第2話

 そんな日々の中で、リーゼロッテは遂にケヴィンに見切りをつけた。


 その日のケヴィンは、魔獣討伐を終えて十数日ぶりに王都に帰還し、当然のことながら十数日ぶりにリーゼロッテと食事を摂った。そのときも、ケヴィンの話は軍務の愚痴から始まった。大変ですね、と相槌を打っていたリーゼロッテだったが。


「今回従軍していた中隊長、あれは駄目だな。アイツが私の命令に従わず前軍を見捨てなかったから敗走せざるを得なくなった」


 無能な部下を持つと苦労すると言わんばかりの口振りに、さすがに相槌を打てなかった。


 何を隠そう、リーゼロッテもその軍務に従軍していたから、そしてその中隊長の判断は何も間違っていなかったからだ。


 ケヴィンは前軍を見捨てるように指示を出したが、ただでさえ戦力を削られていたあの局面で味方を見捨てては、その前軍すべてを殺すようなもの。中隊長がケヴィンの命令を無視して犠牲となった味方は確かにいる、しかしケヴィンの命令に従っていればその犠牲は倍に膨れ上がっていただろう。中隊長が前進を指示したお陰で、前軍の一部を吸収しつつ逃げることができたのだ。


 ……つまり、こういうことか。リーゼロッテはつい、ケヴィンに冷ややかな目を向けた。


 コイツは、自らの無能っぷりに気付かずそのプライドを守るためだけに全く見当違いの罵倒を繰り返す能無しだ。


「おい、聞いているのか、リーゼロッテ」

「……ええ、聞いております」

「まったく、お前は俺と話すときでさえぼーっとしているのだな。ろくに他国との会談にも出ないから集中力が養われないのだ」


 ケヴィンは王の器ではない。いつもどおり始まった罵倒はいつもどおり聞き流しつつ、リーゼロッテはそんなことを冷静に考えた。


 王座は世襲制。ケヴィンには弟が2人いるし、幸いにもそのうち1人は王となるのに申し分のない器の持ち主だ。しかし、ケヴィンがいる限り彼が玉座に就くことはない。なんとも都合の悪いことに、ケヴィンは体も丈夫である。


 いっそのことケヴィンを害してしまえばいいのではとも思えるが、さすがに本気でそんなことを考えるほどリーゼロッテは悪逆あくぎゃく非道ひどうでも合理主義でも過激思想でもなかった。むしろ十二年間婚約してきた情さえあった。その扱いがいかなるものだとしても。


 そうして悩んだ末、リーゼロッテはある賭けに出ることにした。


「ところでケヴィン殿下、最近ヘルシェリン侯爵令嬢のニーナ様と大層仲睦まじくされているようですね」


 ぴくりとケヴィンが一方の眉を吊り上げる。


「……確かにニーナ嬢と話す機会はあるが、仲睦まじいとはどういうことか?」


 国王・王妃の美貌の血をしっかり受け継いだその顔は、とぼけた表情すら美しかった。しかし、その美貌に磨きがかかるのを十二年間横で眺めていたリーゼロッテにとっては大したことではなかった。


「そのままの意味です。一月ひとつき前の社交界でも手を取って踊っていらっしゃいましたし、本日は茶会も開いていらっしゃいましたね。そうそう、ニーナ様のために特別に東洋から仕入れた髪飾りも届いたようですが――」

「リーゼロッテ、お前は本当にものを知らないヤツだな」


 ケヴィンは声を荒げて遮り、さらには深い溜息までを吐く。


「大方嫉妬でもしているのだろう? しかし見当違いだ、ニーナ嬢が誰なのか、お前も先程口にしたとおり――ヘルシェリン宰相の長女だ。ヘルシェリン侯は宰相として陛下にも私にも仕えており、その功績には目をみはるものがある。その娘に礼を尽くすことは当然ではないか?」

「いえ全く当然とは思えません」


 突然の否定に、ケヴィンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。リーゼロッテは大体微笑んで「そうですね」というものだとばかり思っていたからだ。


 しかしコイツは無能だと気付いたリーゼロッテはまくし立てる。


「ヘルシェリン侯は確かに陛下にも殿下にもお仕えしていますが、それは宰相の義務です。そしてその対価としてヘルシェリン侯には多大な権利が与えられております。殿下がそれに上乗せして、しかもヘルシェリン侯自身ではなくその令嬢を特別に扱い、一目をはばかるように二人で会い、贈り物をすることに合理性はございません」


 反論完封通り越してぐうの音も出ないオーバーキルとしか言いようがなく、さすがのケヴィンも一瞬言葉が出てこなかった。リーゼロッテは冷ややかな目のまま続ける。


「殿下、殿下は第一王子、ゆくゆくはこのグライフ王国を背負うお方です。殿下の些細ささいな言動が権力バランスを傾けかねないことを努々ゆめゆめお忘れないよう、特定の貴族を不用意に寵愛ちょうあいすることをはじめとした軽率な行動はお控えください」


 それはまったくもって正しい意見だったのだが、例によってケヴィンにそれを受け容れる度量はなかった。


「……お前がこんな見苦しい嫉妬をするとは思わなかった」

「反論はないのですか?」

「反論も何も、お前の言っていることは見当違いも甚だしい。まったく、言葉を並べ立てさえすればよいと思っているのだろう。これだから学のない女は困る」


 セリフのとおり不愉快そうに唇を歪め、ケヴィンはフォークとナイフを置いた。


「気分が悪い。久方ぶりの晩餐ばんさんだというのに、お前がいては食欲も削がれるというものだ」


 そのまま席を立ち、リーゼロッテを残して部屋を出て行く。リーゼロッテは、じっと座ったままでいた。


 もし、ケヴィンが言い訳をするならもう少し見守るつもりだった。言い訳は後ろめたさ、罪悪感の裏返し、リーゼロッテに対して申し訳ないという気持ちを残していることを意味するからだ。


 しかし、結果は逆上。溜息と共に、リーゼロッテはオレンジジュースを飲み干す。


 そのとき、リーゼロッテはケヴィンとの婚約破棄を決意した。





 とはいえ、リーゼロッテ側から婚約破棄することはできないため、ケヴィンをその気にさせる必要がある。そこでリーゼロッテは、ケヴィンとニーナの密会を今まで以上に見て見ぬふりをし、なんならあえて二人が会うことのできる隙を作り、婚約破棄へとケヴィンを焚きつけるべくせっせと暗躍した。


「君との婚約を破棄する」


 そうして遂に王の間において、ケヴィンは、ニーナの肩を抱きながら高らかに宣言した。


「はい、ではこちらにご署名をお願いいたします」

「ん?」


 はいはい待ってました。リーゼロッテはずいっと羊皮紙を差し出した。


「こちらです。この右下に殿下のご署名をお願いいたします、二枚とも忘れずに。続いて私が署名させていただきますので」

「あ、ああ……そうだな……?」


 そうして「婚約無効の宣誓書」を作成し、それが受け取られた後、リーゼロッテは思わず勝利のガッツポーズを掲げた。


「殿下! 私と殿下との婚約はこれにて無効となり、当初より婚約していなかったものとなりました! 私の部屋は既にすべての私物を処分し清掃を済ませておりますのでご自由にお使いください! では!」


 王子のケヴィンとえる最後の機会に、リーゼロッテはドレスを摘まんで最上級の礼を取る。ふわりと、その氷のように透き通る薄青の美髪が扇状に広がった。


「ニーナ様と末永くお幸せにお過ごしくださいませ!」


 その言葉を最後に、リーゼロッテはグライフ王国を出た。


 以後、リーゼロッテの消息を知る者は誰もいない。

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