第19話 呵呵大笑1

 今思えばどこで上手く行かなくなったんだろう。大学受験に失敗し、浪人となってからすべてがうまくいかなくなったような気がする。




「おい、黒田。さっさと掃除しろ」

「は、はい。ごめんね。へへ」

「何笑ってんだよ、気持ちわりぃな。ってか風呂入ってんのかよ、臭うんだけど」

「臭いはひでぇだろ、あはははは!」

「ははは! いやいや、マジだって!」



 心の中で舌打ちをする。俺より年下の癖に偉そうに。


 

(好きに笑え)



 床をブラシで拭きながらどうして自分はこうも運がないのかと呪ってしまう。そうだ、ずっと不運続きだった。1年浪人をしてから大学へ行くと、どうしても同学年は全員自分より年下という事もあって、波長が合わず、だからと言って同年代の先輩ともうまが合わない。

 気づけば大学では1人。友達も出来ず、ただ授業を受け、単位を取得し、帰るだけの日々。それでも俺は大手企業に就職さえすればすべてチャラになると思っていた。


 俺を見下す連中も、俺を煙たがる連中も、全部全部全部! そう思っていた……。







【今後のご活躍をお祈り申し上げます】




 この1文が書かれた紙を何度貰っただろう。それでも色々な企業を受けた。第一希望が落ち、第二、第三まですべて落ち、もう形振り構わず色んな企業に履歴書を送った。何度書いたか分からない。慎重に、出来るだけ綺麗な字で、名前を書き、住所を書き、希望もしていない企業へあたかも御社が第一希望であると装った志望動機を何度も書いた。


 必要以上に企業のホームページを見て、たいして興味のないその会社の社風を覚え、何度も面接を繰りかえした。





 そうして大学4年の冬。俺は結局1つも内定をもらう事ができなかった。




 バカ騒ぎばかりしていた連中がいくつも内定を取っている中、俺は必死に頑張った。女の尻を追いかけている連中が遊んでいる時も、俺は必死に面接の練習を繰り返した。


 旅行だの合コンだの貴重な学生の時間を浪費している練習を笑い、俺は必死に勉強に励んだ。




 この先、就職して人生が豊かになると、そう信じて。





 なのに、俺の手には何も残っていない。




 学生時代の友人は一生の宝だと誰かが言っていた。




 なら、そんな学生の頃に1人も友人ができなかった俺には宝がないという事なんだろうか。





「まじ黒田ってキモイよな。いつもヘラヘラ笑ってて」

「わかる、わかる。あれでもう30になるらしいぜ。ヤバすぎだろ」

「なんていうか、いい反面教師って奴だよ、ああは成りたくないって必死になれるし」

「それはマジでそう。仕事覚えられないくせに偉そうにしやがって」





 もはや隠す気もない陰口を唇を噛みながら耐える。あのクソガキ共。年下の癖に偉そうにしがやる。このバイトだって俺の方が先に入ったんだ。あれだけ掃除やらレジやら教えてやっていたのに、俺を下に見やがる。もっと俺を尊敬すべきだろ! 年上なんだぞ! 人生の先輩だ、教えを乞う立場なのをわかってるのか!



 そう何度も心に想い、口に出す勇気はない。腹ばかり出た自分の容姿を鏡で見る度に劣等感を強く感じる。それでも湧き上がるストレスを解消すべく、洗濯で干していたタオルに拳をぶつける。




「あの。黒田先輩大丈夫です?」

「え、あ、ああ。うん。大丈夫だよ。ありがとうね有紗ちゃん。へ、へへ」




 最近入った野木有紗ちゃんは本当にいい子だ。髪も染めていないし、ピアスや付け爪だってしていない。俺の好きな穢れをしらない清純なタイプの女の子。週に2回しか会えないのが本当に悔やまれるが、それでも会えない時間が俺の愛をより育んでいる。

 有紗ちゃんは本当にいい子だ。髪を染め、濃い化粧をして男を誘うような屑女とは真逆のタイプ。まさに俺の理想。それだけに心配だ。

 


 あの屑共が有紗ちゃんに手を出さないか。俺が守らなければならないと最近は強く感じるようになる。




 アパートに戻り郵便を見ると大きな封筒が挟まっていた。封筒には30歳検診の受診についてと書かれている。そういえばそんな健康診断みたいなものを行かなきゃいけないのか。そういやもうすぐ誕生日だったっけ。でも封筒を開け、病院に連絡し、予約の電話を入れるという一連の行為が面倒で仕方ない。



「いいや。無視しよ。どうせ健康だって」



 そう呟いて封筒をその辺に投げ捨てる。そしてPCを付け、スマホでこそこそ集めた有紗ちゃんの写真を見ながら自家発電に勤しんだ。





 そして数日が経過したある日。



 

 バイト先へ顔を出し、いつも通り更衣室に行き、ロッカーを開けて着替え始めた。そして休憩室へ行って今日のシフトを確認しようと思った時だ。ドア越しに声が聞こえた。





 間違いない有紗ちゃんの声だ。





 そう思うと俺は息を殺しドアに耳を近づけた。





『誕生日プレゼントの方はどう有紗?』

『閉店になってから渡そうかなって思ってます』

『いいんじゃない。ケーキのほうはどうかな』

『はい。店長にお願いして、冷蔵庫の一番奥に隠してます』

『そっか。あいつ喜ぶといいね』

『はい』




 心臓が高鳴った。誕生日、そう誕生日って聞こえた。




 俺は慌ててスマホを確認する。そうだ、今日は俺の誕生日。わざわざプレゼントにケーキまで?




 そう考えると自然と笑みがこぼれる。ああ、有紗ちゃん。君は本当に俺にとっての天使だ。俺の事が嫌いな連中まで知っているのは少し癪だがまぁいい。俺がすべきことはもう分かっている。閉店まで何も知らないふりをして、プレゼントを渡してきた有紗ちゃんを抱きしめる事だ。




 休憩室に誰も居なくなった事を確認してから俺は更衣室から出た。ああ、早く時間が過ぎてほしい。いつも通り掃除をして、皿洗いをして、レジをこなす。




「ちッ黒田。さっさとあそこのテーブル片付けろ。お客さんが待ってるだろ」

「あ、はい。すぐに片づけるね中谷君。へへ」

「頼むから、お客さんの前でその変な愛想笑いはしないでくれよな」



 片付けている皿を持つ手に力が入る。俺だって好きで愛想笑いしてるんじゃない。少しでも愛想をよくしようと努力してるだけだ。普段なら十以上の呪詛を心の中で吐き続けるのだが今日は気分がいい。だから俺は出来るだけ迷惑が掛からないように、集中して仕事をこなした。




 そして夜。店が閉店となり閉店準備をしている。テーブルを片付け、食器を食洗器に入れ、外に出ていたテーブルや看板などを片付け始めた。




「くそ、外の片づけは俺1人かよ」



 そう思わず愚痴る。ホール担当の有紗ちゃんと今日は殆ど会えなかった。寂しい思いをさせてしまったかもしれない。でもあと少し。もう閉店準備も終わる。後はゴミを裏へ持っていき捨てるだけ。




 重いゴミ袋を抱え、小走りで移動しながらゴミを指定された場所へ捨てる。汗をかいてしまうが、それを服の袖で拭い、店に戻ろうと走った。いつもならもう他の連中は更衣室で着替えている頃だ。有紗ちゃんが俺に誕生日プレゼントを渡すなら休憩室かな? いや更衣室が近くにあるし、他の連中もいる中だと渡し難いか、なら休憩室前の階段とかかな。



 そんなこれから起こる幸福を想像し、どう有紗ちゃんと今日という幸福な日を過ごそうか。





 そう考え、店の扉を開けた。









「中谷君22歳の誕生日おめでとう!!」

「うぉ。なにサプライズ? マジかよメッチャうれしい!」




 パンッパンッ! とクラッカーが成り紙吹雪が舞う。





「隠すの苦労したんだから。あんたホールだから大丈夫だと思ったけど、はいこれ!」

「おお! ケーキじゃん! 美味そう!!」

「それだけじゃないぜ。ほら野木ちゃん」



 


 

 同じホールスタッフである木村という女が有紗ちゃんの背中を押した。




「あ、あの、中谷先輩。こ、これ。誕生日プレゼントです」

「いいの? だって有紗って今手持ち厳しいって言ってたじゃん」

「いいから受け取りなさいよ。あんたのために頑張って選んだんだから」


 

 そしてどこか照れくさそうな中谷が有紗ちゃんからプレゼントを受け取っていた。


「すげぇうれしい」

「その。先輩、最近財布がボロボロになっちゃったって言ってたから」

「ありがと。……大事に使うわ」



 そういうと中谷は有紗ちゃんを抱きしめ、店の中に黄色い声が上がった。



 

「あれ。っていうか中谷君と野木ちゃんってデキてたの?」

「ほら。いつも黒田に絡まれてて、野木ちゃんが中谷君に相談したのが切っ掛けらしいよ」

「へぇ。いつから?」

「結構最近よ。だから今が一番楽しい時期って訳ね。ほらとりあえずケーキ食べましょ!」

 








 俺は着替えもせず、そのままその場を後にした。

 

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