わざわざ誰も知らない高校に入学したのに、助けた涼風さんが離してくれない
本町かまくら
第1話 始まりは
「や、やめてください……! 触ら、ないで……」
弱々しくも、せめてもの抵抗として少女は瞳いっぱいに涙を浮かべながらそう呟く。
しかし、そんな抵抗にこれっぽっちの意味もなく、むしろ男たちの性欲を高めるだけだった。
今どき校舎裏で不良が悪さをしているなんてことは珍しく、当然そんな場面に遭遇するなんて思わずに、俺はふらりと校舎裏を訪ねた。
だから突然目の前に広がる光景を前にして、持っていたトマトジュースを無意識のうちに落としてしまった。
陰の落ちた地面に、じんわりと血に似た赤が広がっていく。
「離してください……っ!」
少女が細い腕で必死に抵抗する。
そんな少女を壁際に追い込み、囲んで襲っているのは男子生徒四人。
そのうちの一人が少女に手をかけ、抵抗していることなんて気にも留めずに少女のシャツのボタンを乱暴に外した。
「いやっ。や、やめて……お願いっ」
「ひっひっひっ。嫌だねそれは。でも大丈夫、大丈夫。ただ俺たちと気持ちいいことするだけだからさぁ?」
唇を舌で舐めて見せる男に、怯える少女。
俺は数秒、その光景をただただじっと見ていた。いや、見ていることしかできなかった。
いざというときに体が動かない。なんで動かないんだ俺の体は。
「だれ、か。助けて……っ!!!」
少女のか細い声に、体がビクッと反応する。
動く体に加えて、心の奥底で「いけっ!」と叫んでいる声が聞こえてきた。
俺はようやく覚悟を決めて男子生徒四人に向かって走り出した。
「お前ら何してんだッ!!!!!!!」
「え?」
少女のボタンに手をかけていた男子生徒を思い切り殴り飛ばす。
男子生徒は風船のようにふわりと宙を舞い、後方へと吹き飛んだ。
そこからはよく覚えていない。
ただ、それからいくらか時間が経った後。
俺が体中傷だらけで地面に倒れていることと、あの男たちはもういないということだけは分かった。
服がはだけ、下着が露わになっている少女が俺のすぐ横で泣いていた。
さっきまで男四人に襲われていたのだ。さぞ怖かったことだろう。
俺は体中が悲鳴を上げているのを無視し、無理やり体を起こして少女の頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫。あいつらはもういない。だから大丈夫だ」
「う、うぐっ…は、はい……。ありがとうございます、ありがとうございます……!」
「もう泣かないでくれよ。ほんとに大丈夫だから」
少女が溢れんばかりの大粒の涙を流す。
頬に伝わるその涙を拭ってやろうと、少女の頬に手を伸ばしたその瞬間だった。
「――先生、こっちです!」
たくさんの足音がドタドタと響いてくる。
どうやらこの騒ぎを聞きつけて、教師が駆け付けてくれたようだ。
俺はほっと胸を撫でおろす。
――しかし、そんな安心感はすぐに奪われた。
「おい、何やってんだ! その子から今すぐ離れろ!!」
その言葉が飛んできた瞬間、頬に激しい痛みが伝わるとともに俺は後方に吹き飛んだ。
背中を激しく地面に打ち付けて、呼吸が一瞬できなくなる。
え?
なんで俺が殴られてんだ?
俺が少女を助けたのに、なんで殴られてるんだ?
おいおい。何かがおかしい。いや、何もかもがおかしい。
それにめちゃくちゃ痛い。
「まさか君がこんなことするなんて思ってもなかったよ」
そう言ったのは、俺のクラスの委員長だった。どうやら俺のことを殴ったのも委員長らしい。
「いや、ちが」
「軽蔑するよ、君のこと。悪い人じゃないと、僕はそう思ってたんだけどね」
委員長は、クラスで浮き気味の俺を気にかけてくれていた。
友達になれるんじゃないか。俺はそう、思っていたのに。
委員長が歯を食いしばりながら、最低な汚物を見るかのような目で俺を睨み、俺の方へと寄ってくる。
そして吐き捨てるように俺に言った。
「君、最低だよ」
は?
いやいや、俺がやったんじゃないんだけど。なんで俺が犯人扱いされてるんだよ。
むしろ勝手に犯人扱いしてきたお前が最低だろうが。
しかし、殴られた衝撃とありえない今の状況のせいで声が出ない。
これは誤解なんだ! そう言いたいけど、言えなかった。
「大丈夫? 怪我はないか?」
教師たちが泣いている少女の方に駆け寄り、声をかける。
「いや、違うんです! その人は……」
「いいから。もう安心してくれていい」
「で、でも……!」
少女の声がかき消される。
そしてすぐさま教師たちが委員長に加勢し、俺を睨みつけてきた。
「押さえつけろ!!!」
逃げるつもりなんてさらさらなかったし、そもそも俺がやったんじゃなかった。
でもなぜか俺は地面に額を押し付けられて、拘束された。
なんで、なんでなんで!!!!
俺は何もしてないのに……むしろ助けたのに!
なんで俺が少女を襲ったことになってるんだよ、おかしいだろ!
「あ、う、あ……」
しかし、その言葉は声になってはくれなかった。
「ちょっと! 待って!!!」
遠のいていく意識の中、少女の声が鼓膜を震わせる。
ふと、さっき零したトマトジュースが視界に入った。
なんて悲惨なんだろう。
こんな結末になるはずなかったのに。こんな運命、辿るはずなかったのに。
俺はこの悲惨な現実にひどく胸を打ち付けられ、容赦のない力によって意識を失った。
俺はこの日、少女を強姦しようとしたというありもしない容疑をかけられた。
しかし、その容疑はすぐに少女の証言と男子生徒四人が捕まったことにより晴れた。
だが、この学校という小さな社会において俺の誤解が完全に解けることはなかった。
俺がやったという『空気』が何故か流れていた。
正しい事実がもうここにはあった。でも、何が正しくて何が間違ってるかなんて、ここではどうでもいいのかもしれない。
みんなが信じているから、だからそれが正しい事実なのだ。
俺一人の力ではその『空気』に勝てるわけもなく、なんとなくの『空気』が、一番タチの悪い『空気』が流れ続けた。
そんな『空気』を周囲は勝手に読んで、合わせて……俺はすべてを失った。
それから、俺は学校に通わなくなった。家からも出なくなった。
「か、要? 今日もまたあの子が……」
「ほっといてくれ!!」
「……ご、ごめんなさい」
日々の生活に光なんて見えない。
苦しくて、苦しくて。その苦しさが当たり前となって、慣れてきて。それでもまだ苦しくて。
そうやって月日は流れていき、時間のおかげで感情は風化していき。
何も状況は変わらないまま、中学を卒業した。
変わったのは、俺だけだった。
◇ ◇ ◇
「えぇー、今日という日を迎えられたことを非常に嬉しく思います。それで――」
今日は俺がこれから三年間通う高校の入学式。
この古臭い校長の話は一体何の役に立つのだろうか。
おおよそここにいる生徒全員が似たようなことを考えているようで、校長の話を聞いている様子は見られなかった。
ここならきっと、俺を知っている人はいない。
まぁ俺のことを知っていたとしても気づかないだろうけど。
真っ黒に染まった髪に、目が隠れるほどの長い髪。
地毛の赤い髪は見る影もないし、中学時代と違って毛先を遊ばせるセットなんてしていない。見た目で誰にも気づかれるわけがない。
それにこの高校は俺が住んでいた町とは程遠く、別の県にある。
わざわざ県外から一人暮らしをしてまで通おうとする物好きがいるわけがないし、見た目を変える必要まではなかったかもしれない。
「これで入学式を終わります。各クラス、担任の指示に従って――」
担任を先頭にして教室に向かう。
周りからの視線は感じない。大丈夫だ。きっと誰も俺のことを知らない。
久しぶりに感じる安心感を胸に歩みを進める。
入学式が行われた体育館から教室まで割とすぐに到着した。
そして手短にこれからについての説明とか、担任の自己紹介などが行われ、今日は解散となった。
今日知り合ったばかりだというのに、放課後の教室はレイン交換合戦へと移行。
「グループ作ったからみんな入ってー!」と、これからクラスの中心になると思わしき女子生徒が明るい声で呼びかけていた。
すると自然とクラスメイト達はその女子生徒の方へと集まっていき、レイン交換合戦は加速していった。
「そこの君。レイン交換してくれない?」
ごく自然な動作で、その女子生徒が俺にもQRコードを差し出してくる。
「……ごめん、俺スマホ持ってないんだ」
「そっか。じゃあしょうがないね」
事実、俺はスマホを持っている。しかし、どうにも人と付き合う気にはなれなかった。
少々悪い気はするが、強制というわけではあるまい。
「これからよろしくね!」
「部活どこ入るの?」
「え、地元近い!」
ワイワイするクラスに、輪の外の俺。
なんだか居心地が悪くなって、鞄を持ってすぐに教室を出た。
やっぱり遠い学校に来ても、結局は同じだな。
持っていないと嘘をついたスマホを取り出し、ワイヤレスイヤホンを接続して耳に装着する。
全く聞いたことなんてなかった、最近流行りのアーティストの曲をランダムで流してみる。
でも、軽快な音楽も、希望に満ちた歌詞も耳をすり抜けていく。
これでいい。これでいい。
喧騒に満たされた廊下を、自分の世界に閉じこもって歩いていく。
「あ、あの! ちょっといいですか?」
すると肩を掴まれて引き留められた。
「な、何ですか?」
イヤホンを外して、引き留められた方を振り返る。
――その瞬間、息が止まった。
「あ、あの……
えっ、なんで?
どうして君がここにいるんだ。
「私のこと、覚えてますか……?」
忘れるはずがない。一生、忘れるわけがない。
覚えてますか? ――そりゃ、覚えてるに決まってる。
恐る恐る俺に声をかけてきた少女の足は震えていて、目尻には薄っすらと涙が滲んでいた。
それでも気丈に振る舞おうと、拳を強く握っている。
あの時の彼女の姿と重なる。
俺に声をかけてきた少女は、あの時俺が助けた少女だった。
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