視鬼 ~未来と過去をかいま見る者の手蔓~

ぼんびゅくすもりー

第1話 リバーシング ~逆 進~


 はじめは、なにが起きているのかわからなかった。

 

 しかし、自分をとりまくこの情景が知らしめる解答は明らかだ。


 デジタルの時間を示す数字は着実に減っていき、時計のムーブメントに秒針びょうしん分針ふんしん時針じしんがあれば逆を刻み、正常と真逆の動作を見せる。


 鼓膜をかすめるすべての音はやたら遠く感じられ、通りで見かけた散歩中の犬も飼い主と共に後ろ向きに歩いた。

 背後を確認することもなく器用に障害物を避けながら後方へ退しりぞいていったのだ。


 自分以外のすべてが過去へと流れて見える——時の流れの逆転現象。


 なにがどうしてそうなったのか、こうなっているのかがわからない。


 俺自身がおかしくなったのか? それとも俺をとりまく世界が異常をきたしたのか?


 そこに過去の自分《久木ひさき 万知吏まちり》の体があるのに、俺は自分にさわれない。さしべた俺の手は、その肉体を通りぬける。

 の足は、ふつうに大地や床を踏んでいるが、どこかふわふわしていて壁もテーブルも障害にはならない。

 椅子にも座れなければ、その背もたれをつかもうとしても手がすりぬけてしまうのだ。

 

 これはやはり俺が体から離脱している? それとも次元がずれたのか?


 それで、なぜそこに


 いや、まて。――冷静になろう。


 きっと……

 そこにいるだと判断できるのは、が、すでにそれを経験しているだからだ。


 ややこしいが。


 この現実は、そっちまえの俺がいる世界の流れが正常で。未来に向かうもので…――こっちいまの俺が過去へ向かっているから。

 俺の時だけが後ろ向きに流れているからだろう。


 夢を見ているのかもしれないが、とりまくものすべてが俺を無視して逆巻きの動作を見せる。

 だから俺は、彷徨う中に見いだしたもうひとりの自分の動きを追いかけた。

 けれど過去むこうの俺には、こっちの姿が見えていないようだった。


 こうしている間も俺をとりまく風景は、着実に過去へと流れていく。


 救いがなさすぎる――こほど手ひどい悪夢もない。


 夢と思いたかったが、こうしているいまも目につくものがすべて。影はもとより、光までもが後ろへ過去へと逆巻さかまく。


 まともに触れることも叶わないのに、ふつうに床や大地を歩けてはいる……けれども。目に映るものすべてが自分だけを置きざりにしてゆくのだ。

 こんなのは、悪い夢としか考えられない。そうであって欲しいと願う。


 ひしひしと思い知らされる現状に絶望をおぼえずにはいられなくて、気が狂いそうだった。


(さっさと目を覚ませよ俺。こんなのマジ発狂するぞ)


 そうしているなかに、ふと思いあたる。


 そうだ。父さんなら……


 俺の父親は代々霊能者をかたって……いや。語ってきた久木家うちの当主だ。


 大昔や近い過去、たいそう霊験あらたかなご先祖さまがいたとか。

 久木家うちがいま、けっこうな土地を所有できているのは、そういった偉人への返礼・報償として、進呈しんていされたり寄進工面きしんくめんされた結果なのだからなのだ


 実力があるのかもわからない俺の父さんの肩書は、土地貸し地主業のかたわら裏でそういった仕事も兼任するリアル霊能者。


 父さんなら、いまの俺が見えるかも知れない。

 となれば息子としては、その父が騙りではなく実力を秘めた本物であることを願う。


 ぐるりときびすを返した俺は、そこに見た階下への階段をひと息のうちに降りきった。

 そんな俺の目に、ひとりの女児の姿が映りこむ。


 幼い頃から頻繁ひんぱんに見かける、八、九歳くらいの女の幽霊。


 かわいらしい目鼻立ちをしたその子は、いつも歴史絵巻から出てきたような白っぽい小袖こそで萱草かんぞう色の小袿こうちぎという時代錯誤な恰好をしていて、決定的なことに微妙に体が透けているのだ。

 こころなしか見るたび薄くなっていっている気もするが……。それは、いまが日中だからなのかもしれない。

 ちなみに足は、ちゃんとある。


(そういえば、この幽霊。ちょうどこの時間帯、廊下そのへんにいるのを見かけたな)


 いまその女の子がいるのは校舎二階の廊下ではなく一階で、中庭へ出られる通用口の近くだったが……。


 その子と視線が合った気がした。

 試しに話しかけてみようと考えた俺は、その子の方へ一歩踏み出した。

 けれども。


 俺がなにげに視線をおとし、寸刻、目を離したその一瞬のうち~隙~に、少女はいなくなっていた。

 見失ったというより、消えてしまったのだろう。


(なんなんだよ……)

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