§026 温もり
「本当は知ってたんだよね。――加賀見くんが高校デビューなこと」
「え」
そんな柏倉さんの告白に、俺は思わず声を漏らしてしまっていた。
俺が高校デビューであること。
それは俺にとってはトップシークレットであって、他の誰にも知られてはいけない事実だった。
現に俺が高校デビューであることを知っているのは、親類を除けば水無月さんだけだ。
それを柏倉さんが知ってた?
俺は衝撃的事実に言葉を失い、同時に柏倉さんの言葉にどう応じたものかと考えるが……その答えはすぐに導き出せた。
「……そうだよ。俺も柏倉さんと同じで高校デビューだ」
俺は、真実を伝える選択をしたのだ。
「あれ? 隠してるんじゃなかったの?」
俺の反応が意外だったのか、驚いた表情で俺を見つめる柏倉さん。
「隠してたよ。でも、柏倉さんになら言ってもいいかなと思えたんだ」
そんな俺の言葉に、柏倉さんはわずかに目を見開いた。
もちろんこれには合理的な理由もある。
もし、俺が高校デビューである事実を柏倉さんが知っていたならば、その事実を流布しようと思えばいつでもできたことになる。
しかし、現在、俺が高校デビューであるという事実は広まっていない。
つまり、柏倉さんは俺が高校デビューであることをいたずらに広める意思はないということだ。
でも、そんな合理的な理由より何より……。
俺は柏倉さんにはもうこれ以上嘘をつきたくないと思った。
仮にこれで俺の高校デビューの事実が広まる結果になったとしても、彼女がいろいろと打ち明けてくれた心の内を大切にしたいと思ったんだ。
だからこそ俺は柏倉さんに真実を話した。
その上で俺は柏倉さんに問う。
「柏倉さんはいつからそのことを知ってたんだ?」
「加賀見くんを気になりだしたくらいかな。うち、卒業アルバムを見るのが好きで、クラスの人達の卒業アルバムをよく見せてもらったりしてるんだけど、その中に、たまたま加賀見くんを見つけちゃって……その姿が今の加賀見くんと全然違ったから思わず笑っちゃったんだよね」
「……卒業アルバムか。あの写真を見られちゃったのか」
俺は苦笑いを浮かべると、柏倉さんも口の端を緩めて「うん、見ちゃった」と答える。
「……てか、あの頃の俺を見て、よく俺に声をかけようと思ったな」
純粋な疑問だった。
しかし、彼女はキョトンとした表情を見せて小首を傾げる。
「え? 別におかしいことなくない? 確かにあの時の加賀見くんはガチ陰キャって感じだったけど、加賀見くんが加賀見くんであることには違いないじゃん? うちは今の加賀見くんの優しさを知ってるし、それにうち自身が高校デビューだから、ここまで変わるためには相当な努力をしたんだろうなっていうのが逆にわかるからむしろ好印象だったっていうか……あと、本当の加賀見くんのこと知ってるのはうちだけって優越感がちょっと嬉しかったんだよね」
そういえばという感じで、次いで柏倉さんが口を開く。
「柑奈ちゃんは加賀見くんが高校デビューなことは知ってるの?」
「知ってるよ」
というか、「水無月さんも高校デビューだから」という言葉が口をついて出そうになるが、さすがにそれはダメだと口に蓋をする。
「……そっか。そうだよね。柑奈ちゃんと出身が同じって話だったし知らなきゃおかしいよね。じゃあ柑奈ちゃんも中学時代の加賀見くんを知った上で付き合ったってことか~。それじゃあもうどう足掻いてもうちには勝ち目はなかったってことじゃんね」
そう言うと柏倉さんは少しだけ悲しい笑みを浮かべた。
「まあ、そういう感じでうちは加賀見くんの境遇を知ってたからさ、柑奈ちゃんみたいなS級美少女と付き合ってるってことを言い出せなかった気持ちは十分理解できるんだよね。……だから、加賀見くんもそんなに自分のことを責めないでよ。うちは今回のことで怒ったり恨んだりするつもりはないし、むしろ高校デビュー期待の星として、二人の恋愛を応援したいというか」
あ、うちだって、加賀見くんよりももっとかっこいい彼氏作って見返してやるけどねと冗談交じりに笑う柏倉さん。
「まあ、そんなわけだから、もちろんうちは加賀見くんが高校デビューなことを言うつもりはないし、二人が付き合ってることも言うつもりはないよ。……でも、こんな惨めな女から一つだけお願いがあるとすれば――今度は友達として二人の話を聞かせてほしいんだよね。一応、うちも女の子だし、加賀見くんが困ってるならアドバイスくらいできると思うからさ――ね、恋愛初心者さん」
そこまで言った柏倉さんはくるりと背を向けた。
そして、最後に「じゃまたね。今日はわざわざありがとう」と言うと、背を向けたまま走っていってしまった。
走り去る際に袖口で目元を拭っているのが見え、どうにも心が痛んだが、どうにか心に踏ん切りをつけて、スマホを取り出す。
『(加賀見) 柏倉さんとの話、終わったよ』
そんな俺のLINEはすぐに既読になり、数分も待たずして返信がきた。
『(水無月) どうでした?』
『(加賀見) 泣かしちゃったけど……多分わかってくれたと思う。というか柏倉さんめっちゃいい子だった』
『(水無月) 今からそちらに行っていいですか。少しお話したいです』
こうして合流した俺達は、壁を背にして階段の踊り場に座り、柏倉さんとの出来事について共有した。
彼女が俺の高校デビューを知っていたこと。
にもかかわらず、そのことを広めずにいてくれたこと。
最終的には彼女が俺達の交際を応援してくれたこと。
包み隠さず話した。
学校の床は思いのほかひんやりとしていて、少しずつ頭が冷やされていくのがわかった。
スカートの水無月さんは尚更冷たいだろうなと思ったが、それよりも何よりも、もし誰かがこの場に来てしまったら体操座りをしている水無月さんのパンツが見られてしまうと思うと気が気ではなかった。
「柏倉さん……律さんの高校デビューを知っていたんですね」
「うん。中学校の卒業アルバムを見たって。まさかバレてると思ってなかったからさすがに焦ったけどね。女子はやっぱりみんな隠し事がうまいな」
そう言って俺が頭を掻いて笑うが、どういうわけか水無月さんは床に視線を落としたままだった。
しばしの沈黙が流れ、水無月さんが少し神妙な感じで口を開いた。
「……ねぇ、律さん。仮定の話ですけど、もし私が嘘をついていたとしたら……律さんは柏倉さんのように許してくれますか?」
どういう仮定の質問だろう?と若干頭にはてなマークが浮かんだが、嘘をつかれてどうか……と考えると、今更ながら柏倉さんってマジで心広いよなと思えてきた。
もし、俺が逆の立場だったら、柏倉さんのような態度を取れたかは怪しい。
「……どうだろうな。嘘の度合いにもよるんだろうし、その時になってみないとわからないよ」
そんな俺の玉虫色の回答に水無月さんは納得したのかは定かではないが、水無月さんは「……そうですか」と一言呟くと、コトンと俺の肩に頭を乗せた。
「ちょっとだけ……こうしてていいですか」
「……ぇ」
突然の彼女の行動に戸惑いの声を漏らす俺。
同時に彼女のさらさらとした黒髪が頬を撫ぜ、甘い柑橘系の香りが鼻腔を刺激した。
「私のこと……ちゃんと柏倉さんに話してくれて……その嬉しかったです」
そう言うと彼女は俺の肩の上でスッと目を閉じた。
彼女の体温が近くに感じられ心臓が早鐘のように鳴り響くが、これでなんだかんだ長かった2日間が終わりを告げたと思うと、不思議な安堵感に包まれた。
そして、俺も彼女に軽く頭をもたれると、彼女の温もりを感じながら、しばしの間目を閉じた。
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