第3話 生意気なお嬢様

 瀬野せの 鈴音すずね。彼女の名字を聞けば、大体の日本人。いや、大体の地球人がセノ・コーポレーションの名前を想像するだろう。

 セノ・コーポレーションとは、彼女の一族が経営する大企業。具体的に何をやっているか詳しくは知らないが、日本の水道水をはじめ、世界中の水を美味しく安全に飲める自然由来の浄化装置の開発及び販売をしていると聞いている。もちろんそれ以外にも色々な事業を展開しているだろうが、どちらにせよ変わらない事実がある。それは、目の前で不満そうな顔をしている彼女。鈴音がお嬢様だということだ。


「大体、今週は清掃係じゃないって言ってたのにいつもより十分も遅いってどういうことよ」


「いや、ちょっと会話に花が咲いてしまったというか、なんというか」


 クラスメートと談笑して遅れました、と直接的な表現を避けた言い方をすると、鈴音は切れ長な瞳を大きくまん丸に開いて驚く。


「え、クラスに友達居たんだ」


「おいガチトーンで言うのやめろよ。傷つくだろ」


 その瞳に驚きと関心をはらませながら、鈴音が呟く。いくらなんでもクラスでボッチっていうわけじゃない。と思いたいが、放課後はいつも鈴音と行動を共にしているためあまり説得力はなさそうなのでそれ以上は言わないで黙っておく。

 すると、鈴音はオレの肩をポンポンと叩きながら、なんとも言えない生暖かな視線を向けてくる。


「マトくんに友達が出来て、私は嬉しいのよ。大丈夫? パシリにされてない?」


「いやされてねえよ。鈴音の中のオレは一体どんなやつなんだよ」


「八方美人の良い捨て駒」


 あまりの物言いに思わず絶句してしまう。だが、鈴音はぶふっと息を漏らすと、冗談冗談と訂正する。彼女に捨て駒と言われると、何故かそれをすんなりと受け入れかけてしまうが、恐らくそれは鈴音が生まれも育ちもお嬢様だからだろう。決してオレにそういう趣味はない。


「まあ、マトくん普通にしてたら悪くないもんね。友達の一人くらいは居るか」


「少ねえな。一人くらいってなんだよ、もうちょっと多く見積もってくれよ」


 正直に言おう。鈴音と話すのは楽しい。いつも話を聞いて肯定することが多いからか、鈴音と話してるとツッコミが出来て楽しい。ちゃんと会話のキャッチボールが出来てる感じがする。鈴音の歯に衣着せぬ物言いも、彼女の場合はクラスにいる自称天然毒舌系キャラと違って全く持って他意の無い本心だから聞いてて嫌な気持ちにならない。

 ここだけの話、鈴音は人によっては厳しい発言が多いからか友達が少ない。オレはどちらかと言うと広く浅いタイプだが、彼女の場合は丸めた体育館マットの真ん中にできる穴くらい狭いが、谷より深い交友関係。その筒にすっぽりハマっている一人がオレなわけだが。


「十分遅れは受け入れがたいけど、マトくんに友達がいるって知れたから特別に不問で。特に寄りたいところがないなら帰るわよ」


「はい。ありがとうございます鈴音さま」


「馬鹿にしてるでしょ。あんた今日はボンネットに座っときなさい」


「それだけはご勘弁を!」


 鈴音と会話しながら歩くと、黒塗りのいかにも高級そうな車の前にくる。その横には、車と同じ黒色の執事服に身を包んだ長いヒゲを蓄えた、深く刻まれたシワを歪ませながら笑顔を見せる男性がお辞儀をしていた。


「お待ちしておりましたお嬢様。そして、朝ぶりですね。マト様」


「どうも」


「ありがと爺や」


 挨拶を返すと、穏やかな声とその見た目からは想像も出来ないほど軽やかに歩き、後部座席の扉を開ける男性。鈴音は彼に礼を言い、颯爽と右後ろの座席に座ると、シートベルトをグイッと勢いよく引っ張り出してバックルに止める。それを見届けた後、彼女の左隣に座ろうとすると、肩にかけていたカバンをわざとらしく置いた。


「マトくんの席は最前列でしょ?」


 座る場所を奪われたオレに、してやったりという表情で鈴音が語りかけてくる。コイツ黙ってれば気品のあるお嬢様なのに喋るとどこまでもクソガキだな、と思いつつも爺やこと中務なかつかささんのまるで孫兄妹を見るかのような目線を横から感じ、気持ちを落ち着かせる。


「最前列のスリルよりも鈴音の横で安心感を感じたいんだけど」


 そう答えると、鈴音は仕方ないなといった表情でカバンを自らに寄せ、座るスペースを作り出す。中務さんが視界の隅でおやおやとか言ってニヤニヤしていたが、気にせず車に乗り込む。そして鈴音とは逆にゆっくりシートベルトをする。高い車だからいつも緊張する。


「扉を閉めさせていただきますよ」


「あ、はい。帰りもよろしくお願いします


 オレと鈴音が準備完了すると、中務さんは一声かけてからゆっくりと扉を閉める。そのまま車の前を背筋を伸ばしながら歩き、運転席に乗り込み慣れた手付きでシートベルトをしてエンジンをかける。肉食動物の唸り声のような低い起動音を出したかと思えば、その後は嘘のように静かになる。普通のガソリン車らしいが、こんなに音が静かだと動く気がしない。


「では、出発いたします」


 中務さんの声とともに、車は動き出す。流石高級車と言うべきか、始動がスムーズで背中を背もたれに打ち付けることはない。

 目的地は、我が家とその隣の瀬野家。時間はおよそ十五分、正直信号の関係からチャリのが早い。

 ちなみに瀬野家は庭だけで我が家の倍はある。ちょうど二年前の今頃からとなりにバカでかい家が建設され始めたときはどんな成金野郎が越してくるんだと警戒していたが、蓋を開ければまさか大企業のお嬢様だったとは。


「......」


 右隣に視線をやれば、鈴音が頬杖を付いて外を眺めている。それに習うように、オレも左手で頬杖を付いて外に目をやりながら、鈴音と出会った時のことを思い出す。

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芸能人かお嬢様かアスリートか ヤーパン @Tacchan25

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