ムジョウ件のアイ

星多みん

無情の愛

 私は血縁関係がない養子として、女二人の家庭で育った。何処かも知れない児童施設から赤子の時に引き取られた。里親は母で、父は私が養子になる前の夏の終わり、事故で七歳になった一人息子を連れて亡くなったらしい。


 なにも、さっきの事は最初から知っていたことじゃなかった。昔は血のつながった親子と考え、先に二人も先立たれた母を心配させないように生きなければと、怪我をしないように注意して、娘の未来を案じないように勤勉に生きていた。


 だが、そんな思いとは対照的に母は放任主義で、それが安全ではない事を知っていても「あーのやりたいことなら」と二つ返事で許可を出して、安易な考えでそれを行った私は痛い目に何度あって、その度に澄ました顔でカバーする母を見たことか。


 決して不満に思うことはなかったのだ。祖父は会ったことないけど、亡くなった祖母が生きていたら可愛がってくれるって言われていたし、それに洗濯物も小遣いも人並み以上に貰っていた気がしたけど、私はそんな母に、中学三年生の私は妙な引っ掛かりから、いつも通り美味しい夕飯終わりに質問をしてしまった。


「お母さんって、大切なお父さん、お兄ちゃんに先立たれた割には、私の事を大切にしないよね。なんで?」


 確かこの様な言い方だったと思う。今になって思えば私の発言は失礼な言い方だったが、母の気持ちなど分からない私はこのくらい直接的に聞くしかなかったのだろう。そして、それは結果的には良かったのだろう。母は「一人の人間として話すから、決して子供として聞かないでおくれ」と前置きをして真正面に座った。


 この時に母から冒頭の説明がされた。私は最後まで母に言われた通りに話を聞いていたのだが、子としての質問に対しての回答は無く、またイチ人間として話したのは何か嫌なことを見せないようにしているようで、私は半ば失望したまま中学を卒業して家を出た。


 と言っても駅を二つ離れた所なのだが、初めての一人暮らしで気が緩んだのか、それとも愛情がないと思ったからか、勤勉な性格は遊びに明け暮れるだらしない性格になって、二年の留年をして何とかギリギリ卒業証明書を持つと、気が進まないながらも高校の学費も生活費も払ってくれた人に知らせないのは流石にダメだと思い、実家の玄関に足を入れた。


 五年ぶりの家は少し埃が積もっているようだったが、そんな事を気にせずにリビングに向かう。勿論、母には知らせてなかったが、何故か二本のお酒と夕ご飯があった。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 母は多少耳が遠くなっているようで、玄関を開ける音に気づかずにボケーっと見ていたテレビから離れて隣に腰を掛けた母に、私は顔を直視できなかった。それは怒っていると思ったからだ。一報も知らせずに、高校も五年間も通って亡き夫の資産を潰した養子なんか取らなければと、憤怒じゃなくても呆れてはいるだろうか。


 目の前で弱った手で注がれるお酒は透き通っていて、横からは同じ匂いがした。多分、私が来る前から飲んでいたのだろう。そう言えば、母は夜になると毎日お酒を飲んでから、寺の香り放つ自室に籠っていたな、と思いながら私は注がれたものを飲み込む。度数は少し高く感じた。


「沢山勉強してきたのだろう。お疲れ様」


 私が空のコップを置くタイミングを伺っていると、母から完全に予想外の一言が飛び出した。いや、客観的に見たらその言葉は当然なのだろう。なのだが、嫌みでも諦めも何もない、純粋に労りだけの言葉を言われるとは私は思っていなかったのだ。


 その言葉を聞いて数秒、私は固まって母の顔を見た。白髪混じりの髪の毛に頬は少しだけコケていて、最低限の食事をしていたと容易に想像できる姿だった。でも何故だろうか、そんな事をするのは、亡くなった我が子だけでいいはずなのに、同じ血肉も愛情もない人に言わなくていいのに、私は母の頬を手で覆って無意識に口を開いた。


「私は貴女と血のつながった子供じゃない。貴女の実の子は七歳で亡くなった男の子で、養子も似てないと思うし、私は女子で。何処まで言っても養子。それに、私はそう言う理由で養子になったって考えるだけで吐き気がする」


 目の下のクマから手に流れた母の涙を見て、私は言ってしまったと思ったが、今更止めることなんて出来なかった。


「私はずっと負い目を感じていた。貴女が養子と打ち明けた日から、私は貴女の亡くなった子の代わりなのだと。でも違う。確かに周りの家族は羨ましいけど、あくまでも私は私として見て欲しかった」


 そう言って私は膝を床に落とした。床をずっと見つめて、秘めていた思いは言葉では足りずに涙になっている。定義できない気持ちの私に母はどんな言葉を書けるだろうか。私は、私はそれでも尚、楽しみだった。正面からぶつかり合う事が無かったからだ。


「貴女には生きている間だけでも、何不自由なく幸せに生きて欲しかった」


 私は頭が真っ白になった。それは母が生きている間だけだろうか。疑問をまとめ終わった後にそのことについて尋ねようとすると、母の言葉で静止される。


「さっき言ったのは、あーが生きている間って意味だからね」

「なんで?」


 それしか言えなかった。それ以外を言えるだろうか、心の何処かで愛されていると思わせて欲しかったのに、完膚なきまでにその希望は潰されると真正面からぶつかり合う気も起きずに、そのまま私は玄関を、母の事を二度と考えないよう覗けないように閉ざして、家を出てしまった。


 母の訃報はそれから五年が経った日に遠いい親戚から知らされた。その時には、私も家庭を持っており、対して興味も無かったが、世間体もあって行くことにした。


 寒そうな木を両脇に歩いていると火葬場が見えてくる。私しか来ないかと思ったが、以外と人は来ており、面食らった感じを覚えつつ骨壺に入れて帰ろうとした際、一人の老婆に話しかけられた。


「あなた、幸子さんとどういった関係で?」

「あ~、子供です。子供と言っても養子で、余り親子らしい事はできませんでしたけど」


 私はそう軽い挨拶をすると、久しく母の名を聞いたな。と思いながら、近くの椅子で一緒に腰を降ろすと、沈黙はまずいと思い軽い質問をする為に口を開いた。


「母とは親しかったんですか?」

「ええ、親しかったわ。同級生でね、何でも完璧にこなす真面目な人でね。傍から見たら少し生きにくそうだ、って思っていたわ」


 老婆はそう、真っ直ぐと曇り空を見ながら懐かしむように語った。


「そうだったんですね。私は余り母を知らなかったもので」

「そうね、幸子と最後にあったのは、確かあの事故から少し経った日でしたかね。その日から幸子は子供への愛し方について考えていましたね」

「愛し方について?」


 まさかの母がそんな事を聞いていると思わずに、私は失礼とか考えずに聞き返すと、老婆は初めてこっちを向いて、「ふふ」と声を漏らした。


「そうよ。旦那さんと子供が亡くなった日から夢を見ていたらしくてね。息子がごめんねって泣いている夢をね。最初は疲れだから気にしないでって励ましたのだけど、幸子は『私が幸せに生きて欲しいと願ったから』って聞かなくてねぇ」

「それで、どうしたんですか?」

「どうもしてないわよ、その日から会っていなかったのだもの。でもまさか、養子を迎えてたとわね」


 そう言い残して去る老婆の背中を、私は靉靆の念を抱きながら見送る。


「結局はなにも分からなかったなぁ」


 そう、なにも分からなかったが、私は忘れたらダメな思い出として、家に帰ると、さっきまでの事を文字に起こしていた。


 では、何故。今になってこの場面を開いているかと言うと、先日子供を身に宿したからだ。過去に向かうトリガーは様々あるが、私の場合は『子供は母親の心の問題を引き継ぐ』と言う小さく書かれた文字で、それが私を嫌々ながら過去と向き合う場所に赴かせた。


 雑多な人々の喧騒の中、その場所は唯一まとまりのある喧騒が味わえる場所だった。市役所では皆、同じような空気感があって、私はその空気感に飲み込まれないように母の戸籍情報を調べることにした。もし、子が母の心の問題を背負うなら、私を養子にした理由があると思ったからだ。


 『松本幸子』生まれは同じ福岡県だが、部落が合併できた区で育っている。両親とも堅実な商売(父は警察官。母は看護師)を生業としており、養子など迎え入れていなかった。私はここまでの情報を二日掛けて調べたが、こうして整理してみると母はソコソコの家庭で育ったようだった。


 私は母とその家族の大まかな歴史をみて疑問に思ったことがあった。それは、昔の遠いい記憶なのだが、祖父が亡くなった日と、私が会っていた日が一致しなかったのだ。つまりは、私が会っていたのは祖母の浮気相手だったのだろう。


 私は次に葬式で出会った老婆。名十美(ナトミ)さんに出会うことにした。名十美さんの番号は母の遺品整理の時に出てきたので、コンタクトをとるのは苦ではなかった。名十美は会う日程調節の為の電話口で少しボケがきているけど、と言っていたが当日会ってみると、それは杞憂に終わった。


「ごめんなさいね。少し狭いだろうけど、一人暮らしの身では楽なのよ」

「いえ、こちらこそ急に母のことを聞きたいとお伺いして申し訳ありません」

「そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ。そうね、幸子のことかね。何を聞きたいかしら?」

「家庭のことで、お母さんの親、つまり祖母や祖父のことあまり知らなくて」

「あぁ、そのことかい。幸子は毎回愚痴っていたね」

「愚痴ですか?」


 私はそうポツリと呟いてしまう。それは母が愚痴を言っている姿が想像できなかったからで、思い返せば母は私の目の前で泣いたことがないのだ。


「話していいかしら?」


 名十美さんは咳払いをしたのちに、私の肩辺りを見ながら話し始めた。まるで誰かがそこにいるかのように、じっくりと見つめる姿は傍から見れば呆けた老人だった。


「そうだねぇ、幸子も貴方と同じで養子だったのだよ。戦後間もないころでね、赤子の時から親が居なかった幸子は幸運なことに、その年に戦火で息子を失った集落の地主さんに育てられたのだよ」

「はぁ……」

「暫くして、幸子は酷く落ち込んでこう言ったの『守られている気がしない』ってね。でも周りから見れば、飯をちゃんと食えて、服も何から何まで揃っていたから。そうね、余り情を入れてたく無かったと思うわ。時代も時代だし」


 私は名十美さんの最後の言葉は鍵のように思えた。今まで不可解だった母親の心境を除く扉がその一言で開かれた気がすると、名十美さんの家を出ると深呼吸してから、今まで雑に扱っていた母との思い出を整理してみた。


 母の最後の言葉。それは私が母より死ぬときに後悔しないようになのだろうか。それとも、母が私に愛情をこめられなかったからだろうか。

 ただ盲目的に分かるのは『貴方が生きている間だけ幸せに生きて』と言うのは、少しだけ生きると言う使命感が無くなって、自由に生を謳歌していた気がするし、そう思えるように母は最大限の努力をしてくれたらのだろう。

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