てのひらの林檎
雨ノ森
第1話
ゴキッ
骨が砕ける音が聞こえる。
「もういいだろその辺にしとけ」
そういうと掴んでいた襟元を未練なく離し、息をしていない男は何の抵抗もなく地面に落ちた。
振り向いた青葉は返り血を浴びて顔に赤いものが付いている。拳につけたプロテクターを外すと死体の口の中に押し込んだ。
すぐ横にある24時間稼働している高機能焼却炉に放り込んでしまえばあとは骨さえも残らない。
「なんで都内じゃないんですか」
「最近都内は900℃以下のとこが多くてさ、ここは1300℃まであげるから安心かなって」
そろそろ見回りが来るタイミングだ。監視カメラの映像も何か起こらない限り見返されることなく上書きされていく。
「さーて、帰ろうぜ。青葉運転して」
「嫌ですよ、アンタ今日何もしてないじゃないですか」
富士山の麓からは少しづつ夜明けが始まっていた。
「メンター…」
疑問でも理解でもなく無感情な声だった。
「今日からメイのところで生活するように」
「ニコ」と紹介された男は長い前髪の間から俺を一瞥したが、直ぐに興味無さそうに下を向いた。
「メイ、前回と同じで。頼んだ」
「分かりました、その間オーダー(仕事)は?」
「オーダー優先で」
そう言ってからボスは俺たちを交互に見て「どちらも」と付け足した。
部屋を出るとニコはぶっきらぼうに口を聞いた
「何処住んでんですか?」
サラっと1回、口頭で住所を伝えると目を閉じて小さく1回頷いた。記録やメモは残さない習慣の俺たちにとって住所ひとつ覚えるのはなんてことは無い。
駐車場に回ろうとすると、駅方面に歩いていこうとする。
「何だ、一緒に来ないのか」
「バイトのあと1回荷物取ってから行きます」
「あの調子だともうお前の部屋引き払ってるぞ」
そういうと一瞬天を仰いで大通りに歩いていった。
『ASC』はプロだ。真面目にオーダーをこなせば待遇は破格だが、何か不利益があれば一瞬で消される事だって吝かではない。ガキの頃に俺に付いたメンターは「末端で終わりたくなければ結果を出せ」と言った。
あれから8年、俺はまだまだ見晴らしのいい所には辿り着けそうにない。
組織には3つのクラスがあり、更にそれをⅠからⅢと3段階にランク分けしている。それぞれ暗殺要員のA(Assassin)、対象者を病死や事故死、自死等に偽装するS(Sweeper)、対象者を完全に抹消するC(Cleaner)に分けられる。
今回はSに欠員が出たためニコに白羽の矢が立った。ニコはA-Ⅰで歩合制だが月に数回あるかないかのオーダーでも十分暮らしていける報酬は貰えている。ただ日常怪しまれないようにアルバイトや中には就職している奴も少なからずいる。
俺はコーチングやトレーナーとしても『ASC』と契約しているのでプラスS/Cのオーダーの歩合でそこそこ文句ない生活は出来ている。
例え引退しても表のコンサル業の勉強でもしておけば、その後も困らない仕組みにはなっている、しくじって死ななければの話だが。
メンターとして若手を預かるのは1年ぶりだった。
前に訓練をした奴は勘は良かったが、小さな事への拘りが強かった。結果、不適応と報告し、差し戻しとなった。微妙な違和感は組織を壊滅することだってあるのだ。
ゲストルームの窓を開け、風を入れる。届いていたニコの荷物を部屋に入れて扉を閉めた。
ニコのデータにざっと目を通す。基本的には武器を使わず素手で首を圧迫するか殴り殺す手法だった。
シンプルだが、癖がある。さすがに期間を置いても毎回だと足がつくだろう。そういう意味でもSのやり方を会得すればある程度は幅が拡がると思った。
廃棄の弁当が入ったコンビニ袋をぶら下げてニコが現れたのは9時前だった。ダイニングに通すとそのまま温めもせずに食べ始めた。
「あっためたりしないの?」
「別に、味変わるわけじゃないし」
「メシはいつもそれ?」
「バイト、コンビニなんで」
嫌がる素振りも見せず答える様子を見ると、思いの外素直な印象だった。
「ニコ、バイトは変えなくていいから、明日からメシは家で食えよ」
そういうと初めて顔を上げて俺を見た。
「メンターってそんな事まですんの?」
“俺は”な
翌日は嫌がるニコを連れ出し、スーツを仕立てに行った。何でもいい、と言うのでスリーピースのネイビーとブラックスーツ、普段着用にカジュアルなセットアップも選んだ。
身体に合わせる必要があるのでフルオーダーにしたスーツは後日引き取りになり、その場でセットアップに着替えさせた。
「こんなんで仕事するの嫌ですよ」
車で2人きりになった途端に口を開いた。
「AやCとは違ってSは対象者に接触したり、クライアントに応じて星のつくホテルやレストランで仕事に及ぶ場合もある。クライアントがオーダー料に見合う相手ならばだいたいがそれなりの身なりをしていた方が無難だ。見た目から得る信頼も大事だからな」
そういうと面倒そうにため息をついた。
「ニコ、スーツ仕上がったら懐石とフレンチのフルコース行くからこれで勉強しとけ」
そう言って紙袋に入ったマナーブックを渡す。本当はキャバクラにも連れて行きたいのだが、突っ張ってる割に思いの外子供な印象なので保留にしておくことにした。
大概一人暮らしの男なんて食生活がどうでも良くなる。栄養管理できていれば良いと思うタイプ、腹が満たされれば良いタイプ。しかし今のうちは体が資本の仕事だ。ジムで鍛えるならばきちんと良質な筋肉になるものを摂った方がいい。
アスリート食とまではいかなくても、バランスのいいシンプルな家庭料理を出しているとニコも徐々に食事に興味を持ち始め、簡単なものは作り方を知りたいとまで最近は言うようになった。
「あ、オーダー来ました」
食後コーヒーを飲みながらスマホを弄っていたニコが突然言った。
「いつ決行?」
「3日後……銀狼会の若中って、誰でもいいんすかね」
「抗争の切っ掛け作りってとこか」
「まぁそうですね」
表情を見るともうプランは上がってる様だった。
「チンピラ相手にはどう出んの?」
「んー、挑発目的なら殴り殺します。顔が分からなくなるくらい」
無感情にそう言ってチョコレートを口に放り込んだ。
「へえ、怖い」
そう言うと「じゃあアンタならどうするんですか?」と機嫌を急降下させる。
「これはニコのオーダーだからね」
「その、“ニコ”っていうの」
俺が言い終わらない内に口を挟んだ。
「何?」
「その“ニコ”って嫌なんですけど」
「じゃあなんて呼ぶ?」
自分から切り出して置いて言い淀んでいる。俯いた顔はにかんでいるようにも見えた。
「え?」
「青葉」
青葉がうちに来て10日経っていた。
「青葉、ちょっといい?」
風呂の後、自室に戻ろうとする青葉を引き止める。
「Sのオーダーが入ったんだけど、お前の意見を聞きたい」
過去に俺が受けたSやCのセッションを毎日のように重ねてきた。最初はワンパターンだったが最近ではだいぶ引き出しも増えてきていた。
従業員数1500人を抱える大手外食チェーンの社長の暗殺、こちらは公然のものとする。犯人のバーターを立て、そいつは自死したように見せかける。
「バーターと言ってもある程度犯人と社長の間に接点がないとダメですね。実際社長に近い人間か……逆恨み、怨恨」
「自死の理由もね」
「あぁ」
ソファに深く腰掛けてスマホを繰りながらブツブツと呟いている。最終的に青葉の出したプランは専務をしている社長の娘婿をバーターにして事前に拉致、社長を狙撃した後山中で娘婿を自死に見せかけ殺すということだった。
元より同族経営の割に親族に敵の多いワンマン社長と、頼りない気の弱そうな娘婿は上手くいって無かった。以前新業態の記者発表の際、同席した娘婿を公の場で吊るしあげた事もアーカイブとして残っていた。その時は役員をしている娘も巻き込んで週刊誌の格好の餌になった。
「ふぅん狙撃って誰がすんの?」
「渚さんでしょ?」
「何言ってんだよ。ライフルの手配も自分でしてみな」
武器を扱って来なかった青葉には厳しいかもしれないが、銃殺のイメージがあるならやってみたらいい。
先日連れていったASC出資の民間射撃場でだいぶ訓練したので手応えは感じているようだった。
コレって、と青葉が思い出したように切り出す。
「クライアントって誰なんです?」
「娘だよ」
いくつかの調整や場当たり的な変更はあったものの、概ね青葉のプランは上手く行った。
父親と旦那の死後10日で娘が新社長に就任したとネットニュースで見かけた。
難易度は別として、一通りの仕事をやり終えホッとした。風呂上がりに生理現象か中心がゆるゆると芯を持ち始めている。そういや青葉の世話でデリヘルどころか自慰さえもしてなかったと思い出し、ベッドに座り緩く擦ると徐々に質量を増していった。
快感を味わいながら裏筋を擦り上げ、鈴口を指先で押し開くと思わずああ、と声が漏れた。
さっきからドアの向こうに気配を感じている。
「青葉、いるんだろ」
声を掛けるとドアが少し開いた。扉に寄りかかり、座り込んだ青葉の手にはどうやらペニスが握られていた、
「何、お前俺の聞きながらしてんの?」
「…いけませんか?」
「来いよ、イかせてやるから」
まさかセックス迄はさせてくれないだろうと思いながら試しに言ってみる。少し間があってから「よいしょ」と立ち上がってこちらへ来てベッドに腰掛けた。
「何してくれるんですか」
逆光で表情は分からなかったが、なんとなく声に期待が感じられた。身体を引き寄せ唇を重ねる。舌を差し込んで唾液を絡ませながら口蓋を擦ると喉が鳴った。
拒まないのを確認し、ペニスに手を伸ばすと既にカウパーでヌルついていている。緩く上下に手を動かすと身体を捩って快感を逃がそうとするので後ろから抱える体制になり、耳に舌を差し込むと身体を固くして更に息が荒くなった。焦らしながらギリギリイケない程度に手を動かすともっともっとと自ら腰を浮かせて来る。「おれ、今日どうでした?ちゃんとできてました?」切ない声で欲しがる様は扇情的だった。
「初めてにしちゃ良かったよ、ご褒美あげようか?」
耳元で囁くとこくこくと頷いた。
ペニスを握っていた右手をしているするりと後孔に滑らせる
「お前、コッチは?」と聞くと「下さい」と短く言った。
クチュ、クチュと卑猥な音と青葉の息遣いだけが聞こえる。青葉のそこはあっという間に指2本を受け容れた。
20歳にしては色気のある雰囲気から察して経験はあるだろうとは思ったが、野生の豹から突然雌猫に変貌するギャップに俺もそろそろ限界だった。
「渚さん、もう、いいから」
一度指を抜いたタイミングで青葉がこちらへ向き直り俺のペニスを口に含んだ。我慢できずにさっさと挿入れたいのだろう。
「完勃ちさせると多分挿入らないから」
そう言って口から抜くと、仰向けに倒した。
怖がらずに受け容れる様子から慣れていると判断して一気に奥まで挿入れる。奥を掻き回すようにグラインドさせると身体を震わせて悦がった。
「な、渚、さ……ああぁ」
中イキしたまま降りられなくなっているようで痙攣が止まらない。俺も締付けに早々にイキそうで一度抜くと「何で」と呟いた。
「がっつくなよ」
顔を隠す前髪を避けると顔を紅潮させ蕩けきった目で俺を見た。
二度目は青葉が上に乗った。中イキする為か自分のいい所に擦り付けて喘いでいる。
少し吊った切れ長の目を切なげに細めて喉を顕にする。手を伸ばして喉仏に指を這わせると上から手を重ねて力を込めるとぶるりと震え、射精した。
「鳴ってますよ」
ヘッドボードを見遣るとスマホが震えている。画面を見ると「斉藤」と表示されていた。
俺が青葉を預かっているのを何処かで聞きつけたらしく、ちょっと貸してよとか訳の分からないことを言っていた。頭がキレるし仕事はそつ無くやるが何を考えているのか分からない奴だった。探られても面倒なので早々に電話を切った。
「サイさんと知り合いなんですか?」
青葉からサイの名前が出るとは意外だった。
「何?お前知ってるの?」
「ええ、まぁ」
何となくこいつが身体を開いてるのはサイなのではないかと過ぎる。こういう勘はだいたいいつも当たるのだ。
そこへまたスマホが鳴り、画面には「ニコ」を隠語にした「二階堂」と表示されている。青葉は自分のスマホ片手に覗き込み「変なの」と笑った。
その後のオーダーも青葉は慎重にこなしていき、Sのオーダーも単独でプランから報告まで完結させられるようになっていた。
あれだけ嫌がっていたスーツもだいぶサマになってきたところだったが、先日盛大に返り血を浴びて帰ってきてまんまと廃棄処分となった。
「次は自分の金で買えよ」
「渚さんが見立ててくれないとわかんないよ」
出会った頃は終始ポーカーフェイスで感情を探られまいとしていたけれど、最近は表情を作って真意を隠す事も覚えたようだ。綺麗な顔は幾らでも利用した方が良い。まぁ一緒に生活していれば何を考えているかなんて自ずと分かってしまうのだが。
青葉の事はボスには「適性あり」の報告をした。もう暫くは面倒を見るようにと言われ、実際青葉も当たり前のように家に帰ってきて、出ていく気配もない。
先輩後輩のような兄弟のような、それでいて身体をも重ねる中途半端な関係は続いていた。
一度「俺でいいのか」と聞いたことがある。その時「アンタがいい」と答えた。
セックスの後に聞くことではないと分かっていたが、依存はするなと牽制したつもりだった。殺人が性的興奮に繋がっていないのはここ数ヶ月で確認済だが、人を殺した後に昂ったものをセックスで放出する奴はいる。俺も初めはそうだった。そこも含めコントロールが必要と分かっていながら青葉を手放せなくなっている自分にも薄々気づいていた。
もう少し、時が来たら自分で此処を出ていくだろう。
「何考えてるんですか」
ソファに座っている俺の隣に身体を埋める。
「お前の事」
そう言うと嬉しそうにキスを強請った。
てのひらの林檎 雨ノ森 @amenomori_
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