オシマイとハジマリ
第1話 唱えなさい、呪文を
僕はきっと、特別な存在ではないんだと思う。
──雨の音──
別に諦めとかじゃない。憧れが無かった訳でもないけど。
ただ、誰もがそうありたいと願う訳じゃないように、僕もまた特別でありたかった訳じゃないんだと。
ふと振り返ったとき、そう思う。
──軽い車輪の音。揺れる感覚。響く声──
だから、「何もない自分」を想像したとき、怖くなって、やるせなくなって、何もしたくなくなって。
──『諦めちゃダメだ』『しっかりして』『手を握って』──
「何もない」ってどういう事だろうって、そんな事も考えられなくなった時に、そのとき見た「ひかり」は、僕の脳裏にずっと焼き付いていて。
──『もう大丈夫。──』──
今でも忘れない。
あの日の繋がりを、あの「特別な存在」を。
僕は胸に握りしめて。
今日を「乗り越えていく」。
*
その瞬間、僕はトラックに引かれ──
転生だって? それとも頭を打ったから前世の記憶が蘇った? ああ、パーティを追放されたからこうして虚空を見つめてるハメになってるんだな?
そんな都合のいい話があるワケないです
「……痛い」
なんて下らない事を朝っぱらから心の中でボヤき……。
僕の名前は
注目を集めても仕方ないような、大の字で、まるで轢き潰されたカエルのようなカッコになっている情けないポーズだった。だが芸人だとか、路上でピエロとして売ってる訳ではない。
こんなポーズでも、驚くほどただの女子高生で、ただの現代人だ。
「お嬢ちゃ〜ん? 大丈夫かい?」
「あ……。ダイ、ジョウ、ブ、です……」
朦朧としていた意識がハッキリしてくる……。何故こうなった!? 使え、僕の数少ない特技は分析力……。振り返ってみるんだ、事の顛末!
まずは虚しさを胸の奥に閉まって自分の状態を確認。
ルーズサイドテールに結いた薄緑の髪をアスファルトの大地へ敷いて仰向けだ。痛いっす。
長袖白セーラーの腕部分は、地面に隠れた部分以外に土埃は見られず。胸が邪魔で見えにくいけど、脚には擦り傷も見られない。左手首には金のバングル。それを強く打ったのだろうか、ちょっとジンジンして痛い……。そういえば脚も何だかジンジンする。思い出してきた、つまりはこうだ。
登校途中、歩道の向かいへ渡ろうとした善良な一般市民のタマキを撥ねんばかりに突如! 大型トラックが走ってきたのだ! ここは集合住宅街。信号もない、観光スポットもない、華のない東京のハズレ!
寝起きの思考。それを避けようと僕は咄嗟に飛び跳ねた。真後ろへ! けどロクに運動できやしない僕は、ジャンプした時点でちょっと
「アギャァッ!」なんて断末魔を挙げて一瞬気を失い、これは終わった、オシマイの概念だ……。と思ったものの、幸か不幸かそうはならず。
結果そこには、まるでトラックに轢かれて異世界転生一歩手前で叶わなかったように見える、哀れな一般市民の完成……。
理解した僕は今、どうしようもなく切ない気持ちになっている。
「そうかい? おじちゃん轢いちゃったかと思ってさ〜」
うわあぁぁぁ話しかけられたぁぁぁ!
「ゴメンねぇー? おじちゃん、ちょいと考え事しててなーっ? 良かったらちょいと聞きたい事あってなぁーっ?」
「あっ……あっ……ダイジョブディス……」
そして青空を眺める僕の視界には、タオルを頭に巻いた浅黒くて汗の滲んだ、顔の濃いオジサン! 僕を轢きそうになったトラックの運転手!?
ついでにサングラスなんてかけてて人相は悪い。そんな人がムリに口角上げてニッコリと。僕の胸がきゅうぅっと恐怖でしぼんだ。
「ピイィッ! だっ、大丈夫ですワタクシ百メートルを三秒で駆ける女なのでーっ!!」
僕はすぐさま棒のようにピンっと立ち上がり、何でもない事をアピールするため爆速で逃亡!
僕がビビって逃げ出したのは『人の顔が近づいてきたから』た。
気づけば目の前にカップルが歩いてきていた。
「あっ、すみません……」
ただすれ違っただけの二人組の男女にもビビって道を譲るなんて、僕は本当に惨めだ。なんだってこうも、極端に引っ込み思案なんだろうか。
肩にかけたバッグの中身を見たり。そこから覗く人形を見つめてるとため息が出た。
「……オエっ。二度と他人と関わりたくない……」
顔がひしゃげた鉄板ほどに歪んでるのが分かるほど、僕は悶えた。
本当に、他人と関わりたくなんかない……!
*
こうして学校に来たからって、僕の気分が晴れるワケでもない。いや、むしろ増すばかり……。
「よー、がーさいっ! 朝からサチうっす〜い顔してんなぁ?」
「オシマイの概念……」
教室入って早速コレだ……。涙がちょちょぎれる!
この角刈りで、細い目をした平たい顔の人は
「えと……ぼ……私の顔がそんなに気に食わないです……?」
「私ぃ……? ああいやいやいや、んなこたぁねぇよ〜! ただオレから見てホントにやな事あったってツラしてたからよ、こりゃあいかんとお前の親友はだな……」
「誰が、いつ、お前なんかの親友……いいや友達にもなった覚えはぁ──なぁぁぁいィっ!」
「ギャアァァアアッ!?」
顔が近づくから……! 思わず頭を鷲掴みにして、その顔面を机に叩きつけちゃったじゃないか!
饒舌で、話す友達がいるクセして僕を見るなり突っかかる。それがこの人、真秀呂場。僕にとって恐怖以外の何者でもない。彼の趣味は教室の隅っこにいるボッチに明るく話しかける事……。絶対に来るけどかわせないとか体育の授業だけにしてぇ〜!
「あっ……サッカーのゴールキーパー押し付けられた記憶がフラッシュバックしてきた……」
そして……今しがた攻撃して、白目むいて伸びてる真秀呂場を見て頭の中がクールに冷えた。この状況はきっと、注目の視線を集めるだろうという結論に至って、頭が、ゾワリと。
「ハッ! ハァァァッ!!」
それからの僕の行動は早かった。教室を飛び出す様は、放たれた矢の如し。予鈴が耳に届いてUターンする様は、振り向くゲームキャラの如し。生ける屍となり、机を陣取る真秀呂場を蹴り飛ばす様は、キックボクサーの如し。
「あっ、邪魔です……」
「クゥ〜ン……」
真秀呂場はボールのように床へ転がる。きっと切なそうな顔で慈悲を訴えているんだろうが、僕は絶対に目を合わせんぞ……!
教室の引き戸が開かれ、先生が入ってくるのが聞こえた。
「ホームルーム始めまァーす。席に着いてー。真秀呂場ァー、お前に言ってんだぞォー」
「……心配してくらはい」
──僕はいつまでこんな日常を過ごすのだろうか。こんな世界で僕はいつまでも燻って、怯えて、丸くなって暮らしてる。
僕には何もない。本当は特別な力があるんだぞ! なんて子どもの頃は信じていたものだけど、成長するにつれて現実とのギャップに辟易してくる。
僕の人生はいつまでこんな調子なんだろうか。不安に苛まれる日々だ。
僕はただ、こんな『なんでもない自分』から解放されたいだけなのに。
そんな考えを巡らせながら、今日も一日は過ぎていく。
*
学校が終わり、自宅へ直帰した。心が重い、肩が重い。
引き摺って向かったリビングには、僕と同じ、緑がかった髪の、ローテールに結いた二つ結びの華奢な少女。ソファーに背中を預けてだらしなく座っていた。
「ただいまぐらい言……」
「今日もオシマイだ陽キャの顔面叩きつけるなんて月曜から村八分だ僕はどうしてこうもトラブルメーカーなんだ学校に馴染めない他人が怖いブツブツ……」
「うわっ」
ブツブツとネガティブワードを呟いてたら、妹がしかめっ面で僕を見ていた。僕は助けを乞うように跪く。
「聞いてください妹」
「妹って呼ぶな。キモい」
「
「さん付けキモい」
「
「5秒聞いてやる」
「聞いてよ今朝の僕の悲運をさクラクラして歩道渡ろうとしたらトラックが来てコレは危ないって思ったから咄嗟に避けようと後ろに向けてジャンプさあ大変」
「終了。中身がない」
僕はソファーの隣で体育座りでさめざめと泣いた。
「ウチから言える事はただ一つ」
「ハイ……」
「克服しろ。でなきゃそのなっさけないメンタル、持って一年」
「高校卒業前に……人生終了!? オシマイの概念……!?」
「ウザっ」
死体蹴りやめてください。
……なんて抗弁も叶わない。僕はまるで、目隠しをされて死を覚悟するニワトリのような、無抵抗生物。妹相手にこれなのだ、家族内カーストはブッチぎりのワースト一位。
「そういや割り勘分は?」
「えっ、あの、なんの……」
突然のカツアゲ……!?
「キサマ、ウチだけ払って自分はタダでゲームやろうって魂胆か?」
「ピッ……ピエッ、ピッ、ピッ……」
小鳥みたいになるぅ……!
「約束は守れーっ! あと詫びパン、いつもの!」
「ピィーっ!!」
*
追い出されるように外へ追いやられた……。銀行への道のりが重く、遠いものに感じられる。とぼとぼ。
日本は東京、11月も半ば。既に陽は沈み、冷たい風が頬を突いて染みる……!
「ゲームがなんなのか結局分からなかった……。ハードなのか、フルプライスのソフトなのか……。お金無いんだけどなぁ……。とりあえず年収一億有名配信者になった場合の妄想でも……」
タマキュン! 我妻 タマキだぞー☆ 今日はぁ、いま話題沸騰中!? 新作3Dアクションゲームの実況を──
「オボロロロッ!!」
塀の上で惰眠を貪っていた野良ネコが、バケモノを見たように飛び上がって逃げていった。突然、拒絶反応を示して嘔吐するヒトは確かにホラーには違いないのかもしれない。
「こんなの僕のキャラじゃない……。有名配信者はもう少し自己分析に則ったキャラにしよう……。陰キャ。コミュ症。人間不信。ビビリ。ケチ。ノリが悪い。ボソボソ話す。急に大声出す。自己紹介で空気悪くする。どこでも空気。学校の闇エピソード。軽音部を5秒で退部。バ先の店長が陽キャ。あっ、せめてJKは強みにして……。没個性だ僕!」
頭の中ではいつだって人気者。現実は何やってもままならない自分に萎縮し、何者にもなれない。唯一自慢できるのは分析力と妄想力だけど、それを言ったところで誰もピンときてはくれない。
「パシられてるぐらいがちょーど良いよ……。あっ、輪ちゃんの言ってたパンって確かクリームパンかな」
独り言を続けてみたり、持ってきていた学校のバッグの中に入っている人形を覗き、気持ちを紛らわしたり。
……あれ?
ふと、気づいた。
その人形は、上品なゴシック調の黒ドレスを纏い、金のローポニーテールがボリュームたっぷりに、バッグの三分の一を占めるほどに埋めつくしている。
僕はいつの間にこんな物を持ち歩いていたんだろう……。
「ていうかこの人形なんなんだろ……。買ったり作ったりした覚えないし……まさか!? 呪いの人形!?」
いやこんなカワイイ子に限ってそれはない!
けど違和感だって覚えるさ! その人形はプニっとした肉感があり、肌にはツヤがあって、どこか生気を感じさせた。まるでちっちゃな生きた人間のようだったから。
手を伸ばす、その手が震える。人形の頬を撫でると──
「う〜んカワイイぃぃ!」
キュンキュン! ギュっと抱きしめ、それからモフモフ、ムニムニ、スンスン。犯罪者一歩手前な行動だとは分かってても、人形相手に全身を撫で回すように!
「んはぁっ!? ここは、銀行!?」
気づけば銀行の店内。周囲に人がいて店員もウッカリ目の端に捉える。そんな事が起こりうる環境で、先の人形に対する変態行為。
僕は現実逃避のため自らの肉体から魂を分離した。
「おっ、誰かと思えば!」
「あっ、店長さん……」
無意味だった。
ていうかこの飲食店勤務とは思えない、下唇とアゴの間までビッシリな無精髭、全ての陰キャを無自覚に見下ろす笑み! バイト先の店長!!
「我妻〜、給料日だからってすぐに銀行に来たのか〜? 卑しん坊め、お金いっぱいで嬉しいもんなぁ?! 何買うの? ゲーム?」
「あの肩……」
話が全部右から左に流れていく。多分、この肩に乗せてる手が全部吸い取ってるんだ。陰キャの魂を吸う陽キャの手なんだ。その吸った魂はどうなるのだろう。多分、無価値なものとして粉ッ砕! 僕の魂なぞ吸うに値しないのだ。能力バトル最強の存在じゃないか。
「そうだ我妻、お前に言ってみてほしい芸人のネタあるんだけど良い? 良いよなありがと〜! したら次のセリフを情熱的にマネして」
あっ、僕ってこんなトコでもダル絡みされるんだ。店長のオモチャなんだ。
「我妻ー? オイ我妻ー?」
聞こえないフリ木のフリ墓石のフリ
*
その時だった。
突如、店内出入り口からゾロゾロと、黒ずくめの集団が入ってきた。五人だ。それぞれが覆面を被り、手にはサブマシンガン。誰が見ても分かる手口であり、誰もがその集団を目にして萎縮し、両手を上げた。
「大人しく金出せよなぁ? 分かるだろ、このバッグにありったけだよ!」
強盗だ。雑にバッグを銃で差し、乱暴にカウンターへ投げつけた。
「オイ我妻、なにやってんだ片腕だけ上げて! ふざけてると目立つぞ! ……いや?」
一方、我妻 タマキという女。
「フグゥー……」
「アカン、我妻気絶してるー!?」
強盗が押し入ってきた事態に緊張感が臨界点を越えたのだ、白目を剥いて左手だけを斜め上に上げて気絶していたのだ!
「そこのガキ、ふざけてんじゃあ……」
当然と言うべきか、不幸にもタマキは強盗の一人に目をつけられてしまった。気を失ってしまった最中、抗う術もなくタマキは強盗に肩をムリヤリ引かれそうになり──!
「アア──────ッ!!」
マンドラが如きタマキ! 弾かれたように狂い叫ぶその様はまさに、そう呼称するに相応しい有様だった!
「なんだコイツ!」
「何そんなガキに手こずってんだ、さっさと黙らせろ!」
「アバッ」
強盗を少し怯ませただけで、タマキはあっさり後頭部を殴られ、再び気絶してしまった。
ただ少しの効果はあったようだ。そのスキに店員が防犯ブザーを鳴らし、通報に成功したのだ。しかし、それは強盗グループにも筒抜け。ブザー音が響き、店内はますますパニックに陥った。
「誰だァ!! 鳴らしたヤツァ!!」
弾丸が空気を割いて火を噴き、ガラス灯を割る。
「テメェ、さっさと金詰めろ!! ビビってんじゃねぇ!!」
響く怒声。割れるような悲鳴。恐怖で嗚咽を漏らす人々。
さすがのタマキとて気絶してはいられなかった。
*
はっ!? ここは銀行! あの人たちはさっきの! ああ、強盗ですね……。
強盗なんてイマドキ流行らないよ、効率悪いし。あの銃よくみたらモデルガンみたいだし、それに火薬詰めて改造してるみたいだし。確かに殺傷力はあるだろうけど、シロウトのやる手口だ。まさか撃てる筈もない。
ここでヒーロー気取りで飛び出して強盗を刺激する方がみんなを危険に晒す。隕石が落ちてくる訳じゃあるまいし、ましてや僕みたいなザコが出たりなんて……。
しかもこの時代、足がついて逮捕なんてカンタンだし、釈放された後だって将来仕事する時にデメリットになるし。なんでみんなして危ない橋を渡ろうとするんだ……。
「オイ、そこのボーっとしてるさっきのガキ!」
「フォグゥ!?」
ジロジロ観察と分析してたせいか!? 一転して僕一人に注目してきたじゃないか!?
いやいやいやパニックになるな落ち着け落ち着け冷静になるんだ僕どうすればいいのか──
「テメェが詰めろ! ベソかいてねぇのテメェだけだかんな!」
気絶してればよかったんだ、うん。
恐怖と後悔を抱え、力なく、ゆっくりと立ち上がり、猫背でノロノロと歩みを進めていく。その方が絶対いい。落ち着け……。
「いいぞ行け我妻! 殴れアイツら! キンタマ蹴れ!」
僕はピキッときた。流石にガマンならなかった。威勢だけは良く、ヤジを飛ばした店長。自分は安全な場所にいて、そのクセ他人には無理難題を押し付けてヘラヘラしてる店長。僕の鬱憤が爆発した。
「な……ななな何ですか店長その、言い草」
「は? オイやめろオレを見るな! アイツらに目ェつけられたら殺すぞ!」
「うるさいんですよっ! 何もしないクセに、影からああだこうだ指示だけ飛ばして偉そうに!」
「やめろっつってんだろお前ェ!」
「大体アナタって人は、従業員を守ろうって気が一切ないじゃないですかっ!! イヤってほどお店が混んだ時だって、僕は裏方なのにイヤイヤお料理を出さなきゃならなかったしそしたらお客さんから遅いって難癖をつけられた! さっさと食べ始めればいいのにずっとグズグズと! アナタがそのとき隣りのテーブル拭いてて見て見ぬフリをしたのを僕は見逃さなかった! なんなんだよっ! みんな自分さえ良ければいいのかよ!?」
「自分さえ良けりゃいいのはそっちがだろクソガキ!」
「アナタがそうだから言ってるんだよ! 他の学生バイトの人だってウンザリしてるの僕は感じてて、居心地悪いんだよ! こういう時ぐらい、若者を守ってみろよ!!」
「お前、クソだなっ!」
「僕は────誰も守ってくれないこんな世界がウンザリなんだよ!!」
瞬間、瞳孔を大きく開いて自分勝手に怒鳴っていた店長さんの顔が、呆けたような、魂の抜かれた顔になる。それと同時に、僕の顔に生暖かい液体がピシャリ。浴びせられたのを感じた。
気づけば店長さんは横向きに、力なく倒れていたのが見えた。店長さんを中心に、赤い液だまりが広がっていた。呆然とした顔のままだった。
「はい。お前のキライなクソ店長、死んだ」
──僕の思考が、全然追いついてなかった。自分の事で精一杯の、けれど壊れてしまったような空白の感覚が、脳を占めていた。
「え、えぅ……ちがっ、僕は別に、死んでほしかったんじゃ……」
「あのなぁ……」
強盗の一人が、僕の髪を掴み上げて顔を寄せる。鈍く感じる痛みよりも、僕の感覚は恐怖に支配され萎縮していた。
「お前みたいに、自分が不幸だと思ってるガキムカつく。え? 自分さえ良ければいいのはお前の方だろって言われてたけどな、ド正論だぞ」
「違う、違う違う違う……」
僕は投げ捨てられた。体が重く感じる。冷たいタイルの床に張り付いたみたいだ。喧しいブザーが鳴り響く店内。急かされた強盗は天井に向けて乱射し、一度だけ落ち着こうとした。
「ガキだしなぁ、しかも女だしなぁ。殺すのは胸が痛むから、代わりにちょっと楽しもうと思ったけどなぁ」
しかし、もう彼の冷静さは取り戻されることはなかった。
「死んでからでいいや」
銃口が無慈悲に、向けられた。
僕の頭が冷えきった。目の前で殺された店長と同じ目にあうのに、死ぬ事より、何より。自分が情けなくて仕方がなかった。
僕が殴ってやったら良かったんだ。銃を奪って倒せば良かったんだ。
中学生の頃、学校がテロリストに占拠されたらどうするか? そんな妄想をした事がある。そのとき僕は都合よくトイレに入っていて、教室の様子がおかしい事に気づくんだ。それから上手く立ち回って、銃を奪ったり、能力に覚醒して降参させたり。そんな脈絡のない、下らない妄想だ。
僕が何かを持っていたら、こんなヤツら勝てたのに。僕が変われたら──守れたのに──
強盗の呻き声が聞こえた。
「自分を変えたいのね」
誰かが毅然とした声で話している。
「なら、自分の足で立ちなさい」
僕の耳に声が届く。
「──え?」
顔を見上げると──
「そして──」
目の前にいたのは──人形
「唱えなさい、呪文を」
僕の人形が、言葉を発していた。
理解は追いついていない。ワケが分からないままに、頭の中で浮かんだ言葉を思うままに発する
「ニ、ン、ヒ、ト……?」
左腕に付けられた金のバングルが、反射でもしたのだろうか。光を放ち、人形が手を伸ばす。起き上がろうとした強盗へと向けられたその手は、ヒトのように繊細で、ツヤを纏っていた。その精気を帯びた指先に、一点の光が集束され、光線として放たれる。
僕は唖然としていた。光線として放たれたものは、その見た目とは裏腹に貫通力は無かったようで、命を奪った銃と違い、強盗の側頭部を叩きつけるようにして気絶させるのみだった。
「アナタが望むなら、もう一度」
「……ニンヒト」
今度は別の強盗に『ニンヒト』の光線が放たれる。その威力はやはり、気絶させるのみに留まっていた。
冷静さを失っていた強盗の残る三人も、さすがに仲間が二人も倒れる異常事態に気づいた。僕と小さなヒトのカタチをしたものに、鋭く眼光と銃の毒牙を向ける。
「ニンヒト!」
今度の指示にもう迷いはなかった。再び放たれた『ニンヒト』が、三人目を打ち倒す。
「そのまま飛びかかれ!」
──なんだ、なんだよこのパワー!
「すげぇワクワクすんじゃん……!」
僕の胸に、久々に感じる高揚感が芽生えていた。喜びと光が宿っていた!
『できない』を『克服』した感覚。『不可能』を『克服』した感覚! 乗り越えたという『カタルシス』!
僕はもう、何もできない僕じゃない! 何者でもない僕じゃない!
これは、僕が僕を『克服』する物語なんだ──!
「──! 危ない!」
三頭身ほどの人形サイズ。小さいながらも、強盗の一人を一方的にボコボコにし顔中マンガみたく青アザだらけにしていたその人形が、小さな指を差し伸ばした。
「ニンヒト」
真っ直ぐに手を伸ばしていた人形。真っ直ぐに発した一言。『ニンヒト』の一筋が、僕の背後で感じられた気配を撃った。
残る一人の強盗だ。僕に迫り、サブマシンガンを振り下ろそうとしていた。それよりずっと速く、光は強盗の頭を撃って昏倒させたのだ。
「……へぇ、ビームにも動じず。意外と肝が据わってるのね」
「だって、さっきの君の言葉でスッキリしたから」
自然と笑顔が零れていた。今日初めての、笑顔。
「君の言葉は、僕に光を灯してくれる」
「アナタ──」
人形が言葉を紡ぐ。
「笑い方ヘタね」
「えうっ!?」
そもそも僕は人に笑顔を向けるのも久々だ。誰かと楽しい気持ちを共有できたのも久々だ。ガラスに映ったその顔を見ると、唇を小刻みに震わせ、口角が不自然につり上がってニヘラとした、不器用な笑顔になってるじゃんか。
「あっ、えと、ところで君は何者……?」
「……さあ? 困ったことに自分でも何者なのか、てんで検討つかないわ」
「あっ、じゃあ名前とか……」
「生まれたばかりなのでしょうね、そんなものも無いわ」
「……えと、趣味とか」
「分からないわ」
喉を唸らせめいいっぱい困った。このコミュ症は人形相手とて例外ではないみたいだ。手持ち無沙汰の両手は扱いに困ったように、遠慮がちに前へ突き出されて、忙しなく指が蠢きオロオロする。
どうやって接したらいいんだろこの子……!? どうしようどうしようどうしよう……。
割れた電灯の明滅がついに止んだ。代わりに、閃きが灯された。
「なら君は──『ヒカリ』」
「『ヒカリ』?」
「そう。手からビームが出るから、ヒカリ!」
「そーゆー方面の安直さなのね?」
不満げだ……!
そんな時だ。外から朧気に入り込む街明かりだけが目の頼りとなった暗闇だからこそ、外の様子にすぐさま気がついた。赤い光が薙ぐようにチカッ、チカッと店内を照らす。警察が駆けつけたのだ。
機動隊が並び、シールドを構えるその様はまさに城壁。警官が並ぶその緊張感に耐えられる訳がなかった。
さっきまでの威勢は完全に消え去り恐怖で縮こまってしまった。きっとフクロウのように細くなってる。
そんなフクロウと、店の異様な沈黙がいいサインとなったのだろう。一人の婦警さんが様子を伺いながら、しかし毅然と歩みを進める。
進める……のだけど、一歩一歩が小さい。いや、本人は大股開きでズンズン歩いてるんだけど、こう、本人の背が小さいのだ。
うおっ、ちっちゃ……。
そんな感想を抱いた。
「死傷者、1名か……」
あどけない声だった。
パトカーの全高は、パトランプ部含めて一八〇だという。胸を張り、背筋を伸ばしたその人は、そこまでしてようやくドアミラー設置位置と同じぐらいの高さであった。その人の小ささが際立つ。
僕の前に立ったときなんて、身長差で僕を見上げてしまっていた。僕の身長は一五五センチ。その人の顔がちょうど胸の位置にくる点から、この人は一四〇センチ程度。どっちが子どもなのか、少なくともこの人が大人だとは、知らない人間から見たら誰も思わないだろう。
ちょっと侮ってしまった。おかげで冷静さを取り戻せた。けど無意識に両手は挙げてた。だって警察いっぱいいるし。
「これ、君がやったの?」
「あっ、ハイ」
何を即答してるの僕ゥ!? 相手、ケーサツ! 僕、被害者なのに!? けどウソついたらドロボーの始まりって言うし、僕なんかのウソとか一瞬で見抜いたりなんて……。
「私には嫌いなモノがある」
「あっ、ハイ」
「犯罪を犯して気持ちよくなってる輩と、酢豚に入ってるパイナップルだ」
「酢豚……?」
「じゃ、現行犯逮捕ね」
挙げた手を小さいおまわりさんはキュっと背伸びして掴み、ヒョイと下ろして手のひらを向かい合わせにする。そして、カチャリ。手首には銀色のアクセサリーが施されていた。
「…………ぃえっ?」
19時52分。何者にもなれなかった僕は、16歳にして犯罪者になった。
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