フェス前日

 悪夢の二日目を終えて、数日が経った。


 アポカリプス・フェスというコンサートが始まる前日、オレのスマホに土井から連絡があった。


 電話に出た後、すぐに近藤さんと変わる。

 二人は何やら長々と話していた。

 戻ってきた近藤さんは、不満げな様子で隣に座った。


 そして、スマホを渡され、土井に言われた一言が、


『ほんっと、バカ!』


 だった。


「ごめん……」

『あのね』


 声のトーンを落としてはいるが、かなり怒りを抑えた様子で囁く。


『今、別の理由で風見くんに会いたいです』

「すいません」

『おかげで、緊張する暇ありませんでした。バカ』

「はい。……申し訳ありません」


 オレが余計な事をしまくったせいで、土井の方にメチャクチャ負担を掛けてしまったとのこと。そのおかげ、というべきなのか、緊張は緩和されていたらしい。


 オレは未だに痛む肩の傷と、その後に付けられた他の傷を擦り、真剣に謝った。


『他に言うことは?』

「ライブ、……頑張ってください。応援してます」

『……』

「ごめんね。ほんと」

『……はぁ~~~~……。もう、いいよ。明日は本番だから。もう寝る。朝早いし』

「おやすみなさい」

『べー』


 通話が切れた。


 *


 土井との電話が終わった後、風呂に入った。

 浴槽に浸かり、湯面に浮かぶ自分の顔を睨んでしまう。


「オレは……何をしていたんだ……」


 肩には歯型。

 二の腕やふくらはぎにも歯型。


 どういう愛情表現なのかは分からないけど。

 犬みたいに近藤さんは噛んできた。

 ガムのように何度も噛んだ後は、軽くキスをしてくれた。


 オレには、猟奇的な愛情の一切が分からない。


 ただ、毎回湯舟に浸かる度に染みるので、止めてほしいとは思う。

 歯型の痕がチクチク痛むのを感じていると、ドアから音がした。


 トン、トン。


「レンくん」

「……あ、まだ入ってます」


 パチン。

 いきなり、電気が切れた。


「あ、あれ? なんで?」


 洗面所の方が明るいということは、向こうで浴室の明かりを消したのだ。前にもこういう事があったような気がする。


 一応、警戒しながらドアの向こうに見えるシルエットへ話しかけた。


「近藤さん?」

「レンくんってさ。どうして、あの子に執着するの?」

「執着っていうか、……されてる方……なんだけど」

「嘘はやめて」


 いや、本当なのだけど。

 聞く耳持たない感じだろうか。


「まあ、アイドル頑張ってるみたいだし。応援したいじゃないですか」


 どれだけ大変なのか。

 オレには全く分からないけど。

 普通の人間が動き回るアイドルとは、どこまでが違うのかさえ理解していない。


「アイドルかぁ。わたしには、無理だなぁ」

「嫌いなんですか?」

「アイドル自体は、興味があまりないんだよねぇ」


 手に何か持ってる気がするけど、近藤さんが膝を抱えたことで、シルエットの中に隠れてしまった。


「わたし、……特技とかないし」

「そんなことないですよ。癒し系って、誰にでもできる事じゃないですよ」

「んー、でも、半端だからねぇ。気持ちの半分は、趣味として楽しんでるんだけどね。あまり本気になっちゃうと、他の人みたいにすぐ病んじゃうし。Vなんて長く続けれないよ」


 やりたいことがあったら、本気で臨むのが普通だと思っていた。

 でも、近藤さんの話を聞いてると、決して本気になることだけが正解じゃないみたいだった。


「レンくんだって、……同じでしょ」

「そっすね」

「配信なんてもので、輝ける人なんて、ほんの一握りだよ。その一握りのライブなんて近くで見られたらさぁ。……自分がどこに立ってるか分からないじゃない」


 近藤さんは、落ち込んでいる様子だ。

 そういえば、嫉妬深い人だったか。

 告白の件で、土井に嫉妬しているのだと思っていた。

 そこで、オレは考えた。


 ひょっとして、他にも嫉妬してるんじゃないか。


「明日のライブ。わたしも観るよ」

「一緒に、観ます?」

「うん」


 近藤さんは立ち上がり、手に持った何かを弄りながら言った。


「才能って憎いよね。でも、この気持ちが嫌なのよねぇ」


 ガリガリと硬い物でドアを擦り、近藤さんは洗面所から立ち去った。

 たぶん、持っていたのは、包丁だと思われる。


「……なんで、みんな包丁持ってくるんだろう」


 色々、聞きたいことがあり過ぎて、感情が追い付かなかった。

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