愛情表現
近藤さんには、オレの部屋で寝てもらっている。
エアコンが効いてるし、快適だからだ。
散らかした物は二人で片づけた。
だから、足の踏み場くらいはある。
「ふぅ……」
部屋の前に立ったオレは、細く息を吐く。
真っ暗な闇の中。
頼りになるのは、自分の脳内にある家の見取り図。および、部屋の間取り図だ。
近藤さんには、本当に申し訳ない。
女の子の寝ている所に忍び込むなんて、最低だよな。
でも、オレは前の日常に戻りたいだけなんだ。
そして、近藤さんには、元の優しいお姉さんに戻ってほしい。
お天気お姉さんさながらに、元気があって、柔らかい笑みを浮かべる、かつての姿に。
土井に言われて気づいたが、オレはたぶん、ちょっとショックを受けてるんだと思う。
ずっとへランド派で、マリアさんを見てきたリスナーだ。
まさか、暗黒な微笑を浮かべて、狂気に染まった行いをするなんて、夢にも思わなかった。
全て、あのデータが悪い。
無機物に責任転換をしつつ、オレは静かにドアを開けた。
扉を少し開けたところで、冷気が外側に漏れてくる。
視線は斜め45度をキープ。
目を向けたら、バレそうなので、ここは気持ちだけ。
慎重に爪先を差し込み、ゆっくりとベッドに近づく。
「すぅ……ふぅ……」
安らかな寝息を立てている近藤さんがいた。
初日、一緒の部屋で寝たから分かる。
スマホは枕もとだ。
暗い部屋の中で、見えない近藤さんの顔を凝視し、指先でスマホの位置を確認した。ベッドの表面をツンツンと突くようにして、硬い感触を探す。
その時だった。
パッと目の前が、真っ白な明かりに包まれた。
何が起きたか理解できなかった。
だが、光を手で遮り、目を細めると、光の正体はライトだと分かった。
透けた闇の中には、寝息を立てていた近藤さんが見える。
両目は開いており、小悪魔的な笑みを浮かべ、彼女は言った
「……えっち」
オレは絶叫した。
「うおああああ!」
ベッドから飛び退こうとした矢先、首には両腕が巻き付いた。
首の一点に重さが加わり、オレは全身で近藤さんの上に覆い被さってしまう。
「お風呂も覗いてたでしょ?」
「ハァ、……ハァ、ち、違う……オレは、……そんなこと……」
土井の言っていた事は、本当だった。
余計な事をしたばかりに、
だが、もう遅い。
近藤さんに首を抱きしめられたオレは、身動きができなかった。
「嘘。じゃあ、何で、夜中にきたの?」
「……くっ、これには、……訳が……」
「彼氏だから、いいけどね」
甘い匂いがオレを包み込んでくる。
エアコンを点けていても、夏特有の蒸れがあり、気がおかしくなりそうだった。
「それで? 本当に襲いにきたの?」
「違う」
「じゃあ、何しにきたの?」
子供をあやすように、後ろ髪を撫でられた。
「近藤さん。データを消してくれ」
「い~や」
「頼むよ。もう、こんなこと止めよう。オレはさ。近藤さんに、元の明るくて、優しい時に戻ってほしいだけなんだよ」
御茶乃マリアとしての近藤さんは、やはりマリアさんのままだ。
優しくて、見る者を癒してくれる。
本当に清らかな存在だ。
でも、プライベートの方では、魔物と化している。
「近藤さんが、おかしくなっちまってから。オレ、自分の中から、マリアさんが消えちまったんだ」
世の中に、共感してくれる人がいるかは分からない。
オレの今の状態は、本当のマリアさんを知ってしまい、もう前の気持ちと同じように、マリアさんの動画を見る事ができなくなった。
そして、現在は今まで興味のなかったアイドルのライブを見ようとしてる。
自分の心境の変化に戸惑っている。
同時に、心の支えであったマリアさんを取り戻そうとしている部分も、気持ちのどこかにはあるのかもしれない。
「近藤さん。癒し系お姉さんに戻れ!」
オレは心の底から感じていた事を言語化した。
必死の訴えに近藤さんはピタリと動きを止める。
「ん-、レンくんってさ」
口を耳に当てられ、囁かれた。
「わたしの事、何だと思ってるの?」
「な、何って……。優しいお姉さんだよ!」
親が仕事で家を空ける事が多かった。
ジムに通ってた時、トレーナーの人にずっと見てもらうのは気が引けてたけど、近藤さんが保護者代わりに見てくれるって頼んでくれた。
たまに、ご飯とかも連れてってくれた。
たくさん面倒を見てもらったんだ。
オレの中の近藤さんは、後光の差す天使のようなお姉さんだった。
「――そんな人いないよ?」
ハッキリと、耳元で言われた。
思考がピタリと止まる。
「くすっ。レンくんが話してるのは、ほんの一部でしょ。どのライバーだって、リスナーに見せてない一面持ってるよぉ」
「う、そだ。ハァ、ハァ、……うそだ」
いや、ちょっと待て。
何で、データを消しに来ただけなのに、精神的に追い詰められてるんだ。
呼吸が苦しくなり、首を伸ばして、大きく口を開いた。
心臓の鼓動がバクバクと脈を打つ。
「御茶乃マリアは、みんなの、あ、憧れで……。癒し系お姉さんって……」
「好きなわたしを信じてよ。わたしは、ありのままのレンくんが好きだから」
抱き着かれたまま寝返りを打つと、今度はオレが仰向けになった。
上に乗った近藤さんが、優しい笑みを浮かべた。
綺麗に整った顔がライトで照らされる。
「せっかく来てくれたんだし。恋人らしいことしよっか」
「それって、……何を……」
「こういう事」
近藤さんは、オレの枕もとにスマホを置く。
それから、シャツの襟首を思いっきり引っ張ってきた。
「やめてくれ。こんなの、……おかしいよ」
オレは片方の肩をさらけ出した。
そこへ近藤さんがゆっくりと顔を近づけてくる。
「マーキング」
「あ、あ、うそ、だろ」
一線を越えるつもりはないが、抵抗ができない。
女の子の魔力に当てられたオレは、目を閉じた。
次の瞬間だった。
「あー……ん、ぎゅ」
ぐにゅ。とした感触だったと思う。
柔らかい唇が肩に触れて、その奥にある硬い歯が肉ごと挟み込んできたのだった。
「ほええああああああああ!」
本気の悲鳴を上げた。
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