええ、アンテナから放射される電波束をもっと細くして分解能を向上させるとともに、その電波を上下左右に機械的に振り回して正確に方位の求めるなど、まだ工夫が必要です」


 引き続いて、根津大尉が検波器に使われている半導体ダイオードについて説明した。

「半導体ダイオードにより、電探の不安定要因の一つが解消され性能の向上も可能になりました。現状では、海軍だけでなく陸軍の電探も半導体を使用することになっています。半導体は、ダイオードだけでなく、これからもっと適用範囲を広げてゆく見通しです。そうなれば、いろいろな分野で既存の部品を置き換えてゆくことになるでしょう」


 パラメトロン計算機については、望月少佐が技研の実験室に設置された計算機を使って、計算を実演しながら解説を行った。佐々木少将は電子技術に携わってきた経験から、計算機の重要性をすぐに理解した。


「これほどの計算機が、我が軍で既に稼働しているとは本当に驚いた。この装置はまだまだ発展の余地があるぞ。計算をさせるための仕組みや、演算部分についてはこれから大きく改良できるだろう。そうなれば大幅な高速化もすぐにできるに違いない」


 ……


 計算機や半導体に対して理解のある部長が就任したことを、真田大佐は絶好の機会だと考えた。大佐は、日頃考えていた開発組織の拡充について意見書を少将に提出した。


「今まで以上に重点的に開発に取り組む必要のある分野は、電探と計算機開発、それに半導体の研究です。現状では、電波探信儀を専門に開発する部隊だけが独立した課となっています。これを計算機と半導体にも広げたいのです。最初の立ち上げ時は少人数でもいいので、電気研究部内に計算機開発課と半導体開発課の設置をお願いします」


「計算機開発については、電気研究部内に課を作ることを認めよう。事務手続きさえしっかりやれば、海軍省が何か言ってくることはないはずだ。開発部隊の強化により、高性能の計算機を早く実用化してくれ。担当する技術者の人選は任せる。半導体の研究については、まだ大人数で研究するような規模にはなっていないだろう。素子の生産ということであれば、むしろ民間企業でやってもらうことになる。当面は半導体については電波探信儀開発課の中で研究を進めてもらいたい」


 まずは電気研究部に計算機開発課を作ることになった。人選については、既知の人材から計算機のことを知っている技術者をどんどん引っ張っていった。パラメトロン計算機の発明者である海野技師は、本人の希望もあり、海軍軍人として任官してすぐに技術研究所で働くことになった。さらに、武井博士と中嶋技師も計算機開発課からの依託研究員の位置づけで参加することになった。


 私自身の仕事については、真田大佐から直接指示があった。

「筧中尉は、今まで通り電探開発課でセンチ波を応用した電探開発を行うものとする。加えて、パラメトロン計算機の知識も十分なので計算機も兼務だ。仕事量の配分については自分で調整してくれ。但し、俸給は2倍にはならない」


 望月少佐がにやにや笑っている。

「計算機開発に筧君は絶対に必要だ。俺から大佐に頼み込んでこんな結果になったんだよ」


「まあ、計算機に関しては、掛け持ちということで半人分の手伝いしかできないがよろしくお願いします」


 今まで片手くらいの人数で、細々と計算機を開発してきた望月少佐にとっては、人員が増えるのは大きな前進だ。さっそく、技研内から若手の技師や技手を計算機開発課に招き入れるとともに、大学や企業からも研究員として電子系の技術者を引っ張った。おかげで、望月少佐が優先開発の一つとしていたパラメトロン素子の小型化に着手できた。


 既に、東京電気化学工業ではニッケルやマンガン、亜鉛の含有量の調整により材質を改善したフェライト材を使用して、直径が半分以下のフェライトリングの試作品が完成していた。それを使って試験的に作成した小型パラメトロン素子の実験により、性能の劣化がないこともすぐに確認できた。


 一方、手作業によるリングへの線材の巻きつけについては、多数のリングを碁盤のような治具に固定して、リングの中央穴に銅線を一気に通す製造機の自動化に成功した。但し、リングに対して通した配線をコイル状に巻き付ける工程だけは完全に自動化とはいかずに、拡大鏡を見ながら人手による作業が残った。


 我々が、計算機の性能改善に取り組んでいる間に昭和13年(1938年)は暮れていった。


 ……


 昭和14年(1939年)が明けると真田大佐は、日高研究所長から呼び出された。

「実は、我が軍と陸軍が共同で再び訪欧する計画がある。航空機や火器、潜水艦などに関連する技術について、ドイツからの技術導入を推進する。それで、国内開発と技術移転を円滑に行うために士官や技術者をドイツに派遣することになった」


 すぐに真田大佐は、少将の考えていることに合点がいった。

「潜水艦と飛行機が前提ならば、電気関係の技術者は無関係のはずなのに、我々にも一枚かませろということですか?」


「ああ、電気研究部でも電探も含めて、いくつかの分野については、進歩しているドイツの技術を取り入れたい。そこで、電気系の技術者も同行させてくれと海軍省に私から頼み込んだわけだ。前回の欧州訪問時にもいろいろな成果があったはずだ。今回の人選は任せる。時間がないのですぐに準備にとりかかってくれ」


 ……


 私も前回に加えて訪独団の一員に選ばれて、昭和14年(1939年)の3月上旬にはあわただしく日本を出発することになった。加えて、ドイツでも計算機が完成したらしいとの情報がベルリンの日本大使館から届いたために、望月少佐も訪問団員に急遽選ばれた。一方、根津大尉は半導体の研究が佳境となっており、手が離せないとのことで見送りとなった。


 電探の開発を完全に止めてしまうわけにはいかないので、不在になる技術者の仕事も引き継がなければならない。真田大佐から日本での電探開発を任されたのは、電磁波研究により博士号を取得した高原中佐だった。


「高原中佐、実質的な電探開発部隊の主務となって不在時の開発を進めてくれ。中佐の技術力と指導力をもってすれば、不在時も開発を進められるはずだ。決して気負わなくていいので君のやり方で進めてくれ」


 普段の真田大佐の口ぶりとは全然違う真面目な言葉に、高原中佐は一瞬戸惑ったが、すぐに気を取り直して返事をした。

「留守の間に開発を電探の進めておきます。我々も欧州で先端技術を仕入れてくるのを期待していますよ。そちらも頑張ってくださいね」


 研究所員に見送られて、我々は欧州へと出発した。今回は前回と異なり、時間の節約のために行きもシベリア鉄道経由だ。どうやら陸軍の一部から船酔いのひどい輸送船はこりごりだとの意見が出たことが本当の理由のようだ。


 当時の日本は特定の国との間に同盟関係はなかったが、イギリスやフランス、アメリカからはドイツ寄りの国家と見なされていた。当然ながら、それらの国が日本に技術を提供するわけがない。我が国に対して技術ライセンスを供与をしてくれる国は、ドイツとイタリアが中心だ。それらの国以外には、スウェーデンやスイスなどの中立国との交流は可能だった。


 ……


 昭和14年(1939年)4月にドイツに到着した我々の最初の仕事は電探情報の収集と決まっていた。既に1939年には、ドイツは電探を実戦配備していた。「フライヤ」と呼ばれる大型の探知用の電探は、海岸沿いに建設されていた。それよりも周波数の高いパラボラアンテナを備えた電探は「ウルツブルグ」と命名されて、初期型の開発が完了していた。これは我々が最初のドイツ訪問時にテレフンケン社で見学した装置から進化した電探だった。更に、艦艇に設置するいくつかの種類の電探も戦艦や巡洋艦への搭載が始まっていた。


 ところが、「ウルツブルグA型」と命名された電探は軍への配備が始まったために、情報がなかなか集まらない。軍部が電探の能力に着目したために、「ウルツブルグ」の詳細はイギリスやフランスに知られてはならない機密情報に指定されていた。


 このような状況下では真田大佐も効果的な対応策を思い浮かばずにいた。


 そこに日本大使館の駐在武官をしていた由利釜之助中佐が情報を持ってやってきた。

「テレフンケン社で電探開発をしているルンゲ博士とホルマン博士ですが、超短波送信管の技術を欲しているようです。彼らはセンチメートル波長の強力な電波を発振できる部品の開発にはまだ成功していません。日本からそのような技術を提供するならば、見返りにドイツの電探情報を教えてくれる可能性があります」


 由利中佐の話を聞いてすぐに真田大佐が決断した。

「そもそもドイツから電探技術を教えてもらう交換条件として、我々のマグネトロンを教えることを想定していた。技術提供については、日本を出発するときに研究所長からの許可も得ている。そのために現物も持ち込んでいる。この条件で話をまとめてほしい。但し、内部の構造や製造法については開示しない。もっと別の取引材料にするつもりだ。持ち込んだマグネトロンも内部は見えない金属外皮の管としている」


「わかりました。時間が惜しいので我々の方から、まずはマグネトロンの実物をドイツ人に見せることを打診します。簡単に動作が確認できるような実験回路を提示することは可能ですか? 実験で動作確認できれば、我々の要求も受け入れられやすくなります」


 ……


 テレフンケン社のルンゲ博士は、日本人が提示してきたマグネトロンの技術的な価値を十分にわかっていた。基本原理が発明されてから、センチ波の発振可能なマグネトロンの実用化は世界各国で行われてきたのだ。現時点ではドイツではまだ完成していないが、イギリスでは完成したという情報をつかんでいた。イギリスに追いつくために、喉から手が出るほどほしい技術を日本が提供できると言ってきた。


 まずは、日本人の開発したマグネトロンがどれほどのものなのか確認してみたい。由利中佐から手渡された試験回路の図面を基にして、手持ちの部品を利用してマグネトロンの陰極への負電圧を印加して陽極側には共振回路を接続した簡易治具を突貫作業で組み立てた。博士は、約束の期日に間に合うように治具を組み立てて待っていた。


 当日は、博士も一度会ったことがある由利中佐が木箱を持ってやってきた。ふたを開けると中に収められた特異な形状の発振管を確認できた。残念なことに金属外皮で覆われているので、内部を見ることはできない。発振管を接続して徐々に電源の電圧を上げてゆく。簡単な試験を開始すると、間違いなく30センチ程度の波長の電波が送出されていることが確認できた。ドイツの技術ではこんな簡単なしかけでは、送信できない波長の電波だ。もう我慢できない。ルンゲ博士はドイツ航空省(RLM)の電子機器担当に直接ねじ込んで、日本人への技術情報提供の許可を得ることにした。


「我が社の無線探知装置への日本軍人の見学の許可を求める。見返りに我々にもたらされる日本の送信管の価値は非常に大きい。このチャンスを絶対に逃すべきではない」


 電探開発の第一人者であるルンゲ博士の意向をRLMも無視できなかった。しかも高性能のマグネトロンを入手できれば、ドイツ自身の電波技術の進歩にもつながることは間違いない。


 急転直下でテレフンケン社からの情報入手の件が前進を始めた。我々に対して最新型の「ウルツブルグ」の見学が許可された。貴重な経験なので我々を中心とした海軍の技術者のみでなく、佐竹少佐はじめ陸軍の関係者も見学に加わっている。開発中の最新型の実物を見てみると、我々の期待通りテレフンケンの電探は課題を解決していた。


 ルンゲ博士はレーダーの専門家であるホルマン博士の協力により、「ウルツブルグ」としては初代から数えて3代目となる電探で、イギリスやアメリカでローブ・スイッチングと呼ばれることになる技術を適用していた。


 おわん型の反射器から構成されるアンテナでは、放物面の焦点に相当する位置に電波の送受信器が配置される。その位置が最もアンテナのゲインが大きいからだ。ローブ・スイッチング方式では、焦点からわずかに左右にずらした位置に2つのダイポール型の電波送出部を設ける。2つの電波の出口をモーターで駆動する機械仕掛けのスイッチにより毎秒20回から30回程度切り替えると、おわん型アンテナから送信される電波は、わずかな角度で左右にぶれることになる。もともとパラボラアンテナからは、高周波の電波はきわめて頂角の小さな円錐形のビームとなって放射される。送信ビームはスイッチの切り替えにより、放射方位がわずかに左右に振られることになる。


 受信電波のスコープ上には、左右のスイッチングに応じて、高さの異なる二つの反射波の山が現れる。操作手は、それを左右の差がなくなって、最も反射波が大きくなるようにアンテナの向きを微調整すれば、正確にアンテナが電波の反射目標に向いたことになる。今まで、どんなに工夫しても3度程度の方位誤差が、10分の1以下になったとのことだ。


 電探の操作手によるアンテナ向きの調整方法まで考えてあってうまい方法だと思った。改良型の「ウルツブルグ」が目標とする誤差0.2度の性能を発揮できるならば、間違いなく火砲の射撃時の方位盤への入力とすることができる。光学測定機に比べて、電探による距離の測定は正確だから、方位の誤差がなくなれば全ての計測を電探により行うことが可能となる。夜間でも霧の中でも正確な照準が可能となる。


 そこまで考えて、飛行中の航空機の精密測定にも拡大できるだろうと想像できた。航空機の測定について、ホルマン博士に思わず質問してしまった。

「今の説明では地上や海上の目標の測定は精密にできますが、空中の航空機が目標の場合はどのようにしますか? 3次元空間の目標の方位や高度を正確に計測することは可能ですか?」


「よい質問です。我々が開発中の最新型では航空機の測定も精度を向上させます。アンテナの中心軸の周りを電波送出のダイポールを回転させます。中心からのわずかに離れたところで、電波の放出口を毎秒20回程度回転させます。結果として、アンテナからの放射電波はパラボラアンテナの中心軸から小さな角度を有する円錐形の範囲で回転することになります。得られる目標からの反射信号は、目標がアンテナの中心軸からわずかに片側にずれている場合、放射する電波ビームの回転に応じて信号強度が変化します。信号の大小の差異が最小となるように、アンテナの方向と上下の角度を微調整すれば、アンテナは正確に目標に向くことになります」


 真田大佐もなるほどと感心している。

「左右の方向に対して正確に計測する方法を上下左右の測定方法に拡張したということですね。目標とする精度の電探が実用化できれば、対空砲の照準にも使えそうだ」


 横で聞いていた望月少佐が突然声を上げた。

「そうだ! この電探と我々の計算機をうまく組み合わせれば、とんでもなく命中率の高い射撃指揮装置ができるぞ。もちろん対艦の砲撃にも対空にも使えるはずだ」


 すぐに真田大佐もその発想がうまくゆきそうだと理解した。

「なるほど弾道計算できる機器と組み合わせれば、効果はより大きくなるな。それでも短時間で弾丸の未来位置を計算するためには、今よりももっと計算性能を高める必要があるぞ」


「現在開発中のフェライトの材質を改善して、リングを小型化したパラメトロンが完成すれば、素子の動作周波数は数倍に高速化するはずです。それを使って計算の高速化ができれば航空機に対する高射砲の弾道計算でも大丈夫だと思います」


 ……


 一通り見学が終わったので、真田大佐と陸軍の佐竹少佐は完成している新型の「ウルツブルク」を日本に持ち帰れないか交渉を始めた。同時期に訪独していた航空機や火砲の班では、事前にライセンスの交渉をしていたという理由もあるが、ダイムラーベンツの航空機エンジンや、88mmと37mm高射砲の購入がまとまりつつあった。従って、電探についても不可能ではないと考えたのだ。


 しかし、ドイツの最新型の電探の購入は許可が下りなかった。かろうじて実物の見学だけが許されたのだ。その代わりルンゲ博士が「ウルツブルグ」の構造や動作を説明する書類を準備してくれた。さすがに、マグネトロンをもらったのに見学だけで終わらせるのは申し訳ないと思ったのだろう。手持ちの書類を見繕ってこっそり渡してくれた。


 ルンゲ博士の書類の中には、GEMA社とテレフンケン社で開発中の電波で応答する敵味方識別装置の文献も含まれていた。ドイツではまだ開発中で、実戦配備もしていないので、開発計画書だったが、真田大佐も有効に使えるだろうとの感触を持った。それには、ドイツが知っていた英国の開発状況まで記載されていた。


「どうやらイギリスはこのような識別装置の搭載を始めているようだ。電探を開発してもこれがなければ同士討ちになる可能性があるからな。電探と組にして使用することになるだろう」


「特に夜間や荒天での戦闘を考えると、誤探知や誤射を避けるためには絶対に必要な装置です。これがないといつも目視で敵か味方かを確認してからでないと射撃ができません。それでは電探の有効性が大きく損なわれます」


 真田大佐が周りを見回した。電探関係については満足のいく成果を得たと思ったのだろう。口元がゆるんでいる。

「電波関係の機器に関しての情報収集は、一段落ということか。次は望月君が担当する計算機の状況を確認する番だな」


 中佐に言われなくても、望月少佐はドイツに到着してから、いくつかの活動を開始していた。ドイツで試作された計算機に関しての情報をつかんでいたのだ。どんな装置なのか自分の目で確認すると既に決めていた。参考にできる部分が必ずあるはずだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る