第1話 幼き幼少期の日々①

私は今列車に飛び込み死を迎えようとしている。

人は自らの死を実感した瞬間時間がスローモーションに感じると聞くが、自分自身まさしく今目の前まで急行列車が迫り自らの人生の終焉=死を感じている今全てがスローモーションに感じる。まるで完璧に調律されたピアノから奏でられる純粋に生成された音色のごとく時間と言うものを感じ体感しているのでこれは割と本当なのだなと思う。

これは26年間生きてきて初めての感覚だ。なぜか今までにないくらいワクワクし死と言うものに楽しいという感覚すら抱いている。

今まで生きていて時間と言うものの概念について考えたことはあるが時間と言うものをこうやって実際に体感したことは一度もない。それこそ事故にあい昏睡状態から目覚めたり

ホフマン博士(英: Albert Hofmann, 1906年1月11日 - 2008年4月29日)が1937年に開発し自らの体で効果を試したLSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)を使うほか、某青い猫だか狸なのか机の引き出しから出てくる奇妙な二足歩行ロボットが腹から出す不思議な道具でも使わなければ体感できないと思っていたがこうやって体感できているのは死ぬ間際にしてはとてもいい体験だ。

よく聞く走馬灯なんて物も見てみたかったが思い返してみればこの人生大していい思い出なんぞ無かったので楽しくは無さそうだし見れなくてもいいと思う。何なら見れなくて正解だとまで思うがこうやってスローモーションに時間を感じられているだけでも楽しい限りだ。せっかくこうやってスローに時間を感じ堪能している訳なので人生を少し振り返ってみようと思う。まず何から行くべきか…

何故私は死と言う生命の終わりを求め身を投げているのか、最近テレビで見るようになった妹への思い。憎しみしか無く考えたくもない血縁上の母であるあの女の事。考えだしたらキリがないので、とりあえず幼少期から行こうと思う。

これを聞いたのは私がまだ小学生の時なので一部誤りがあるかもしれないので先に詫びを入れておく。何せ人と言う生き物はサルから進化する過程で物事を都合よく解釈しおめでたいように記憶したうえで少しでも幸せや幸福、そして自らの利益を得ようとする為記憶を改変改竄するように本能レベルでプログラムされた愚かな社会性動物だ。よく恋愛的妄想に取りつかれた人間がストーカー殺人をしてニュースで放送される人間の供述なんかが特にわかりやすい例だろう。

そのため私が父から聞いて長い期間が空き一部どころか相当数私の中で改竄されているが許してほしい。

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