ゴールデン・ドリームより、ブラッディ・メアリーを。

真坂 ゆうき 

第1話

 はぁ? 何それ、マジくっだらね。


 それが理想郷ユートピアの説明を聞いた時に、リコの頭の中に思い浮かんだ感想だった。

 今どき子供でも引っかからねえよそんなウソ、とそれを聞いた当時の自分は斬って捨てたのだ。


 確かに、今自分のいるこの世界は自分の知っている世界では無いことは認めよう。だが、無償で何かが与えられることなど在りはしない、と疾の昔に悟ってしまった自分にとって、それに縋ろうとする人間は滑稽以外の何物でもなかった。


 しかし結果的には、成り行きとは言え社交性の無い性格だと自覚している自分が、少なくない人間と行動を共にした挙句、散々コケにした理想郷の一歩手前まで旅をしてきた、と言う今の状況を昔の自分が知ったら、思い切り笑って馬鹿にするだろう。

 何でこんな状況に甘んじているのか、今でも良くは分からない。ただ、一つ言い訳をするならば、今まで行動を共にしたのは、別に同行者たる彼らが好ましい人間だったから、ではない。


 この世界では、良くあるおとぎ話やファンタジーのように、魔法を使って空を飛んだりすることは出来ず、専ら移動手段は徒歩や馬車などに限られる。電車や車、飛行機といった向こうの世界で当たり前のようにあった便利なものは何一つ存在せず、むしろ退化さえしているのではないかという印象すら覚える。そして嫌がらせかのように陸地と陸地とは海で隔てられていることも多く、決して快適とは言い難い船に揺られての移動を余儀なくされる。船があるだけマシ、という見方も出来るかも知れないが、何よりも問題だったのは、何故か女である自分を船に乗せることを嫌がる人間が多く、船での移動を強いられる度に難儀していた、という点だ。おかげで正面から船に乗り込むのではなく、こっそりと密航者のように乗りこんだことも一度や二度ではなかったが、それはそれで悪くはない体験だったというのは余談ではある。


 そんな状況ではあったが、たまたま旅の途中で何処へでも行けそうな個人所有の船を持った一行が現れたのだ。おまけに何やらその中に、自分と似たような境遇に置かれている人間がいると知り、興味を惹かれると同時に自分にとって使えそうなものは徹底的に使ってやろう、という決して褒められたものでは無い下心を胸に秘めて彼らの仲間となった訳だが、別にこんなところまで付き合う必要までは無かった筈だ。


 ホント何やってるんかね、と何気なくスマホを手に取ろうとして、この世界にはそんなものが無かったと思い出し、思わずリコは舌打ちをしそうになった。スマホはおろか、テレビやラジオなんてものも存在しないこの世界で、気分転換になりそうなものと言えば、何やら妙な煙の出る煙草もどきを吸うか、賭け事に興じるか、酒を飲むか位しか無い。煙草は生憎今は持っていないし、賭け事は最初の内こそ楽しかったものの、相手になる野郎共の癖がもう大体呑み込めてしまっている今となってはもはやただのカモでしかなく、スリルには程遠くてつまらない。


 だとすると、今出来る最善の気分転換として酒でも飲んでやろうと思い、傍で眠っている同行者を起こさないように荷物を漁る。別に起こしたところで怖くも何とも無いが、お小言交じりの説教を受ける羽目になるのは何となくだが想像できた。『まだ成人にもならないうちから』やら『お姉ちゃんの目の黒いうちは許しません』やら、脳内で声が再生されてしまい若干げんなりする。大体、この世界に成人という概念があるのかどうか分からないし、仮にあったとしてもそんなものはどこぞのクソったれの決めた勝手極まりない決まり事だ。守る気なんぞ更々無い。


 そして傍らですうすうと穏やかな寝息を立てて眠っている同行者アカリの事を、自分は姉と呼んでいるが、実際には自分のほうが年は上なのだ。二人並んでみると本人におそらくそのつもりは無いのだろうが、自分に無いものが周りに存在をアピールするが故に、どうしても逆に見られてしまうことがどことなく不愉快ではあるのだが。そういった内心の不満を押し殺してまで傍らの女を姉と呼び始めたのは、出会った最初の頃にそうしておいたほうが得だ、という打算があっただけに過ぎない。


 少なくとも、呼び始めたその時はそう思っていた。今となっては、正直何だか良く分からない。このことも自分の心の騒めきを知らず知らず増していたのか、指先が空回りして中々目当てのものに辿り着かない。


「……何でコレがここにあるんだよ」


 ようやっと探り当てたそれを見て、今度は思わず声が出た。ついでにチッ、という舌打ちも出た。あのヴィオレッタに渡されたその時に捨ててしまわなかったことを心の底から後悔しているが、その時の雰囲気がいつもと違ったものだから、つい流されて今まで持って来てしまったのだ。


『何、コレ? あたし吸血鬼じゃないんだけど』


『良い線いってるじゃない。これは血まみれのメアリーブラッディ・メアリーっていう、れっきとしたお酒だ。アンタならお似合いだろう?』


『へえ? あたしはそんなに血に飢えてるつもりはないし、そもそもメアリーって名前で呼ばれたことは生憎無いけど? それとも、いよいよ人の名前が覚えられなくなってきたのか? そろそろあんたも引退か』


『あら嫌だわ。学の無いのを自慢するのはお止めなさいな、おチビちゃん』


『……言ってくれたね年増ババア。せっかくだから、この店の外壁を真っ赤に染めてやろうか? そうすれば目立って、もう少しこの店も繁盛するかもね』


『やれやれ。ちょっと突けばすぐにカッとなる。どうせ聞きやしないだろうけれど、ここが現実で無かったことを感謝するのね。もし向こうでそんな粋がっていたら、貴女はとっくに下水のドブの中。少しは年相応に振る舞いなさい』


『はん。脅しか? あたし、あんたよりよっぽど強いと思ってるけど』


『ええ、そうね。単純な力だったらね。でも、コレを見てそう言い切れるかしら?』


『なっ、……きったねえぞ! そんなもんピストル隠してやがったのか』


『覚えておきなさい。本当の勝負は、強いから勝つんじゃない。最後に立っていたものが勝ちなのよ。手段なんてどうでも良いし、騙し合いは日常茶飯事。そしてそれにまんまと騙された今の貴女は、ただの負け犬なのよ』


『……チッ……、分かったよ。で、何? 血が足りないから血でも飲め、って仰るのかしら、お・ね・え・さ・ま?』


『本当に可愛くない子。それはさっきも言ったように本物のお酒。名前もその通りよ。意味は……ロブか、貴女のにでも教えてもらうのね』


『……別に慕ってなんかないけど……灯里あかりが知ってる訳ないでしょ。あたしより年下なの、忘れたわけじゃないでしょ。あとロバートに聞くのは御免だね。じゃあ貸し一つだな、とか言われそうだし』


『ふふ……そうね。貴女も賢くなって来たじゃない。イイ子、イイ子』


『こ、この……人を馬鹿にするのも大概にしろッ』


 そんなこんなで終始あの女の掌で踊らされたどころか、結局こんなところまで不本意ながら道連れになってしまったのだ。せめて一矢報いてやりたかったが、肝心の本人はもはや存在していないのだ。……いや、正しくはいるには居るのだが、アレはどちらかといえば……。


「あーもうやめやめ、どーせ目的地はすぐそこなんだし」


 そう宣言して割とあっさりと思考を放棄する。理想郷が天国か、はたまた地獄なのか、そして行った先でどんなことがあるのかなんて、はっきり言って興味は無い。自分の身に何か厄介なことが起こりそうなら対処はするが、辿り着いたその結果連れに何が起きようが、はたまた何かがどうなったところで知った事ではない。ともかく、そこに行きさえすれば晴れて今の面倒臭い連中からはおさらばである。その先の事は、またその時考えれば良いことだ。そう思い至ったところで、まだ件の酒を手に持ったままということに気づき、まあこの際、仕方ないから飲んでみるか、と思い一息に呷る。


「……~~コレ、ただのトマトジュースじゃねえかッ!!」


 思わず叫んでしまい、隣の灯里をうっかり起こしてしまったあげく、口から零したソレを見た灯里が勘違いしたあげく、顔面蒼白になってそのまま卒倒したのも、今だから懐かしく思える出来事だった。

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ゴールデン・ドリームより、ブラッディ・メアリーを。 真坂 ゆうき  @yki_lily

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