婚約者はアマガエル

こう

一話 青空婚約式


 特別な日が快晴だと、それだけで特別な気がする。

 今日も空はよく晴れていて、蒼天の空の下、優美な赤薔薇の庭園で過ごすのはとても贅沢な気持ちになる。

 さらにそこに、大事な家族がいるなら満点。

 大切な人がいたら花丸。

 今日は特別な日で、家族も大切な人も一緒にいる、私にとって何より幸せな日です。


「アンタには勿体ないわ」


 幸せな日なのですが―――上姉様が、とても怖い顔をするのです。


「この婚約、私と変わりなさい」

「でも上姉様」

「でもじゃないわ。もともとメルヴィン子爵家に…私に来ていた婚姻の話よ。それを元に戻すだけ。何の問題もないわ」


 怖い顔をした上姉様が、白い椅子に座る私の前で腰に手を当てて胸を反らす。四つ上の上姉様は、私より小柄ですが内から滲む迫力は体格を凌駕しています。


「問題はあります。お姉様には婚約者が…」

「婚約話が行ったり来たりしている相手がいるだけで婚約者なんかじゃないわ」

「いえ婚約者ですよ」

「婚約者じゃないわ」

「そんな、シリル様がお可哀想です」

「可哀想だと思うならアンタが…だめね勿体ないわ。今の無しよ。あいつは放っておいていいのよ」

「よくないです。落ち着いてください上姉様」


 ざわざわと、様子を窺う周囲の人たち。特別な日に招待された賓客の方々。

 まだ始まっていませんが、人は多いのです。そんな人目のある場所で、こんな話をしてはいけません。

 上姉様だってわかっているはずなのに…怖い顔のまま、座る私を見下しています。


「とにかく私が婚約するからアンタは早くかえ」

「ベルナデット」

「…シリル」


 遠巻きにしている賓客の隙間を縫って、本日上姉様のパートナーとして同席された婚約者のシリル様が現れました。その背後には、他家に嫁がれた二つ上の下姉様の御姿もあります。

 三人姉妹の中で一番背の高い、すらりとした下姉様。光の加減の所為か、怜悧な瞳が眼鏡で見えません。

 ずかずかと足取り荒く近づいて来たシリル様は、仁王立ちする上姉様の肩に手を置いて振り向かせます。上姉様の御顔も怖いですが、シリル様も怖い顔です。


「何勝手なことを言っているんだ」

「勝手じゃないわ。もともとそういう話だったのだし、アンタに関係ないわよ」

「あるに決まっているだろう。お前の仮にも婚約者だぞ」


 そうです物凄く当事者です。


「仮にもね…どうせまたすぐ別の令嬢と婚約の話が出るんでしょ」

「何を言っている。お前の方が相手をとっかえひっかえしているくせに」

「してないわよ何言ってんの」

「あの、シリル様は多分の婚約者選びで上姉様が面談していたことをおっしゃられています」

「何言ってんの?」


 あの、もしや本気でお分かりでない?


「俺が会いに行っても男の釣書ばかり見ていたじゃないか!」

「私が会いに行っても令嬢とお茶会ばかりだったじゃない!」


 どっちも弟妹の婚約者探しの一環です。

 お二人とも弟妹よりまず自分たちの婚姻を考えてくださいな。


「風邪をひいたって聞いたから見舞いに行ったのにすぐ追い返すし! 元気になったと思えば鍛錬するから邪魔だって言うし!」

「お前だってファイエット次女に泣かされそうになると俺から逃げるだろ! アガット末っ子と和んでいる時も俺が傍に行くと顔を顰めるし! 俺と居るのがそんなに嫌か!」

「はあああああ!?」


 いけません上姉様その雄叫びは令嬢としていけませんそれ以上は。

 ちなみに上姉様は意地っ張りなので泣き顔も満面の笑みもお見せするのが恥ずかしいだけです。


 沢山の賓客に囲まれながら、上姉様がもう我慢ならないと声高に、シリル様に向かって怒鳴りました。


「嫌じゃないわよ! 健やかな時も病気の時もずっと一緒に居たいわよ! どうせ私しかそう思ってないわよ! 分かってるわよばかぁ!」


 子爵令嬢としては失格な言動。ですが感情的なのは上姉様の良い所。もこもこの金髪を乱暴に掻き混ぜますが、もこもこした髪に何のダメージも与えられません。

 そんな上姉様に、シリル様も叫び返します。伯爵家の三男ですが、上姉様と同じように感情を偽れない素直な人なのです。


「ふざけるな! 俺だってお前が、ベルナデットが笑っていようが泣いていようが傍に居たいって思ってる! お前こそ全然わかってない!!」


 ところでお互い凄いことを言っているのは自覚なさっておられるんですかね?


「はあ!? 私と結婚したら伯爵から子爵に格下げなのが嫌で結婚からずっと逃げていたくせに何言っているのよ!」

「違う! 裕福だろうが貧しかろうが関係ない! それに逃げていたのは俺じゃなくてベルだろう!」

「はあぁあ!? 私がいつ逃げたのよ! そんな覚えは全くないわ!」

「結婚の話になる度に喧嘩腰になってただろうが!」

「シリルがね!!」

「ベルがな!!」


 お互いが掴み合うようにギャンギャンと矛先を押し付け合っています。まるで子供の喧嘩ですが、どちらも結婚適齢期の成人男女。

 最初は何事かと視線を集めていましたが、今ではただの痴話喧嘩と思われ生温かな視線を集めています。


「いいわそれならここで決着をつけようじゃない! 私はいつだって良かったんだから!」

「望むところだ俺だって待ち望んでたわ!!」

「誓いなさいよ! 私だけを愛して敬ってずっと一緒にいるって! 浮気とか絶対許さないんだからぁ!」

「誓うに決まってるだろ! お前も俺だけを慰めて助けろ! 他の男を見るんじゃない!」

「いつ他の男を見たってのよ見てないわよ貴方だけしか見てなかったわよバッカじゃないの!?」

「俺だって浮気した覚えなんかねーわお前以外の女に目移りするわけないだろ馬鹿め!」

「言ったわね誓いなさいよ!? 神に誓いなさいよバーカバーカ!」

「命の限り真心を尽くすと誓ってやるよ覚悟しろ!?」

「こっちの台詞よ!!」


 お互いの胸倉を掴み合って、お二人は怒鳴るように誓いの言葉に相当する台詞を叩きつけました。

 よく晴れた、赤薔薇の美しい庭先―――神父のいる、末っ子の私が婚約する、その前で。


「あ、結婚しました?」

「「えっ」」


 えっじゃないですよ。

 お二人とも、お互いしか見えていなさすぎです。


 速報:末っ子の婚約式で長女が喧嘩腰で誓いの言葉を叫びました。


 下姉様が、眼鏡をきらりと光らせながら上姉様を睨む。


「お姉様、妹の良き日に何をなさっておられるのです」

「だ、だってだってだってだって、ファイエット…! これはそのあのえっと」

「落ち着いてください上姉様! 結婚おめでとうございます!!」

「違うわ待ってアガット! 違うのよ!」


 正気に返られた上姉様が周囲を見渡して、やっと自分たちが今どこに居るのかを把握したようです。思い出したともいえますね。シリル様を見上げれば、シリル様も呆然としておられます。その肩を、ご友人らしき男性がものすごく叩いているのが見えます。もみくちゃにされるまであと三秒のご様子です。


「大分言葉は崩れていましたが内容は間違いなく誓いの言葉でしたので、あとでそちらの神父様に証明書を書いてもらうとして」

「成程、では後ほど」

「ええお願いいたします」

「お父様を通さずそんなことするわけにはいかないでしょ!」

「お父様を通さず賓客の前で愛を誓い合ったのですから今更では」

「ファイエットが冷たい!」

「お父様もきっとお喜びになりますわ!」

「お願い止めてアガット!」


 もともとシリル様は上姉様の婚約者ですので問題ないかと思われます。何かとお互い勘違いをしまくって婚約のお話が浮上したり沈殿したりと忙しなく婚姻が先延ばしになっただけですし。お父様も結婚まだしない結婚まだしないとやきもきしていらっしゃったもの。いい機会ですわ。

 下姉様は呆れたように上姉様を硝子越しに眺めていますが、私はとても嬉しいです。とうとう上姉様が結婚を決意してくださって!


「アガット、貴方はもっと怒るべきです。これは貴方の婚約式なのですよ」

「ええ下姉様。そんな良き日に上姉様のご結婚も決まったのです。喜ばずしてなんとしましょう」

「あああああ末っ子が可愛いいぃ…それなのにそれなのにそれなのにそれなのに」


 もこもこの金髪を振り乱し、上姉様は我慢ならぬと叫びます。


「何で相手がカエルなのよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ビシィッと音がしそうなほど勢いよく、私のお膝を指さす上姉様。


 その指の先、私のお膝の上には丸い花籠。


 その中央にちょこんと、立派なアマガエルさんがお座りしています。


 興奮収まらぬ上姉様に、私はちょっとむっと眉を寄せました。


「いけませんわ上姉様。殿方を指さすような真似は」

「カエルなんかにアンタは勿体ないって言ってんのよぉおおおおお!!!」


 上姉様の元気なお声が、青空から白い雲を吹き飛ばす勢いで響き渡った。



 私はアガット・メルヴィン。ふわふわの金髪に、少し垂れたクルミ色の目の、つい最近社交デビューした子爵令嬢。

 この度婚約することになったお相手は侯爵家の長男、ライアン様。


 花籠でちょこんとお利口にお座りなさっている、アマガエルさんです。





 そもそも何がどうしてそうなったのかというと簡単なお話しです。

 お父様が、事業を失敗して借金なさって、その肩代わりをして下さったのがカエサル侯爵だったのです。

 不幸なことに子爵領で水害があり、借金に借金を重ねなければならない所に肩代わりのお話が出たので、お父様は私に頭を下げて嫁に行ってくれと願われたのです。

 そもそも、侯爵家が何故子爵の末っ子である私を借金のカタに買うような真似をなさったのか。それは…お相手の、ライアン様に問題がありました。


 星屑を集めたような銀の髪。寒空を写したような怜悧な瞳。騎士として鍛えられた体躯に小麦の肌。大層整った顔立ちと出で立ち。その頃私は社交デビュー前でしたので、実は見たことが無いのですが…年頃の令嬢は熱に浮かされたような目で彼を見詰めていたと聞きます。

 ライアン様は、とても女性にモテました。それはもう、王女殿下の初恋と言われるほど逞しい男性でした。ちなみに王女殿下は御歳六つ。罪なことです。


 しかし二年前、魔女にいい寄られ、それを無下にした結果、カエルになる呪いをかけられてしまったのです。


 なかなか過激な魔女さんです。お伽噺の悪い魔女と呼ばれても文句は言えません。

 魔女はそのまま逃亡。ライアン様はカエルのまま。

 このままでは一生をカエルのまま過ごすことになってしまう…それを避けるため、何とか『真実の愛の口付け』で呪いを解くことが出来ないか、奮闘することになりました。


 ですがご令嬢は、なんと言いますか…大体の方はカエルが苦手です。


 そもそもカエルと分かっていて婚約してくださる方はいらっしゃいません。

 なので、侯爵は何とかあの手この手でご令嬢をライアン様(アマガエルの姿)と引き合わせ、愛を育んでもらおうと必死なのです。

 これが、借金の肩代わりをしてでも侯爵家が婚約者を求める理由です。


 そうと分かっていて私を送り出したはずですのに、婚約式に呼ばれた上姉様は怒髪天とばかりに怒りを露わにしておられます。何故でしょう。


「思っていたよりカエルだったのよ!!」

「上姉様ったら、一体どんなお姿を想像なさっていたの?」

「蛙みたいなでぷっとした人間なのかと思ってたのよ! でもまさかのカエル! 思った以上にアマガエル! どこからどう見てもちょっと大きなアマガエル!!」

「姉様落ち着いて。不敬よ」

「何が不敬よアガットが不憫よ!! 本気でカエルに嫁がせる気!?」


 子爵家の私が急に侯爵夫人として立ち回るには無理があるので、婚約が決まった時から教育の為にカエサル侯爵家でお世話になっていました。

 実を言うと、婚約式で本当に初めて子爵家家族は顔合わせをしたのです。事情が事情なので、あまり人は呼んでいませんが子爵家としては大人数が居る場です。子爵家の人間として、上姉様はちょっと落ち着かないといけません。どうどう。


 此処は下姉様の様に、思った以上のアマガエル婚約者に顔色を変えず対応するのが正解です。恐らく下姉様には人目が無くなってから追及されることでしょう。ええ、今は落ち着いた対応が求められる場なのです。


 …上姉様は落ち着けずに妹の婚約式で誓いの言葉を叫ぶことになったのですが…あれは、思った以上に末っ子の婚約者がアマガエルで混乱した上姉様が「アマガエルに可愛い妹は勿体ないわこんなことなら私が結婚して初夜で炙るわ!」なんて気持ちで叫んだから起ったことです。多分こう思っていたんだと思います。私の身を案じてくださった、妹想いの姉なのです。

 そんな上姉様の「婚約を変われ」発言に、ご一緒していた婚約者のシリル様が反応して大喧嘩、かーらーのー誓いの言葉でした。

 …まとめてみても、何が起きたのかよくわかりませんね?


「帰るわよアガット! 本気でカエルと結婚なんて考えられない! お父様はぶちのめして何とかするから!」

「お姉様、落ち着いて」

「ファイエットは何とかなったけどアガットはこれ絶対騙されているわ!」

「お鎮まりになって」

「めほっ」

「上姉様!」


 冷静な顔で下姉様が上姉様の首裏を扇で殴打なさった。涼やかな対応がお見事です。お父様似のストレートな金髪を耳にかけ、ずれた眼鏡を直しながらこっそり嘆息なさっています。


「気持ちはよくわかりますが、落ち着いてください―――アガットの、婚約式です」

「下姉様…」


 下姉様は私より早く他家に嫁がれており、それも遠方の辺境伯の元だったので、なかなか連絡が取れませんでした。この婚約を知ったのも婚約式の招待状で、です。

 本当はお父様が借金をなさったとき一番の助けになれたはずなのに、情報戦で負けてしまっていたことが悔しいようです。でも仕方がないのです。辺境まで距離がありますし、お父様が辺境伯に借金のお話を出来なかったのも悪いのですから。


 ちなみにそのお父様ですが、現在侯爵夫妻とお話し中でこの庭園に姿を見せておられません。ですがまだ来ない方がいいかと思われます。上姉様もですが、下姉様もお怒りなのに変わりはないので…下姉様の結婚も、お父様がポカをした尻ぬぐいでしたので、またか…という思いが、下姉様にはあるのです。硝子の奥の目が、その、とても凍てついておられます…。


「それと、確かに我が夫は乱暴者と名高く恐れられておりましたが、手綱を握れないほどの野獣ではありません。むしろ手綱を捌くのが良き妻の務めです。アガットも覚えておくように」

「私には少し難しそうです」

「いずれ可能ですよ。貴方は貴方のままで十分操作できるでしょうけど」

「アマガエルをどう操作するというの…かふっ」

「ベル―――!」


 元気な上姉様はまだ何か言いたげでしたが、下姉様にど突かれて鎮まりました。すぐにシリル様が上姉様を回収していきます。喧嘩ばかりのお二人ですが、ああいった姿を見ると仲が良いなぁと思わずにはいられません。あ、結婚したんでした。末永くお幸せに。


 ああいけない、子爵家の人間が騒ぎを起こしてしまいました。これを治めるのは同じ子爵家の私でなくては。下姉様もそう思っていらっしゃるのか、一歩下がって視線で私を促しておられます。

 下姉様はお嫁に行かれたので、子爵から籍が抜けています。なので、姉ですが私の代わりは出来ないのです。ここは私がしっかり謝罪しなくては。ふんすっ。

 私はそっと花籠を持ち、立ち上がります。不格好ですが、そのまま淑女としての礼をしました。


「この度は私共の婚約を祝う席にお集まりいただいたのに、お騒がせして申し訳ございません」

「僕がこんな姿なばかりに、愛しい婚約者殿のご家族を不安にさせてしまった。僕からもこの場を騒がせた謝罪をさせて欲しい」

「「…は?」」


 ぱかっと。

 上姉様も、シリル様も、珍しいことに下姉様も。

 お集りの他の賓客の方々も。

 ぱかっと、お口を開けて一点を見つけています。

 どうなさったのでしょう。


「騒がせてすまない」


 私の抱える花籠で。

 アマガエルのライアン様が、とても低く渋みのあるお声で謝罪なさっただけなのに。




「「「「キェェェェアァァァァシャベッタァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!????」」」」







 皆さま貴族とは思えないほど絶叫なさったので。

 婚約式前の混乱はご自身のことも含め、全てなかったことになりました。

 あ、上姉様の結婚は別ですよ! 神父様よろしくお願いします!



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