第22話 『シア』が誓うこと
王宮にはずれにある小高い丘の上で、クロヴィスは一人、城下の街並みを見下ろしていた。
その背中は物悲しく、孤独で、打ちひしがれているようにも思えた。
「ここから、助け出してあげましょうか?」
シアは静かにクロヴィスの隣に並ぶと、同じように城下を眺め、それから美しく悲しい横顔に視線を移す。
丘の下から吹き上げた風が、ゆるく編んだ三つ編みからこぼれ出た髪を、ふわりと弄ぶ。
「貴方が望めばどこへでも行けるのです。この牢獄のような場所から抜け出して、どこかずっと遠い世界へ」
「…………」
ゆっくりと瞬きをすると、やがてクロヴィスは感情の滲まない声でこう返す。
「まさか」
それからふっと自嘲するように唇の端を持ち上げ、どこか遠くを見つめるように再び黙り込んでしまう。
おそらく、思い出しているのだろう。
王との、自分を疎む父親との、やり取りを。
『なぜジェフリーが怪我をしたのだ! お前が付いていながら、なぜ——』
王はクロヴィスを叱責した。
謁見の間の壁伝いに、大勢の臣下たちが立ち並んでいるのにも関わらず。
『僭越ながら、第四王子は帰路で魔物に襲われたのです。我々はすでに一行と別れ、王都へ帰還し——』
『そうだ、そもそもなぜ別行動など取ったのだ!』
『それは負傷兵を早急に帰還させ、手当を受けさせる必要が——』
『ジェフリーが被害にあった村々を回ると提案したのだから、同行してもよかったであろう!』
玉座の下に跪き、滔々と事実を述べる息子の話を、国王は何一つ受け入れなかった。
かみ合わない会話と、高邁な理想に突き動かされ勝手に負傷した息子をひたすらに庇う王。
同じように怪我を負った臣下を蔑ろにする王の発言は、確実に廷臣や騎士たちの反感を買った。
歪な親子の関係にそっと目を逸らす者や、なかには顔をこわばらせ、表情を隠すために俯いてしまった者もいる。
謁見の間の隅では、いまや忘れ去られた第三王子イザクが、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。が、王の叱責が激しくなるにつれ、困惑したように眉を寄せ、兄王子の横顔を窺うような素振りへと変化する。
そこにあったのは、動揺とわずかな同情か。
王の隣で淡々と事の成り行きを見守っている王后よりも、よほど身内らしい、血の通った反応だとシアは思った。
「……」
目の前の茶番を眺めながら、思わず殺気を放ちそうになるシアに、アイガスがそっと抑えた声で告げたのは、そのときだった。
「耐えろよ、魔法使い……」
「アイガス卿もですよ」
ジュノーひとりを従えて、王の攻撃の的ととなったクロヴィスを、シアたちははるかに離れた末席から眺めているしかできなかった。
王が怒りに駆られて被っていた王冠を、クロヴィス目掛けて投げつけた時もだ。
『陛下は両王子揃ってからでないと謁見を開かれないと申された。なのになぜ、この場に第四王子の姿がないのでしょう』
『なに……?』
『ジェフリーの怪我は討伐に貢献した兵士たちの誰よりも、軽いものだと聞き及んでおります。それとも、王子としての威厳を保てないほどに——』
『この痴れ者が!』
幸いにして、豪奢な宝石と突起の就いた純金の王冠は、クロヴィスの肩を避けて、絨毯の上に落下した。もしかしたら、王は最後の理性でわざと避けたのかもしれない。
だが、どちらにしろ投げたことに変わりはない。
『英雄だと、立太子も間近だと、その噂を鵜呑みにして驕り高ぶっておるのか! よいか、クロヴィスっ、たとえどれだけ縋ろうと——ッ』
そのとき、王は胸を押さえて突然息を詰まらせた。
『う、ぐ……』
『陛下?』
『陛下!』
『おい、ジャスティン医師をお呼びしろ!』
そして王にとっても幸いなことに、そのあとすぐに発作を起こし、侍医の判断によって謁見は中止となったのである。
しかしクロヴィスへ対する裏切りは、これだけでは終わらなかった。
(幼い頃から彼の努力をその目で見てきたはずの廷臣たちもが、クロヴィス様をないがしろにする……)
謁見の間を後にして、回廊でクロヴィスを呼び止めたのは、古くからその座にある廷臣たちだった。彼等は皆一様に、張り付けた笑みを浮かべて口々にこう告げた。
『殿下、どうかこれ以上陛下を刺激なさらずに』
『殿下の努力と実績は誰よりも我々が深く理解しております』
その言葉の後に続くのは、決まって「しかし」だ。
『陛下にはお健やかな日々が必要です』
『どうか陛下が心穏やかに過ごせますよう、そのお力を生かすためにも、ジェフリー殿下の補佐をなさると、そう進言されてはいかがでしょうか』
『……つまり、臣下に下れと』
『いえ、そのようなことはけして』
『ただ執政というお立場も、民のためを思えばこそ——』
そのとき、ジュノーが苦言を呈さなければ。あるいは、険しい顔をした側近たちが背後に立ちふさがって、追い払わなければ。
あの老害共は今頃、己の口の軽薄さを泣いて後悔していたことだろう。
(この方が王の機嫌を取るためだけに、第四王子の臣下に下るなんて……そんなこと、許されるはずがない)
誰もがクロヴィスを認めないというのなら、こんな国など捨ててしまえばいい。それがシアの下した結論だ。
(でもきっと、そんな決断は『まさか』なのでしょうね)
その言葉に続くのは『考えてみたこともない』ではなく、『選択肢にない』だ。
きっとあの一言はそういう意味なのだ。
「あ~あ、きっと殿下と共に海を渡れば、世界征服も夢ではないのに」
シアはわざと重い空気を払うようにそう茶化して告げると、くるりと城下の景色に背を向けた。
それから、何を言い出すのかと不思議そうに見つめてくるクロヴィスの目の前へ立ち、片目を瞑って見せる。
「こんな小さな世界にとどまると仰るのなら、仕方がありません。小さな世界には小さな世界なりに、幸せな未来が待っているのでしょうね。あなたと共にあれば、いずれ素晴らしい景色が眺められる。そう信じておりますよ」
「……約束はできないが」
彼にしては控えめな答えに、シアはくすりと苦笑する。
「約束してくださらなければいけません。あなたは幸せになると。私はそうゲッシュに誓ってしまったのですから」
「魔法使い——」
「『シア』です。クロヴィス殿下」
シアはすらりとした指を伸ばし、形のいいクロヴィスの唇へそっと触れる。それから眩しいものでも見るように、優しく目元を和ませた。
「そう呼んで下さらなければ、もう言うことを聞かないと決めました。それとも私に『魔法使い』になってほしいですか?」
「……」
束の間、アイスブルーの瞳が何か言いたげに彼女を見下ろす。
だがやがて、彼はシアの手を優しく掴むと、微かに笑みを浮かべてこう呟いた。
「お前はそのままでいろ。シア……」
せめてお前だけは——。
伏せた眼差しが、シアにはそう言っている気がした。
* * *
それからあっという間に二年の月日が過ぎ去った。
一年、二年と経つうちに、ジェフリーを崇めていた者たちも、彼の高邁すぎる理想に気付いたのか、一人、また一人と離れていき、段々と支持層を減らしていった。
理想はしょせん理想でしかない。
どれほど手を伸ばしても太陽が掴めないように、高すぎる理想はやがてその身を燃やし尽くす。
ただ唯一気にかかるのは、第四王子が聖女を味方につけたことだろうか。
今代の聖女は歳若く、シアと同じ年頃だと聞いている。東部の地方領主の娘であったが、十五歳の時に巡礼中の教皇に見出され教会へ迎え入れられた。
東部と言えば、タリアやジェフリーの故郷である。
同郷であることを引き合いに距離を詰めたタリアは、聖女に第四王子の理想を語ったのだ。
(第四王子が掲げる理想は、まさに教会が崇める女神の教えそのもの。同調の意思を見せるのは当然だ)
しかし、聖女はどうやら地に足のついた人物らしく、王位争いに介入する素振りは見せていない。王都の中央に建つ大聖堂で粋を求める人々に慈悲を施しつつ、タリアの面会を受け入れるにとどめている。
(基本的に、聖女は教会が認めた人間なら誰でも面会に応じる。だから、特別なことはないんだけど)
シアが問題視しているのは、タリアが閉ざされた聖堂内でかわされた聖女との会話を吹聴し、教会側もそれを否定していないということだ。
(話はいくらも言い換えられるし、噂はいくらでも脚色できる)
『第一王子は教会に嫌われている』
その噂が流れた時点で、一度シアはクロヴィスへ聖女と会うよう勧めたことがある。だが、すげなく断られてしまった。
(ううーん。王后のこともあるから、教会と対面し辛いのはわかるんだけど)
『王后は王家と魔塔のゲッシュの抜け穴をつき、誓いを破った』
教会側はそう確信している。
アルトヴァイゼン公爵家が襲撃された後、魔力を伴った火で焼き尽くされた大地を蘇らせたのは教会だ。
聖女を筆頭に、浄化された大地は命を吹き返したものの、供養を名分にその後も教会の管轄下に置かれていると聞く。
つまり罪の痕跡を探している証ではないだろうか。
(それに、クロヴィス様を狙った黒魔法使い、テネブレの情報はいまだに掴めていない。やつとタリアとの繋がりは確かじゃないけど、王后は一度取引をしたことがあるはずなのに)
そう確信しているのは、忍び込んだ王宮——両陛下の住まいであるアイテール宮で、あの臭いを感じ取ったからだった。
薬草と木香の鼻につく臭い。
(臭いの元は特定できなかったけれど、おそらく王后の元から感じた)
ラギメスと取引した者も、黒魔法使いと取引した者も、どちらにも共通する臭いだ。
(あれは目印なんだろう。ラギメスの玩具だという証……)
そんな者が傍にいるとわかっていて、安穏としている場合ではない。
「……」
(王の症状も気になるし、せめて一度は聖女を王宮に招く必要があるんだけど)
そうシアは思うが、ただしそれには、国王が教会を避けているという問題もあった。
(立太子を先延ばしにしていることで、教会から苦言を呈されている王は、教会を煙たがり、聖女の治療すら撥ね退けているという話だし……)
教会側も中立の立場を保つため、王位争いに口を挟むつもりはない。が、不安定な後継者問題にやきもきしているのは事実だろう。
借りを作れば、必ず返さなければならない。そうでなければ王家の権威が失墜してしまうから。
(……クロヴィス様も、王后の罪の償いを求められることを警戒しているのか)
「どちらにしろ、機会をみて動かなければ」
——なにかが起こる前に。
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