VSくいだおれのセイジ

 ハイスクール・プロレスリングにおける最高の人材は、中央に集まっている。

 地方で認められた人材は県の興行に呼ばれ、やがて大都市圏でおこなわれる、通称中央の興行のリングに上がることになる。中央で興行が開かれるのは春夏秋冬ごとの年四回。中央の興行は、集まる高校生レスラーの質、観客の熱気に動員数、メジャーなプロレス団体の大会場での興行に匹敵する規模となっている。

 ならば、中央に呼ばれた高校生レスラーは、年4回しかリングに上がらないのか。答えは否である。プロレスはリングに上った数が物を言う。練習だけで、コンデイションやモチベーションを維持し続けるのは、プロのレスラーでも難しい。

 そのため、中央クラスのレスラーも下位クラスの興行に顔を出すこともある。下位クラスは人数が多い分、興行数も多いのだ。中央のレスラーは体を慣らし、下位クラスのレスラーは大物食いを狙い、観客はハイレベルなレスラーの試合を見ることで、中央にも足を運ぶようになる。そんな三方一両損ならぬ、三方全員一両以上儲かる制度である。

 しかし中央のレスラーが出るにしても、普段は県の興行である。最小単位とも言える地方の興行に出るのは、とんでもなく珍しい事態であった。


                  ◇


 常日頃から鍛え続けている自負が、揺らがぬ心と身体を作り上げる。この信念を貫くだけの鍛錬を積み、不動の心を持っている高校生レスラーの山田健介。よほどのことでは驚かず動揺もしない、そんな彼は今日、ガチガチに緊張していた。ただ試合前の控室に呼ばれて、足を踏み入れただけである。


「いち、にー、さん、し」


 控室では、一人のレスラーが入念なストレッチをおこなっていた。丸いビヤ樽体型で、顔つきも柔和。レスラーと言うよりマスコットに近い可愛らしさがあるが、彼こそが本日のメインイベント担当であり、中央からやってきたレスラーであった。


「ごー、ろく、飛ばしてひゃく! よし、試合前の練習終わり!」


「……」


「いやツッコメや! 飛ばしちゃ意味ないって突っ込んでくれや! その毎回律儀にスクワット千回やってそうな筋肉はなんのためにあるん!?」


「す、すいません」


「そこは! ツッコミのためじゃないですっていうところよ!?」


 プンスカと関西弁で山田にぐいぐいと迫ってくる姿は、レスラーと言うより芸人である。だが彼こそが、中央で名を馳せる大物の一人、くいだおれのセイジである。流石に黒メガネや三角帽子は被っていないが、朱と白の縦縞ストライプのランニングシャツとロングタイツは、まさにあの関西の某人形そのものである。

 セイジは気圧され気味の山田を見て、一度仕切り直す。


「まあええわ。今日呼んだのは、相方オーディションのためじゃないんや。今日の相手のオーク仮面ってどんなヤツなん? キミ、いい試合したんでしょ?」


「マスク・ド・オークのことですか」


「そうそう、マスク仮面。いやねえ、ボクの相手、橋川とかいうハンパもんだって聞いてたけど、急遽ド仮面に変わったやん。橋川とかいうのを、お笑いに引き込む準備はバンバンに考えてたんだけど、オーク仮面のことは考えてないっていうか全然知らんのよ」


 セイジのスタイルは、コテコテのお笑いプロレスであった。相手をからかい、自分もはしゃぐ。この老若男女誰でも理解できるスタイルは一定以上の指示を集めており、中央の興行における第一試合や第二試合はもはやセイジの定位置であった。

 セイジの質問に、山田は率直に答える。


「強い男です。肉体も精神も」


「そういう良い話っぽいんじゃなくて、もっとシンプルに、ボクにノッてくれるかどうかで頼むわ」


「まずノッてくれないでしょう。滅茶苦茶な強さで、暴虐のオークというキャラクターを貫く。アレは、そういうレスラーです」


 お笑いプロレスの是非以前に、オークが他人の世界観に身を委ねることはないだろうし、できるわけがない。オーク相手に戦った山田の正直な評価であった。


「そうかー。ノッてくれないのかー。アカンなあ、そりゃアカン。たぶんそういう、ワガママなヤツはしょっぱいわ」


 確かにオークはおいそれと技を受けず、こちらに合わせようともしないが、強固な世界観を作るだけの信念と強さはある。山田が口に出そうとした意見は、セイジの続け様の発言により止められた。 


「そういうヤツは、どうしてもボクの世界に引き込みたくなるわ」


 ガチガチに基礎が求められる地方の興行と違って、実力が保証されている中央の興行では技にアピールと出来る範囲が広いが、それでもスポーツライクであることは変わらない。そんな中、お笑いプロレスを貫ける男に、凄みがないわけがない。毎回、中央に呼ばれるレスラーが流動的な中で、興行のレギュラーを常に確保する男が弱いわけがない。

 この人ならば、オークを彼の世界ごと壊してしまうのでは。山田の中に、なんとも言えない期待感ともどかしさと悔しさが生まれた。


                  ◇


 ハイスクール・プロレスリングは国の支援を受けていることも有り、普通のプロレスに比べて入場は地味である。個々の入場テーマもなく、スポットライトもスモークもない。地方の興行となれば、なおさら地味だ。

 それでも、入場はレスラーにとって最初の勝負であり、地味でも隠せない華を持つ者がいる。セイジは自身の入場を待ちつつ、そんなことを考えていた。


「わかっとるやん」


 思わずセイジが口にしてしまうほどの、完成度である。先に出ることになったマスク・ド・オークの入場は、入場シーンの大切さがわかっている者の入場であった。

 まず、先導役として、自称ユーチューバーの長耳エルフが出てくる。要はエルフのコスプレイヤーであり、ただのセコンドだが、鎖のついた首輪をつけ憔悴しきった様子の彼女はどう見ても虐げられている奴隷である。鎖の先にいるのは、筋骨隆々のオーク。その逞しさが、自然と強者や雄としての強さ、奴隷を持っていそうな空気を醸し出している。

 エルフもオークも語らない。ただ観客は、どうしてもエルフとオークの間にあるストーリーを想像してしまう。なんなら、プロレスやエルフやオークという虚構を剥いだ先にある男女の人間関係をそれぞれが思ってしまうのだ。それでいて、スポーツライクなハイスクール・プロレスリングとは真逆のエンタメ性。二人は清廉に禁忌を押し付けようとしている。

 小規模かつ不自由な地方の興行でここまでやってみせる。もし、セイジがデビュー仕立てなら今頃泡を食っていただろう。だが、セイジは、全国クラスのレスラーなのだ。


「よっしゃ行くかあ!」


 セイジはパン! と自らの太ももを叩きつつ、会場に響き渡るような大声で叫ぶ。この二つの音により、リング上のオークの存在感は薄れ、観客の注目はセイジが立つ入口に集まった。

 セイジがリングに向かう。それはまさに、スター来訪であった。


「いやー! どうも! みなさん、まいど! 超大物のセイジさんがちっちゃいリングに来ましたよー!」


 ざわざわとした歓声が、セイジのイジリにより増幅されていく。増幅された歓声は、会場となった市民体育館をライブハウスのように揺らした。全国クラスの会場からセイジが連れてきたファンに、全国クラスの選手であるセイジに期待するファンに、今この場でノセられたファン。多少の知恵や工夫を吹き飛ばしてしまうのが、全国クラスの選手の人気であった。リングで待つオークも、この状況では縮こまるしかないだろう。

 ひらりと、トップロープを飛び越え、わざとたたらを踏む。そんないつも通りのリングインをしたところで、セイジは改めてオークを見る。


「へえ……」


 思わずセイジが感心してしまうぐらい、オークは堂々と立っていた。自分の作り出した世界を、セイジに目の前で塗り替えられても動かない。自分の世界を信じている。実に立派だ。選手名を呼ばれても、その際の歓声に大きな差がついても、オークの存在に揺らぎはなかった。

 放っておいても揺らがないのであれば、揺さぶるしかない。ゴングが鳴った直後、セイジが取ったのはロックアップの構えであった。対するオークは、ただ悠然と歩く。オークはこういう仕掛けに乗ってこない。セイジはわかっていた。


「ショワッ!」


 セイジは両手をクロスさせ、某スペシウムな光線の構えを声マネ付きで取る。さて、この仕掛けにどう乗ってくるか。オークの返答は、大怪獣のごときど迫力のビックブーツ、前蹴りであった。


「アブなツ!?」


 リアクション半分、本音半分でセイジはビックブーツを避ける。プロレスは受けと言えども、このスペシウムな構えで受けるのはいくらなんでも無理だ。

 のけぞったセイジめがけ、オークは前のめり気味に組みにかかる。だが、セイジは突如素早く立ち回ると、真正面からオークと組み合った。いわゆる力比べ、ロックアップの体勢である。


「焦っちゃアカンよ、焦っちゃ。正直ボクは焦ってるけどね」


 タハハと言いつつ、セイジは驚いていた。

 ロックアップは、いわば審判である。両腕で組み合うことで、お互いの力を推し量ることが出来る。プロレスではよく見る序盤の攻防だが、力比べで負けた者は相手の下につかざるを得ない。そんな序列をわからせる攻防でもある。

 愉快なプロレスを公言するセイジに反発するレスラーは、随分と居た。だがそのレスラーは皆、セイジとのロックアップでわからされてきた。セイジにとって、ロックアップは屈服させる手段である。

 そんな中、オークは、ロックアップでセイジと互角に張り合っていた。体格はオークの方が上だが、セイジは全国級かつ、実は上位のパワーを持つレスラーである。ロックアップでオークよりも大きいレスラーを潰したこともある。そんなセイジのパワーに、オークのパワーは見劣りしていなかった。

 10秒、30秒、1分、なんでこんなにロックアップが続いているのかと、観客がざわめき始める。レフェリーも外しにかかるかどうか悩んでいる。こりゃアカン。先にそう思ってしまったセイジは、力を緩めロックアップから逃れた。

 そんなセイジの頭を、オークは両手で掴む。まるで柔軟なピッチャーの投球フォームのように、オークの片足が高く持ち上がる。

 ドン! と振り下ろしたオークの足、その太ももにセイジの顔面が勢いよく押し付けられる。頭を支点とし、前に転がるセイジの身体。巨体と柔軟さと足の長さを持つレスラーだからこそできる技、打撃技にして投技のココナッツクラッシュである。

 転がったセイジは、その勢いのまま立ち上がる。ココナッツクラッシュなんて初めてくらったが、なんとか上手く、コロコロと転がる愛嬌ある受け身が取れた。


「お前、そんな技、アリか!?」


 苦情混じりのツッコミを入れたセイジの身体が、べちょっと前に潰れた。力付くで相手を押し潰す、オーク得意のジャイアントプッシュである。前のめりにリングに潰されたセイジの耳に、笑い声が聞こえてきた。だがこれは、意図的に客席を沸かせるコントや漫才の笑いではない。いわば、リアクション芸への笑い。セイジのオーバーな受けを見ての笑いである。

 この男、本当にとんでもないことをしてくれる。ここに来て、セイジはオークの意図を察した。オークはセイジを使って、笑いを演出しようとしている。セイジに面白い受け身を取らせることで、笑いを取る。オークは己を貫き、セイジは希望通り笑ってもらえる。これなら、満足だろ? オークの技には、そんなメッセージが込められていた。

 立ち上がったセイジの両肩をオークが掴む。再度のジャイアントプッシュであったが、セイジの身体は揺らがなかった。


「いやいや、そりゃあ都合が良すぎるやろ」


 セイジは筋肉の張りでオークの手を外すと、オークの顎にエルボーをぶち込んだ。突然の一撃によろめくオークの首を片手で掴むと、今度は大ぶりのエルボーでオークを殴り飛ばした。

 どうと倒れたオークの片足を取ったセイジは、そのまま逆片エビ固めに極めた。


「おら行くぞ! イッチ! ニ! サン! シー!」


 セイジは景気の良い掛け声と共に、オークの足をぐいぐいと引っ張る。脇で足首を捕らえ、筋も抑えている。いくらなんでも、力付くで外すのは不可能である。

 オークは腕の力でずいずいと匍匐前進で前に行くと、ロープを掴んだ。


「ブレイク! ブレイク!」


 セイジに技を外すように促すレフェリー。

 ロープブレイクにより、オークは片エビ固めより開放される。マスクで顔を隠しているオークの表情はわからない。だが、セコンドの長耳エルフは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 セイジはドヤッと得意げな顔をして、立ち上がってくるオークを待つ。

 不沈にして難攻不落にして、塩。相手の技をおいそれと受けないオークはそう呼ばれていた。ロープブレイクなんて、初めてのことだろう。

 お前がこちらの世界を侵すなら、こちらもお前の世界を壊してやる。こちらには、それだけの力がある。セイジの肉体言語によるメッセージだった。

 再びリング上で向き合う両者、先に動いたのはセイジであった。


「技パクります! 大阪臨海アッパー!」


 走り込んでの、下から突き上げる掌底。自分のレスラー人生は、大阪への修学旅行で初めておもしろおかしいプロレスを見たことで始まった。この一撃は、思い出にして決意の一撃である。実は大阪に縁もゆかりも無いセイジの盛りに盛った一撃であった。


「続きましては、難波のDDT!」


 何が難波なのかは本人にもわからない。でもおそらく、口で難波と言ってしまった以上、普通のDDTとは違う難波のDDTなのだろう。オークの頭が、リングに突き刺さる。


「仕上げのハルカス固めー!」


 セイジはオークを仰向けにすると、オークの腹をまたいだ上でオークの両脚を固めて持ち上げる。更にセイジの重さで上半身を抑えられることで、自然とオークの両肩はマットについた。高く持ち上げられた足は、まるで高層ビルのよう。これぞ、あべのハルカス非認定の奥義、ハルカス固めである。

 レフェリーがマットを叩く。


「1・2……」


 2を溜める、プロレスでしか見れないカウントである。2・9の所で、カウントが止まる。正確には、2・9の所でセイジの身体が吹っ飛ばされた。

 ざわめく観衆。きっと傍目には、オークが力でハルカス固めを跳ね除けたように見えるだろう。リングに居るセイジとレフェリーが見たのは、それでは済まない光景だった。

 吹き飛ばされたセイジは、ゆっくりと立ち上がる。


「まいったなあ。コイツ、力と技やん。V3やん。ビクトリー3やん」


 クラッチを跳ね除ける時にオークが取った姿勢は、ブリッジであった。首と背筋の力で跳ね除けたという意味では、力付くだろう。だが人一人をあっさり跳ね除けられるほどに質の高いブリッジができるのは、レスリングが全身に染み付いている者だけだ。

 立ち上がったセイジが目にしたのは、セイジめがけ走ってくるオークだった。ショルダータックルのような、繋ぎや牽制の技ではない。あの気迫、おそらく必殺と呼べる一撃を放ってくるつもりだ。

 体格ならラリアット、山田から聞いた話ならばドロップキックだ。選択肢を絞ったセイジは、上半身に力を込める。

 そんなセイジの身体が、くの字になって跳ね上がった。

 まさかお前、そんなこともできるんか。そう言おうとして、セイジは慌てて口をつぐむ。おそらく何か言おうとしたら、言葉以外も撒き散らしてしまう。

 オークが繰り出した一撃は、腹狙いのニーリフトであった。100キロ超のセイジの身体を、片脚一本で浮き上がらせる。これもまた、打撃を学んだ経験が無ければ出来ない技である。

 オークと戦い、逃げ出した橋川クンは幸運だったのだろう。オークの意地がもう少し悪ければ、逃げ出すことも出来ず、再起不能にされていてもおかしくない。この男のベースは、とにかく分厚い。

 ボクも、あのハンパモンみたいに逃げられればええんやけどな。セイジは這々の体ながらも両足で着地すると、即座にオークに組み付いた。セイジの両腕は、オークの脇を通過し、オークの腰を掴み上げていた。


「えーと、なんやったかな。必殺技名募集中って、そんなヒマないなあ。大仏殿柱折りってことにしとこかー!」


 セイジの両腕が、オークの腰を腕力で絞る。相手の腰を直接締め上げるベアハッグである。この技は、セイジのとっておきであり、これまで試合で出すのを控えていた技だ。

 いまだ、吐き気を催している状況。叫びたくなんてない。黙々と技を仕掛けたい。それでも、セイジは観客に話しかけるような調子で叫んだ。この観客に話しかけるようなスタイルが、セイジのスタイルなのだ。体が辛いぐらいでスタイルを汚してはいけないのが、プロレスラーなのだ。

 

「いや大仏殿って、奈良か京都でしょ」


 セイジの期待した通りのツッコミを、誰かが言ってくれた。

 誰だ? 客か? レフェリーか? まあ、スッキリしてパワーアップした以上、誰でもいいわ。

 ゴキゴキゴキと、太い骨が歪む感触が腕を伝ってくる。大仏殿柱折りは、正確にはベアハッグと言うより、骨を締め上げつつ上から圧していくサバ折りに近い。かつて、セイジが中学生力士だった時に、エバることとイジメることしか脳がない高校生力士を再起不能に追い込んだサバ折りに近い。かち上げのエルボーに、突っ張りの掌底アッパー。セイジの技のベースは、相撲であった。

 だが、サバ折りには、相撲の技ならではの弱点があった。

 ゴキゴキと、骨が歪む感触が二重奏となる。今度の発生源は、セイジの腰である。オークもまた、セイジに大仏殿柱折りを仕掛けていた。相撲の技は競り合いの技、さば折りの外し方は、自分もさば折りを仕掛け、相手を潰すことである。


「なるほどね、そうくるか。なめるなあぁぁぁぁ!」


「ウォォォォォォォ!」


 セイジが怒り、オークも咆哮する。お互いの全力が、それぞれの両腕に込められる。数秒の全力の攻防。観客もレフェリーも、プロレスであることを忘れ、二人の相撲に見入る。

 そんな力で決まるかと思われていた攻防は、無粋な一撃で終わった。


「あ、ありかよ……」


「逃げたんじゃないか?」


「いや、しびれをきらせたんだろ。そもそも、アイツ、相手の技に付き合うタイプか?」


 ざわざわとしている観客。オークの頭突きが、セイジの頭に突き刺さっていた。鈍器で叩いたような音と感触が響く、しっかりとした頭突きである。力比べの最中、同じ身長同士なら難しいが、長身のオークであれば、頭を振り下ろすことでそれができる。

 オークは、相手の技を受けないイメージを利用して、頭突きによる逃げに観客が語るだけの価値をつけてきた。


「くわーっ!」


 頭突きをくらったセイジは、思わず手を放してしまう。いきなりとはいえ、もともと力士であったセイジを驚かすほどの頭突きをオークが持っているとは思わなかった。オークはそのままセイジの腰を折りに行かず、するりとセイジの背後に回る。

 セイジの背後についたオークは、自身の腰を沈めつつ、背後からセイジの胴を両腕で固めた。

 これは、マズい。セイジはオークが何をする気なのか、瞬時に察する。今更、この技をオークが出来ることに驚きはない。この男の技のラインナップは、イメージより遥かに豊富である。むしろ、出来ないほうがおかしい。

 それでも、自分は受け身が取れるのか? オークの信頼はわかる。だからこそ、並の人間では受け身など取れない、必殺技を出そうとしている。ならば、全身全霊で受け止めるしか無い。そうでなければ、たとえ高校生レスラーとは言え、プロレスラーは名乗れない。

 セイジの身体がふわりと浮く。そんな浮遊感からの、強烈な引き上げと落下。最後に待っていたのは、意識が飛ぶような衝撃である。

 一流のレスラーのみが作ることを許された人間橋、ジャーマンスープレックスホールド。セイジのビヤ樽体型や身長差といった障害もものともせず、オークは正統派プロレスの大技を決めてみせた。その橋の美しさに、一切の揺らぎはない。

 思わず見惚れてしまったレフェリーが、慌ててカウントを始める。


「1……2…………3!」


 セイジは動かず、3カウントが入る。静かな会場が、声援で爆発する。

 全国レベルのレスラーが、地方興行で3カウントを取られる。全国に出てるレスラーは、実力、格共にハイレベル。いきなりの丸め込みで3カウントを取った例はあっても、こうして真正面から力ずくで3カウントを取ってみせたのは、おそらくハイスクール・プロレス史上初の出来事である。そんな奇跡を目にした観客は、立場も何もかも忘れ、目の前の光景に歓声を捧げた。


                  ◇


 客も去り、リングの撤収も終わった時間。マスク・ド・オークは控室でうつぶせになっていた。マスクは脱いでいるが、コスチュームはそのままであり、腰には複数枚の湿布が貼られている。

 その脇にある椅子には、長耳エルフが腰掛けている。


「どう、動けそう?」


「ああ。そうそろ行けるかな。ただ出来れば、もう少し、あと10分待ってほしい」


「本音は?」


「一晩ぐらい、このままの体勢でいたい」


「会場使用料払ってくれるならいいけどねー。たぶん、高級ホテルより高いよ?」


 そんなやり取りに割り込むように、突如控室のドアが開いた。


「まいどー!」


 既に学ランの学生服に着替えたセイジが、勢いよく部屋に入ってくる。その瞬間、エルフは置いてあったタオルをオークの頭にかぶせた。

 エルフはセイジをとがめる。


「マスクマンの控室にノック無しで入ってくるのは、マナー違反だよねー?」


「かまへんかまへん! ボクとキミ、リングでやりあった仲やん」


「わたしとはやってないけどねー」


「ミックスドマッチはハイスクール・プロレスリングではやっとらんからね。残念でした」


 セイジは気に病む様子もなく、空いてた椅子に腰掛ける。当然やってきた目的は、オークであった。


「さっき、審判団と話してきたわ。オークみたいなヤツ、さっさとリングから追い出せって」


 わずかに、うつぶせになっているオークの頭が揺れる。エルフは無言であった。


「そんで、さっさと全国、最低でも県のリングに上げろって。ボクと互角以上にやりあって、腰をくっそ痛めてるのにジャーマンして、それで反則負けする馬鹿野郎が地方にいたら迷惑や。だから、さっさと上にやっちまえってな」


 マスク・ド・オーク対くいだおれのセイジの試合は、オークの反則負けで終わった。ジャーマンスープレックスホールドはプロレスの必殺技である。しかし、ルールが厳密なハイスクール・プロレスリングでは、使用制限がかけられた技でもあった。具体的に言うなら、まだ未熟なレスラーも多い地方興行は許されない技である。


「ま。あんな見事にジャーマンされて、客席がドッカン盛り上がった時点で、勝負はボクの負けやね。一応聞いときたいんやが、アレこっちを殺そうと思って、つい勢いでやったってわけじゃないよな?」


「この男なら、受けてくれる。この男になら大丈夫。そして、この男を倒すにはこの技しかない。そう思った瞬間、そっちのサバ折りで腰が痛めつけられているのも忘れて、つい……」


「おかげで随分と情けないことになってるけどねー」


「エルフさん、そうそう攻めるな。って、ボク普通にエルフと会話してるな? エルフは長寿で高齢だから、全員美人の認知症ってホンマ?」


「ノーコメント。でもその設定はおもしろいねー。夢があるとこに、夢がない」


「うーん。いいセンスやね。キミにもお礼を言っとかないと。大仏殿って奈良か京都でしょ。試合が盛り上がってる時、ちゃんとツッコんでくれたから、こっちも盛り上がったわ」


 客は遠すぎる、レフェリーはそんなことを言う立場ではない、自分は今日セコンドを連れてこなかった。なら、近い距離で自由に発言できるのは、オークのセコンドに付いていた長耳エルフだけだ。実際、今話して聞いた声色は、あの時の声、そのものだった。


「ノーコメントでいいかなあ?」


「かまへんかまへん。選手を勝たせるよりも、試合を盛り上げることを考えるセコンドのほうが優秀や。そんな酷なセコンドがついてる選手はかわいそうやけどな!」


 ひとしきり笑った後、セイジは真面目な顔をして二人に聞く。


「で。君等、結局なんなん?」


 短いセリフではあるが、このセリフには多くの意味が込められていた。

 まずマスク・ド・オーク。もともと、デカくてタフなのは聞いていたが、それにしても技術のベースが多彩すぎる。レスリングに打撃にMMA、サバ折りの攻防を見るにもしかしたら相撲の技術もあるかもしれない。

 長耳エルフ。オークのセコンドにつき、一見何の仕事もしてないように見えるが、オークの応援だけでなく、試合を俯瞰したうえで盛り上がるための一手を打ってくる。ただのコスプレイヤーでは持てない、プロレス頭と視野の広さだ。

 更にこの二人はおそらく、今後における確固たるビジョンを持っている。自分の格を維持するため、おいそれと技は受けない。プロレスとして正しくはないが、プロレスラーとしては恐ろしくプライドが高い。今の地方興行での正しさよりも、先を見ている証である。なんなら、山田と激戦を繰り広げ、橋川を潰し、やって来たセイジと死闘を繰り広げたのも、すべて計画の内なのかもしれない。なんとも、クレバーで底知れない。

 そんなセイジの問いに、オークとエルフは同時に答えた。


「「レスラーです(だねー)」」


 これ以上ない、これ以上聞けない答えである。なにしろ、セイジもレスラーなのだから。それはつまりどういうことだなんて、哲学的な話をするほどつまらないことはない。

 そんなセイジに、オークが言う。


「お笑い……道化師……うん、いいキャラだな。今度、また俺と戦ってもらえますか?」


「断る。ボクの世界をそっちのファンタジーに組み込まれたらたまらんわ」


 シュンとするオークを見て、セイジもエルフも笑う。

 世界観を押し付けあった結果、相容れないがわかりあうことはできた。

 プロレスとは不思議で不可思議で、誰も読めないスポーツなのだと、三人は笑った。



~完~

 





 


 


 

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マスク・ド・オークvs◯◯◯◯ 藤井 三打 @Fujii-sanda

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