第4話

「ケヴィン殿下――いえ陛下、大変ご無沙汰しております」


 鮮やかに微笑んだ顔も、まさしくケヴィンが知るリーゼロッテ・ノイン・エレミートであった。愕然としたケヴィンは思わず腰を上げてしまう。


「お前……まさか本物か? だとして一体、どの面を下げてこんなところに……!」

「本当にそのとおりでございます。ここから帝国騎士人生の第一歩が始まったと思うと感慨深く、とても平常時の顔ではいられません」


 かつてケヴィン王子に婚約破棄させたこの場所に、今度は敵としてケヴィン王のもとへ戻ってくることになるとは。王よりも堂々と王の間に立ち、リーゼロッテは「うふふ」と呑気に微笑んだ。


「……死んだものとばかり思っていたが、本当にリーゼロッテなのだな。そういえば、天下の帝国騎士が女を表に立たせているとは聞いていたが……」


 その微笑みに、ケヴィンは気を取り直す。


 確かにリーゼロッテの魔術血統は大陸屈指のものだろうが、もとは公爵家の令嬢として温室で育てられ、王子の婚約者として十余年を過ごしたろくに世間を知らぬお嬢様、剣を扱えるはずがない。帝国騎士の恰好をしているが、他の騎士と異なる深紅の団服であることしかり、女をかつぎ上げたい帝国にいいように利用されているだけだろう。リーゼロッテは身を寄せる先が必要で、帝国は女騎士が欲しかった、ただそれだけの利害関係に違いない。


 自分の婚約者だったときと変わらない、どこへ行っても“お飾り”の女だ。


 ふん、とケヴィンは打って変わって不敵な笑みを浮かべながら剣を抜き、その切っ先を向けた。


「ここまで来たことは褒めてやろう」

「いえ、陛下に褒めていただくためではないので結構です」

「婚約破棄されたときはさぞ悔しかったのだろうな」

「いえ、無事に婚約破棄させたので大変嬉しかったです」

「愛する男に殺される気分はどうだ?」

「いえ、私は陛下を愛したことはございませんのでお気遣いは不要ですよ」

「話を聞けリーゼロッテ!」

「聞いているから返事をするんじゃありませんか」


 きょとんと首を傾げられ、ケヴィンは舌打ちで返事をした。やはり変わらない、リーゼロッテはいつだって話が通じなかったのだ。


「……まあいい、余は愛がなかったとはいえ元婚約者を殺すほど冷たい男ではない。ここで降伏すれば――」

「陛下、相変わらずご自身の立場をお分かりにならないのですね。変わったのは一人称くらいでしょうか」


 リーゼロッテは眉尻を下げた。相変わらず世界の中心が自分の仕方のない男だ、王子だったときからなにも進歩していない。


「すべて私のセリフです、ケヴィン陛下。私は陛下を愛したことはございませんが、元婚約者を一思ひとおもいに討つほど冷酷無慈悲ではございません。降伏すれば命は見逃しましょう、帝国と話はつけておりますから」

「お前が俺に慈悲をかけ、帝国と話をつけているだと?」


 なんて馬鹿馬鹿しい、でたらめにしても酷過ぎる口上だ。ケヴィンは大きく口を開けて笑い飛ばしてしまった。


「お前は本当に、自分の立場というものをとんと理解しないのだな! そこまで言うのであれば、いいだろう、余が自ら平伏へいふくさせてやる」


 ケヴィンがその剣を振り上げてリーゼロッテとの間合いを詰める。


 その動きがのろすぎて、リーゼロッテは呆れ通り越して哀れみの目を向けてしまった。ケヴィンの剣の腕は、自分が出て行ってから衰えることはあっても向上することはなかったのだと。


「ゥぐッ!」


 そしてそのケヴィンは四方から押さえつけられ、突如としてリーゼロッテの前に平伏ひれふした。ドタンッと間抜けな音と共に地べたに高い鼻をぶつけたケヴィンは、何が起こっているのか分からなかった。


「リーゼちゃーん、こんなのが王様とかホントー?」


 その騎士は、倒れたケヴィンの背中に腰かけ、長槍ながやりの先を足首に押し当てていた。彼は湖のように美しく長いグリーンの髪をうなじの横でひとつに結い、同じ色の目に呆れた色を浮かべている。


「おとぎ話の王様そっくりじゃねーか。偉そうに裸で歩いて指差して笑われんだろ」


 その騎士は、ケヴィンのもう一方の足首に剣を押し当てていた。彼は炎のような紅蓮の髪を後頭部でピンと結び、どこか女性らしさのある涼やかな目でケヴィンを睨んでいる。


「でも噂のとおり、顔立ちは綺麗だよね。帝国騎士うちにいたら俺達と並んで誉めそやされてそう」


 その騎士は、ケヴィンの首に切っ先を当てて手首に刃を押し当て、しかも屈んで顔を覗き込んでいた。月のように輝く金の前髪の裏で、夏の夜空の色の目がからかうように笑っている。


「帝国にいなくてよかったな。血筋だけが取り柄の愚王と並べられるなど冗談じゃない」


 その騎士は、ケヴィンの手の指の隙間に剣を差し、足で手首を踏みつけていた。白刃のように煌めく銀髪と同じく、夕陽色の双眸が冷ややかにケヴィンを見下ろしている。


 つまりケヴィンは、リーゼロッテに斬りかかろうとして瞬く間に四人に取り押さえられ、命を握られてしまったのだ。目を白黒させていたケヴィンはようやくそのことに気がついたが、幸いにも今まで命の危機にひんしたことはなく、首だけでリーゼロッテを見上げるくらいの余裕があった。


「リーゼロッテ……貴様……」

「さて陛下、陛下御自身が平伏なさったところで、もう一度冷静にお話をしましょう」


 が、ズン、と眼前に刃を突きたてられ、その余裕は消える。それどころか、鼻先をかすめそうな距離で落ちてきた刃に、顔から血の気が引いた。


「きさっ…」

つつしんで申し上げますので、どうぞよくお聞きくださいね」


 まるで自身が王であるかのように、リーゼロッテはケヴィンを見下ろし穏やかに、しかし芯のある強い声で命じる。


「王都は、既に我々フェーニクス帝国騎士が制圧いたしました。陛下に残された選択肢はふたつ、この場で自害するか、玉座を公爵プリンツのクリストハルト様に明け渡すかです。命あっての物種ですし、私は後者をおすすめいたします」

「な――なにを言う! いきなりやってきて譲位をしろだと!? そんな話が――」

「クリストハルト様は陛下よりよっぽど王に向いておりますし、きっとこの国をよく導いてくださるでしょう。少々決断力に欠ける面はございますが、きっと新たに宰相となる方が良き助言者となってくださるはずです」


 既にヘルシェリン侯爵は帝国騎士の手中に落ちた、そう言外に伝えられている――と、愚かなケヴィンは理解しなかった。


「貴様……リーゼロッテ、許さんぞ! 王たる余になんたる狼藉ろうぜき、婚約破棄にとどめ追放せずにいた恩をあだで返そうとは!」

「追放……? 陛下、それは誠でございますか……?」


 寝耳に水といわんばかりに、リーゼロッテは目を丸くする。調子に乗ったケヴィンは「そうだとも!」と勢いづいた。地べたに這いずったまま。


「お前は本来あの場で追放されるはずであったのだ、婚約破棄なのだからな! 余がとりなしたお陰で悠々自適に王国を出ることができたのだぞ!」

「なんという……陛下は……」


 そのままリーゼロッテは愕然として口を手で覆った。


「陛下は、既に錯乱なさっているのですね……!」

「……何?」

「婚約破棄と追放はまったく別物、破棄の理由に死罪相当の行為があれば話は別ですが、婚約を破棄したからといって相手を追放することは必ずしもイコールではございません。それを国王たる陛下が存じ上げないはずはありませんから……陛下は法典を思い出せないほど精神的に錯乱なさっているのでしょうか? それともさきほど倒れたショックで記憶の混濁が……?」


 あわあわと狼狽しながら、リーゼロッテはケヴィンの前に屈みこみ、優しくその手を包み込んだ。なお刃はしっかり避けた。


「陛下、ご安心ください。皇帝には私から進言しましょう、陛下は速やかに譲位を決意なさったと。王都の喧噪から離れ、どうぞ田舎でゆっくりと心身をお休めください。ニーナ様もご一緒です、涙を流しながら田舎での生活など耐えられないと仰っていましたが、最愛の陛下と一緒であればどんな苦難も乗り越えられる、どころか一層夫婦のきずなが深まるでしょう。ご夫婦水入らずの生活のために使用人はおりませんが、牛と畑はご用意させていただきますね」


 玉座を奪われ田舎に追いやられるらしい、以上のことは何を言われているか分からなかった。しいてもうひとつケヴィンが分かっていたことは、頭上で見目麗しい騎士達の笑い声が響いていたことくらいだった。


 そうして呆然としているうちに他の帝国騎士がやってきて、ケヴィンは連れて行かれてしまった。なお後日、そんなケヴィンが「田舎ではなくて秘境ではないか!」と山奥の掘立小屋で叫んだのは余談である。

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