一緒に寝てくれる

青ヤギ

一緒に寝てくれる


 ひとりのほうが気楽だ。いままでは、そう思っていた。

 気兼ねのないひとり暮らしを満喫できていたのは、若いうちだけだった。

 けれど年齢を重ねていくと、だんだんと孤独であることに奇妙な焦りが芽生えてくる。


 俺は、このままひとりのまま一生を終えるのだろうか? と。


 特に最近は、夜に布団で眠っていると人の温もりが恋しく感じる。

 結婚していれば、一緒に眠ってくれる相手がいただろう。

 だが出会いを求めてこなかった自分に、そんな存在はいない。

 家庭を持つなんてリスクが高すぎる。養育費だってバカにならない。独身でいたほうが絶対に楽しい人生を送れる。そう思い込んでいた。


 でも、それは間違いだった。たとえリスクを抱えることになっても、人は家庭を作らないと孤独に耐えられなくなるのだ。

 独身を貫ける人間とは、そういう孤独に打ち勝てる者のことをいうのだろう。

 残念ながら、自分はその強さを持ち合わせていなかった。


 暗い一室。布団の中には自分の体温しかない。それが、とても心細い。

 意味もなく不安な気持ちが押し寄せ、良くないことばかりが頭の中に浮かんでしまう。

 寂しい。とにかく寂しかった。

 もしも寄り添ってくれる妻がいれば、抱きしめられる子どもがいれば、こんなにも孤独に押しつぶされそうにならないのに。


 出会いを探すには遅すぎる。

 今更、こんな自分と一緒になってくれる物好きがいるとは思えない。

 時期を逃した。そう言わざるをえない。

 何のために自分は生きているのだろう? そんな危うい考えまでが浮かびだす。


 眠れない夜が繰り返された。

 睡眠薬もそろそろ効果を発揮しなくなってきた。

 このままではいつか倒れてしまう。

 ……でも、そのほうがいいのかもしれない。

 悲しんでくれる親族だってもういないのだ。いつ、どこで、人生を終えようと誰にも迷惑はかからない。せいぜい職場の人員に穴が空くくらいだが、自分の代わりなどすぐ見つかるだろう。


 この世界にお前の居場所はない。

 暗闇のどこからか、そんな声が囁いてくるような気がした。

 惨めだった。いい大人のくせに、夜な夜な泣くこともあった。いまはもう涙すら出てこない。逆に乾いた笑いしか出てこない。


 いっそ本当に駅のホームに飛び降りてやろうか。

 いや、それでは迷惑がかかるから、もっと誰にも見つからないような場所に身を投げるか。

 いくつかの候補を考えながら、布団の中で横向きになる。

 そのときだった。


 ふと、背後から気配を感じた。

 ひとり暮らしの部屋。自分以外、誰もいないはずなのに。

 横向きになった自分の背中を、ジッと見つめる視線を感じる。


 息を潜める。体が石のように固くなって動かなくなる。

 時計の秒針。冷蔵庫の駆動音。蛇口から水滴の落ちる音。

 夜の生活音が、いやに耳に響く。


 掛け布団が、そっとめくられる。

 部屋の冷気が隙間から入ってくる。

 同時に。

 誰かが、布団の中に入ってきた。


 ……どうしてか、悲鳴が上がらなかった。

 怖いとも思わなかった。

 むしろ、不思議な安心感があった。

 温もりが、あったからだ。

 背中を通して、温かな感触が自分を包み込む。

 なんという心地よさだろう。

 求めていた温もりが、ここにある。

 気づけば、久方ぶりにぐっすりと眠っていた。


 はじめは夢だと思った。

 しかし、翌日の夜も、誰かが布団の中に入ってきた。

 横向きになって眠ると、それを合図にするかのように誰かが入ってくる。

 それは、そっと寄り添うように背中に密着する。

 自分以外の体温が布団の中に満ちていく。

 それだけで、どうしてこんなにも幸せな気持ちになるのだろう。

 その夜も、快眠することができた。


 そんなことが毎日続いた。

 普通でないことが起きているのはわかっていた。

 しかし、拒む理由はなかった。

 同じ布団に入ってくる。ただそれだけで、危害を加えてくる様子はない。

 なら、いいではないか。

 おかげで毎晩、満ち足りた気持ちになれるのだから。


 自分は、もう孤独ではない。

 帰って眠れば、あの温もりが自分を包んでくれる。

 そう思うと、いくらでも仕事を頑張れた。

 帰りを待つ家族のために働く父親の気持ちとは、こういうものなのかもしれない。


 布団に入り、横向きに眠る。

 そして今夜も、誰かが布団に入ってくる。

 顔が自然と綻び、穏やかな気持ちになる。


 いつも、ありがとう。


 つい、そんな言葉が漏れた。

 ソレが布団に入っている間は、なるべく黙って眠っているフリをしていようと思ったが、日頃の感謝の気持ちから、初めて声をかけてしまった。

 すると、向こうにも変化が起きる。


 指らしきものが、背中に当てられた。

 スーッと滑って、背中をなぞられる。

 何をしているのだろう?

 最初は微笑ましいイタズラかと思い、くすぐったさも手伝ってクスクスと笑っていた。

 しかし、途中で気づく。


 ……もしかして、これは文字を書いているのではないだろうか?

 きっと、そうだ。

 向こうは、何かを自分に伝えようとしている。

 よし、読み取ってみようと背中に意識を向ける。

 しかし、その晩はもう指が背中をなぞることはなかった。


 翌日、また「ありがとう」と声をかけてみる。

 すると、やはり背中を指でなぞって、何か文字を書く。

 今晩こそは読み取ってみよう。

 しかし、眠気のせいでうまく解析できなかった。

 わかったのは、十二回文字を書いたということ。そして解読できたのは最初の二文字だけ。


 ──「ネ」と「エ」。「ねえ?」と伝えたかったに違いない。

 夜の楽しみが増えた。

 今度こそ、向こうが何を伝えたいのか、読み取ってみせよう。


 その夜は、仮眠を済ませていたから意識はハッキリしていた。

 背中をなぞる指の動きが、鮮明にわかる。

 今夜は解読できるだろう。

 弾む気持ちで、背中に書かれた文字を読み取る。


 ──「ネ」 「エ」。


 最初の二文字は変わらない。

 やはり向こうは毎晩同じことを書いているのだ。


 三文字目は「イ」。

 四文字目は「ツ」。

 五文字目は「ニ」。


 どんどん書かれていく。

 ワクワクしながら文字を読み取る。


 六文字目「ナ」。

 七文字目「ッ」。

 八文字目「タ」。

 九文字目「ラ」。


 ──ねえ、いつになったら。


 十二文字のうち、九つ。

 ああ、やはり自分に何か伝えようとしている。そのことが、どうしようもなく嬉しい。

 教えてほしい。いったい君はどんな気持ちで、自分に寄り添ってくれているのか。

 十二文字のうち、最後の三文字が書かれる。

 そして。


 血の気が引いた。









 ──ネエ、イツニナッタラ……





 十文字目「シ」。






 十一文字目「ヌ」。






 十二文字目「ノ」。

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