甲斐甲斐しさ

 翌日のことだ。

 リビングで朝食を取っていると、ドアが開いた。


「……」


 ドアの隙間から顔半分だけを覗かせて、幽霊のようにこっちを窺う土井がいた。相変わらず、顔色が青白くて、本気で心配になってくる。


「ど、土井。本当に大丈夫か?」


 しょんぼりした様子で、顔を引っ込めると、ドアが閉められた。

 味噌汁の入った茶碗を置いて、オレはリビングのドアを開く。

 土井は壁に寄りかかる体勢で、膝を抱えていた。


「ちょっとごめんね」


 一応、断ってからオレは額に手を当てる。

 もわっとした熱が手の平に伝わってきた。


「……お前。マジで熱あるじゃん」


 昨日、こいつが言っていたことは冗談半分に受け止めていた。

 だが、熱を確認すると、本当に風邪を引いているみたいだ。

 どうしようか迷ったオレは、土井の手を引いて、リビングの中に連れてくる。


 土井にはソファへ寝かせて、オレは上に向かい、布団を持ってくる。

 三枚くらい掛け布団を持ってくると、土井の上に被せた。

 次に、洗面所からタオルを持ってきて、冷凍庫から氷枕を引っ張り出す。


 タオルで包んで氷枕を土井の頭に敷くと、今度は冷蔵庫から冷却シートを取り出した。

 前髪を持ち上げて、小さなおでこにシートを張ると、今度は飲み物だ。

 冷蔵庫からスポーツ飲料を取り出し、コップに注ぐ。

 引き出しからストローを取り出すと、コップに差して土井の口に飲み口を押し当てた。


「ん」


 喉が渇いていたのか。

 飲み物が見る見るうちになくなっていった。


「マジで具合悪いなら言えよ」

「……捨てられたからさ」

「さりげなく責めてくるんだよなぁ」


 朝を迎えてからも青白い顔のままだから、何か変だなと思ったんだ。

 いや、頬や首の辺りをよく見れば、赤らんではいる。

 けれど、表情がグッタリというか、げっそりしていて、肌が白いせいか、オレには幽霊のように見えていた。


「へへ。……優し……」


 こんな状態で、土井はへらっと笑った。


「腹空いてるか?」

「んーん」

「おかゆ作るわ。残していいから、少し食べて。薬飲めねえから」

「ん」


 自分の朝食を中断し、オレは台所に立った。

 自炊するような奴でよかったよ。

 おかげで、風邪には何が良いか分かる。


 白米を少量鍋に入れて、水をぶっこむ。

 火に掛けている間、オレはネギを取り出して、ちょっとだけ入れるようにした。ネギは細切れにして、ちゃんと喉を通るようにしておく。他には、卵も入れておく。


「げほっ。げぇぇぇッッっほ!」

「だ、大丈夫か?」

「……死んじゃうよ。もう。無理かも」


 明日、花火大会に行く約束をしたが、それどころではない。

 言わずとも、中止だ。

 今は、土井の看病をするが、薬を飲ませた後で、お姉さんの方に迎えに来てもらうしかない。


「あたしが死んだら……。風見くんの後ろにいるね……」

「やめろ。お祓いコース待ったなしだろ、それ!」


 蓋を開けて、おかゆの具合を確かめる。

 もうちょっと火に掛けておいた方がいいか。と、確認すると、オレはすぐに飲ませるため、風邪薬を戸棚から出した。


 用量を確認して、三粒であることを覚える。


「けっほ。ごほ」

「疲れが祟ったか?」

「違うと思う」

「後で、お姉さん呼べよ? マジで心配だから」

「……風見くん帰ってくるまで、お風呂に入ってたから」

「……お前さ」


 人の家の風呂場で何やってんだ。

 オレはできたおかゆを皿に少しだけ盛り、スプーンを差す。

 薬と一緒に皿を持っていくと、おかゆをテーブルに置いた。


「おい。起きれるか?」

「……無理」


 躊躇いはあったが、今は土井の自業自得とはいえ、緊急時だ。

 首の下に腕を差し込んで、腕力で上体を持ち上げる。

 ひじ掛けを背もたれ代わりにして、今度は皿を手に持ち、スプーンでおかゆを掬う。


「ふーっ。……ふーっ」

「あ、……息掛かってる」

「自分でやるか?」

「いい。続けて」

「ふーっ」

「肺に入った空気が……、ツバみたいに掛かってるんだ」

「なあ。それ、やめね? 汚いって。飛ばないように気を付けてるから」


 熱を冷ましたおかゆを土井の口に運ぶ。

 土井は小さく唇を動かして、小動物みたいに食べ始めた。


「も、ぐ。んぐ」

「結構、いけるだろ?」

「……うん。マズい」

「元気になったら覚えてろよ、お前」


 もう一度、おかゆを掬い、同じように吐息で冷ましてから口に運ぶ。

 三回は続けたか。

 食力がないみたいで、これぐらいが限界だった。


 次にオレは錠剤を三つ土井の手に落とし、「飲んで」と口に含ませる。

 それから、ストローの飲み口を口に当て、液体で流し込ませた。


 ずり落ちるようにして、土井は布団の中に戻っていく。


「……ありがと」

「落ち着いてからでいいから。あとで、お姉さんに言えよ。スマホは上か?」

「……うん」


 今の内にスマホを取りに行こうか。と、立ち上がった矢先、手首を熱い手で握られた。


「スマホ取りに行くだけだって」

「眠るまで、いて」

「ったく」


 手を布団の中に入れてやり、オレは弱った土井の顔を眺める。

 虚ろな目で見つめ返してきて、土井は言うのだ。


「……考えたんだけど」

「何を?」

「まさか、風邪を引くこと。なんて言わないよな」


 土井は何も言わなかった。

 見ていると、目を閉じて、布団の中に顔半分を潜り込ませる。


「……内緒」


 オレは土井に背中を向け、寝息が聞こえるまでずっと待っていた。

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